夢想庵
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2005/06/20(月) 介護入門
本を一冊読み終えました。

モブ・ノリオ氏「介護入門」

いつだかの芥川賞受賞の小説とです。
いや、文学小説、と言った方が正しいのでしょうか。

内容を説明するとなると、恐らく著者自身である無職の青年が祖母の介護をしていく中で感じた事、
と言う事だけになるのでしょう。

「文学」とあえてふるのはここがポイントで、「説明」となったらそれだけ短い言葉で言えることを、
本になるくらいに語を重ね、それをテクストとして読み解く中で何らかの感情移入が起こる言葉の方法論的表現、
と言うように読んでいく上で僕は感じたからなのです。


僕の感想として、
ここまで読者と対等な立場の、読者が作者と対等な立場で感情を波立たせる事が出来る「文学作品」って
読んだ事あったかなぁ、面白いなぁ、と思いました。

主人公は29歳の無職の男で、祖母を自宅介護する時に度々麻の吸引でダウン気味になった頭を抱えて、
感情の渦をぐるぐるとかき回しながらやっている描写があり、
それはいわゆるマトモな人からは強い批判の対象になりうる事だと思います。

僕自身は、麻等のハッパを吸う事に対して、僕自身はしないまでも、批判はしません。
タバコと同程度にしたい奴はすればいいと思っています。
それによって他人に迷惑をかけた場合に自分に降りかかる不都合を全面的に引き受けると言う前提の下に、ですが。

そんなどちらかと言うと退廃的な主人公青年の感じている事と言えば周囲の無関心に対する苛立ちだけであり、
それはとても一般的な感情で、何かがおかしいと時代に対して感じるセンスは
今や僕らには当たり前だとさえ言えると思います。
そういう、それぞれの苛立ち、というものを文学にしたこの作品だからこそ
読者が対等だと思う錯覚のようなものが起こるのでしょう。

いや、錯覚ではないのかもしれませんが。


とにかく、介護、という事だけでなく、表現されていた感情から連想される
僕の日常のアレコレに関して色々考えさせられる、面白い本だったと思います。


ところで、著者は僕が出た大学の人だったので驚きました。
僕は母校という感覚が薄く、ひどく薄情な人間なのかもとも思っているのですが、
こういうことになると、すこし嬉しいという軽薄さに心の中で苦笑いしてしまいます。

2005/06/19(日) 寝てました
午前中、それなりの時間に起きたにも関わらず、昼頃からまた眠くなって、
仮眠と思って寝床にもぐりこんで気が付けば夕方五時。
一日が終わってましたですわ。

その後も家にあるマムガなどを読み返したりしてだらけきった時間を過ごしていました。
ほんと、何したって記憶無いですな・・・。

夜になって今日も今日とてPSOBBへ行きました。
この日は稀に見るような楽しいチャットができました。
でも、何故かそういう時に、楽しい疲れと共に自分から遊離していく
何やら冷静な視点があったりで困ってしまいます。

楽しい時間の中で人が僕にどういうイメージを抱くかなどということは
既に僕の責任の範疇を越えているなどと正に無責任な事を僕は常に考えているのですが、
それは結局の所、ガッカリされることへの恐怖心に対しての防備のような気もします。
そんなハッキリしない立ち位置に立つ僕は、その日の嵐のような冗談の連続の中で、
自分でも驚くほどの対応を見せつつ、画面の中に居る自分と
モニタの前でキーをカタカタ打つ自分との距離を実感せずにはおれません。
冗談を楽しむ僕は明らかに僕で、その投げかけられる冗談に対して、
「ああ、この人は冗談とはいえこういうことが言える人間なのか」
等と判断をしていたりもします。
それについては、あのゲームのチャットの中で誰彼無しにぶつけようとは思ってはいません。

人には裏表というものが多かれ少なかれあるのものですが、
それはチャットという至極弱いつながりの中にも実感する事があります。
それが「わざと」となればロールプレイという呼び名にも対応してくるようなのですが、
そこまで意識的にゲームをやっている人もそう多くは無いような気もします。

そういったことを常に、考えるでもなく、前提として感じつつこのゲームのチャットをしている僕は
多分、字面で現れているイメージよりは少しは冷静なんだと我ながら思っています。

まぁ、なんだかんだ言って、異常に楽しかったのは揺ぎ無い事実なのですが。

2005/06/18(土) スノードーム
本を一冊読み終えました。

アレックス・シアラー氏「スノードーム」
原題は「闇の速度」というそうです。

光の減速器と言うものの研究に明け暮れる変わり者の科学者が、
彼が大切にしていたドーム状のガラスに覆われた街のミニチュアと共に失踪します。
そのドームは本来ならば中に液体が入っていて、振るとそのドームの中に雪のように液中の粉が舞い上がり、
時間をかけて雪が舞い降りるように落ちていくもの。
でもそのドームには粉はおろか液体さえも入っていませんでした。
そして、その科学者が勤めていた研究所の同僚が見つけた書類の中に、同僚宛の手紙が入っていました。
そこに綴られたドームにまつわる物語は・・・。

と言う感じですが、見直してみたらコレ筋も何も説明していないような・・・。
まぁいいか。

シアラー氏の小説は3,4作読みましたが、その中で言えば少し好みからは外れているかもしれません。
氏のこれまでの小説は、少し暗い題材にしてもあまり陰鬱には描かれておらず、
死に際してもある種のポジティブさがあったような気がします。

今作はどちらかというと、ネガティブな人間の心の動きを、抽出しすぎることなく
迷いや矛盾を理屈に分解しすぎずに描いている感じがしました。
それゆえ全体としての重みみたいなものは薄れているのかもしれませんが、
それでも「主人公(その科学者ではない)」の心の動きが身体性と共に
克明に描かれているクライマックスシーンは結構読まされました。
読後感として、面白かった!と言うものでは無いのですが、なかなかイイカンジでした。

氏の小説で一番好きなのは、本屋さんでも平積みされてたりもする「チョコレートアンダーグラウンド」
この本は、装丁からかなりのハイセンスで内容も子供が主人公ナためにかわいくもあり、
しかしながら自分の意識が、その物語の中で語られている事の、近代人の普遍的な問題(オオゲサかも)まで
いつのまにやら持って行かれているストーリーテリングはカナリ楽しめます。
分厚めの本ですが、確か値段も安かったので手に入りやすい一冊だと思います。
長靴下のピッピやモモが好きなら、それよりももっとオテガルに楽しめる子供の物語としてお勧めです。

2005/06/17(金) 父の日前倒し
今日の仕事は、作業自体は無く来週月曜以降の準備のみのマッタリしたペースでした。
少し仕事を早めに終わらせてもらい、両親と待ち合わせの駅へと向かいました。

父親がこの休みは用事があるためにというのと、かねてから行きたかった和食のお店が土日定休のために
前倒しでの父の日の感謝を込めてということでの事でした。

そのお店は、今の仕事先に勤めて間もない頃に雇い主殿に連れて行ってもらったお店で、
ビジネス街にあることから客の大半はスーツ姿のおじ様方です。

そこの目玉は魚料理と日本酒。
店長、というか、大将、という呼び名が正しいその料理人さんが大の日本酒好きで、
こういうのが飲みたいといえば料理の合間を縫って真剣に考えてくれるその表情が微笑ましくも頼もしい。

両親共にお酒は強く、僕に至ってはカナリのものなので、けっこうな量の日本酒を頂きました。
その日本酒を楽しむ姿が嬉しかったとのことで、なかなかいいお値段のお酒もオマケしていただいたようです。

あまりに美味しいお酒があったために結構イイお値段するんでしょうね、と僕が訪ねた所、
「美味しいといって楽しんでいただけたようですので、お値段は・・・」と言葉を濁す大将。
全くもって無粋な自分の物言いがとても恥かしかったです。
まだまだ修行が足りません。

お魚も、造りやら煮付けやらと色々楽しみました。
魚ではないですが、水ナスをブツギリにしたものに鰹節と醤油をかけただけのツマミも最高でした。
旬のものと言うのはやっぱ最高ですねえ。

とにかく、日本酒が豊富なお店で、結構飲んで食ってしても一人5000とかで行けるのでまた行きたいですな。
某日本酒好き夫妻がもし大阪に来ることがあれば真っ先に連れて行きたいと思うお店でした。

来ませんか?>夫妻

2005/06/16(木) オハナ〜
昨日と同じ仕事の続きなのですが、フラワーアレンジメント教室なるものを覗いてまいりました。

ただ花を花瓶に生けるだけではなく、ロケーションなんかも考慮に入れて
一工夫二工夫するのが趣旨のようです。
少しばかり時間とオカネに余裕のありそうなマダムも居たりして、
ウーンとか思っていましたが、これはこれでなかなか。
花束にリボンをつけるセンスの発展なだけなのですが、ゴテゴテしすぎてやな感じのもありましたが、
こういうところでもキラリとひかる飾り付けをされる方も居て、なかなか勉強になりました。

ところで、漫画家なんかでも妙に迫力のある花を描く人が居たりします。
写真にしても、花の写真を面白く撮れる人というのが、ある種の特別なセンスの持ち主として居るような気がします。
花のグロテスクなまでの生命感をリアリティもって表現できる人としては、
知っている中では漫画家では松本大洋氏、写真家ならアラーキー氏が筆頭だと思います。

僕は、ラクガキも写真もたしなむ程度に触れますが、彼らに見えるような花を見たことはありません。

ゴッホの絵のタッチは独特ですが、彼にはああいう風に景色が見えていたのだろう、という評を読んだ事があります。
空や花や人を描く時に、じっとそのものを見つめる目にあのタッチの元になるリアリティが写っていたと言うのです。

それが僕には「理解」できないように、松本氏や荒木氏の目に映る花を「理解」することはできません。

ただ、その感性の差、嫉妬のようなものを込めて「差」と言いますが、
その「差に」愕然とするのです。ナム。

2005/06/15(水) タロウさ
今日の仕事で行った先で目にした本がとても面白そうでした。

イーストプレス岡本敏子女史編「岡本太郎・壁を破る言葉」

天才芸術家・岡本太郎氏が放った数々の名言を集めたもの。
作業の合間にパラパラ呼んでいたのですが、カナリ熱い感じです。

芸術は爆発だ。というのはあまりにも有名な氏の言葉ですが、
その爆発はドカーンではないそうです。
ドカーンでないなら多分それは、ぼふぁーふぅわわわわわという感じなのかなと僕は思っていますが、
この本にはそういうニュアンスでしか受け取れない言葉や、駄目は駄目なりに、
というか駄目だからこそイイんだーと言うような事が理屈ぬきで理解できる言葉な気がします。
理屈ぬきで理解しようとすればですが。

これは某バカップルの片割れ氏に薦めたいと思いました。

その本が今年の発行だとの事なので、
仕事が終わってからそこそこ大き目の本屋に探しに行ったのですが売り切れだそうです。
嬉しいような悲しいような。

仕方ないので他の本を物色。

橋本治氏の久々のエッセイ集「橋本治と言う行き方」
宮部みゆき女史「ICO」
モブ・ノリオ氏「介護入門」
アレックス・シアラー氏「スノードーム」
を購入です。

水上勉氏の一休法師の伝記ものを読んでいた最中でしたが一旦置いときます。

ところで、今日は朝のうちに雨が降り早いうちに止んだのですが、傘を持っている人が沢山居ました。
帰り道、小学生の集団を見かけたのですが、その中の何人かが雨も降っていないのに
ニコニコしながら傘をさして歩いていました。

子供は何の意味も無く突然スイッチが入ったかのように走り出したりします。
そういう、全く意味の無い、その行動自体が意味のような大人には無心では出来ない動きが僕は結構好きだったりします。

そんな訳の解らない志向を持つ僕の考えは全く関わりなくニコニコと歩いていく小学生の集団を見ていると、
ほほえましくあり、ちょっと羨ましくもある。ような気がします。
あやふや。

2005/06/14(火) 夕暮れに夏のニホヒ
お仕事がちょっと間延びした感も残しつつ終了したのは定時と一応決めてある時間から一時間後でした。

今の時期、外は明るく晴れの日の夕方よりも空に雲があって光が回りこむだけ明るく見えます。

気温は少し前から上がっていて、30分も歩くとけっこう汗ばんでくる位です。
でも、この日は風も少しあったことから、そう暑くは感じませんでした。

それから約一時間後、自宅最寄の駅に着いた時点で空と街の明るさが逆転しようかという位の時間。
僕の一番好きな時間。

駅近辺は人も多く、さわさわと重なり合って聞き取れない人の声やバスのディーゼルエンジンの音、
ラーメン屋から匂う濃厚な香り。
去年の夏の嵐からボロボロになったま掛けられているうどんやの赤いちょうちん、
地面に座り込んで話をしている半袖のワカゾー連中、
コッチからアッチヘアッチからコッチへ電車が遠くをガタゴト走る音。

相変わらず風が気持ち良くて、丁度汗をかかない位に体と気温が温かくて、そして疲れからか、ちょっと眠い。
いつも眺めている帰り道ですが、そうやってこの日は何故か夏の匂いを僕は感じたのです。
自ずと軽くなる足取り、もしかしたらニヤけていたかもしれません。

歩きながら深呼吸したりして、好きなメロディーを少しハミングしてみたりして。
そんな気分のまま、寄り道もせずに家に帰ってたらふくバンゴハンを食べました。
いい夜でした。


何も特別な事ではないし、こんな文体でわざわざ書くことも無いのですが、
なんだか、お祭りをやっているような、妙な、でもちょっとサワヤカなウキウキを
文章にしてみようとしてみました。

2005/06/13(月) ぐっじょぶ
一日中での作業でした。

今日のお仕事は自由度がカナリ高く、アシストでしたが、仕上がりが楽しみなほどいい感じの流れでした。

こういういい感じを味わえた時は今の仕事やってる中でも一番感動します。


これ書いてる時点で水曜日で、さっきまで久しぶりにほぼ日刊イトイ新聞のコラムを少し読んでいました。
その中でで、さくらももこさんとイトイ氏の対談があったのですが、
その中で、インドのマハラジャの話が出てきていました。

で、そのマハラジャを筆頭にオオガネモチの方のお金の使い方の事に触れていたのですが、
セスナ買ったり、ペントハウスに泊まったりって、消費のクリエィティブさが無いよね、とのことでした。
オカネがあれば誰でも出来る、というような。
そういうアイデアの貧困さはなんなのかなぁと。

こういう風に書いてるとどうにもオカネが嫌いな様にも見えますが、
実の所、そんな事は全く無いのですが、少々順位が低めなのと、
正直、自分にもまだオカネって必要ないなと、思う所もあったりはします。
これにこうやってオカネを使いたい!というイメージが無いと言うのでしょうか。
欲しいものは沢山あるけど、それよりも本を読んだり映画を観たり、何かを感じて歩いたりとか、
とりたてて大きいお金が無くても出来る事が上位にランクインしてるからなのです。

僕は工場で生産されたイイクルマや自分の用途を越えたハイスペックPCや
作り手の考えを感じ取りきれないような繊細かつ高価な料理は別に欲しくありません。
こう、なんというか、戦争とか大災害が起きても自分の手元に残っているような、良く解らないものが欲しいのです。

もしそういうものを育むために多量のお金が必要ならば、そのときは欲しいと思ってもいいのかなと思います。
というか、本心でそう思う所まで気持ちが昇って行ったなら、自ずと降ってくるのでしょうけどね。
理想論かな。まぁいいか。


この日感じたようなちょっとした感動の蓄積は、なんらかの爆発の溜めになったらいいなぁと
虫のいい事考えます。むふふ。

2005/06/12(日) てんぷらぁ
昨日買った食材にとこの日に買い足した分を合わせて、てんぷらに挑戦。
結果、敗退。
問題ない程度にはあがったのですが、反省点が沢山ありました。
揚げるものによって温度とか変えないと駄目なのですかねー。
とはいえ、油の温度を感覚的に見ることも出来ないのでなかなか。
またリベンジしたいですが、ヘトヘトになるのでいつになることやらー。
どこか美味しい所に食べに行くのが一番なのかな。
確か、神戸に小さいけどいい店があったような。
誰か誘って行こうかしらん。

同時に作ったアサリの味噌汁がめちゃくちゃ美味かったです。
かつおと昆布のダシをちゃんととったのが勝因なのかな。
でも適当に取ったダシなので、濁りがちょっとありました。
お澄まし用のダシとか一回挑戦してみようかなぁ。


後先になりましたが、チャットで教えてもらったレタスとアスパラベーコン巻きのアッサリパスタを
お昼に作りました。

サッと炒めただけの食感が残るレタスと、火の入り方が違うアスパラベーコンの食感の違いと、
オリーブオイルと塩と胡椒だけのシンプルな味付けがなかなか○。
ちょー簡単だし。


この日にBBAが届いたために、久々にDCPSOに。
おひさおひさと声をかけて、見たかったものを見れて、
ちょっとムカついたけど楽しかったです。

バカップルめ!

2005/06/11(土) おーやーすーみー
激しく嬉しいオヤスミです。

この日は朝の段階で何もしないをする事に決めたので何もしませんでした。

等と書くと自分で読んでも意味が解りませんな。


ええと。

友達が書いたお話につける挿絵というかキャラクターのイメージ絵を描いています。
その方が、ラフ程度でいいとのことなので、紙にざっと描いて完成と言う感じ。
そういう勢いの死んでいない段階と言うのも好きなので、そういうオーダーはなかなか嬉しい。
というわけで、一日の中で、思い出した時にちまちまと描いていました。
その他の時間はゲームやったり買い物したり。

なんだ、ちょこちょこ何かしてるじゃないですかとも見えるから文章って不思議。

何はともあれ暇に強くて良かった。

6月絵日記の続き


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