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2005/05/22(日)
家でだらー
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今日は全く持って家でだらりとしていました。 ほんと、何かをしていたって記憶が御座いません。 やー、いい暇を過ごしたんだろうなぁ日曜の僕。
昨日を最後に、ちょっと時間を作るためにPSOをオヤスミにしました。 気になる事も沢山あるし、会いたい人も居るけれど、チョイト落ち着かないとと思ったのでオヤスミにしました。 まぁ、何を大げさな、とも思いますが、去年一月オヤスミしてみて、 それが結果的にいい方向に働いたので、今回もそうなるようにしたいですわ。 オヤスミ前の日にとても楽しかった事もあって、とても名残惜しかったです。 そこの人たちと、それ以外にも繋がりを持つことは可能なのに、なんなんでしょうかこの思い入れ。
とはいえ、休んで初日から何もしないってなんともはや。
晩御飯に一品だけですが、久々の料理。 バリラのパスタがあったのでアサリだけ調達してぺペロンチーノを作りました。 デタラメレシピだったけど、アサリを白ワインで蒸した残りのダシを オリーブ油になじませたソースがなかなか美味かったです。 イタリアンはてけとーでもソコソコ美味しいのが良いですねえ。
本を一冊読み終えました。 植島啓司著「分裂病者のダンスパーティー」 なんとも言えないタイトルです。 これは、件の器屋の啓蒙おやぢに貰ったものです。 造りとして面白かったのが、本文が、イケナイパーティーをする四人の男女の話と、 どこぞの政治家のシュレーダーという人の、自分は女であるという幻想の フロイトを初めとする精神分析医の分析・解釈を元にした論文と、 その他の小論、小説や詩からの抜粋が細切れになって綴じられていて、 かくページの端にも小論が一行ずつで表記されていました。 擬似分裂病体験とでも言うのか、面白い感覚でした。
内容そのものは、あーなるほどなぁと思いつつも心の深くには届いてこない、知的な類の事でした。 ほんと、こういう事を知って、人間全員の病理を「知った」としても幸せなんかには繋がらないのに、と、いつも思います。
たとえ、そういう解釈の中で、幸せが幻想だと言われても、無いよりマシでしょうし。
引用: 現実はよく見えないから観念によって照らし出さねばならない。 輪郭が少しずつ露になると、次に様々な感情がそれを覆い隠す。 その状態を永い間維持しているうちに、ある種の結晶体が生じる事がある。 いつもわれわれの身近にあって、それとは知っていながら見えないもの、 それがかたちをとりつつ光彩を放ち始めるのだ。
これに対して異論はありませんし、現実に対する観念もそういうものだという風にも思います。 でも、「群盲、象をなでる」とはいっても、ウネウネ動く鼻や、パタパタ動く耳に触れた時は きっと楽しいと思う事でしょう。 それは象の一部で、象全体では無く、ただの勘違いであっても、その盲の者が象を好きになる理由にしても 一向に差し支えない、というか、幸せな事だとも思います。
だから、感情というものは、僕自身のあやふやな価値観に照らし合わせた上で、 否定するにしても肯定するにしても、尊重はしていきたいと思っています。 それが人のものでも自分のものでも。
相変わらず、何言ってるのか解らなくても勘弁してください〜。
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