レカ郎写真記
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2009/02/28(土) DD51 1006号機
昨日何かの拍子にDD51の車番をチェックしちゃいました。今まで撮ってきた中で何が生き残ってて何が生きてるのかな〜などと思いつつ、データと照らし合わせていたら、なんとDD51 1006号機のことに気づいたんです。
記憶の彼方にそんな話も聞いたような・・・くらいには知っていたんですが、ご存知な方も多いでしょう、DD51 1006号機といえばそう、ラジエータカバーと扇風機の突起が特徴な機関車ですね。

へぇ〜・・と思って調べたり写真で見てみたりしたところ、私の撮影した写真にも1006号機がいました。そこでちょっと出してきたわけです。

今日の1枚目と2枚目はそんなわけで違いを比較してみてください。

丸をつけた部分がまず違うんですよ。
この機関車は500番台ながら、番号が800にまで達してしまったために1000番台の番号が与えられ始めた機関車のトップナンバーで、この1000台の番号をつけた機関車からラジエータカバーは3枚から2枚、フラットだった屋根に扇風機カバーがつくといった仕様になっていたんですが、唯一ラジエータカバーが3枚式の機関車でした。他の100番台をつけるDD51の場合は2枚式なんですよね。
これが特徴の機関車だったのです。

しかし、2006年5月に踏切事故で大破、大掛かりな修理、まあ改造とも呼べるレベルだと思いますが、廃車になっていたDD51から破損部分をそっくり移植するという大手術をして見事復帰してきたカマなんです。
その結果、この機関車の特徴でもあった3枚式ラジエーターカバーフィルターが失われ、また同時に屋根上の今日出してきた写真で丸をつけた部分の特徴も失われました。
この部分は扇風機カバーなのですが、事故前はこの機関車は唯一フラットな屋根が特徴だったのです。しかし事故・復帰後には大きくその姿を変えて出てきたんですね。

1枚目の写真をご覧ください。こちらはカシオペアデビュー早々に撮ったものなのですが、この頃は屋根、写真で言うと丸をつけた部分に何もないフラットな屋根ですね。
そして2枚目はいつ撮ったかはちょっと不明ですが、復帰後の姿です。同じ部分、同じ方向なんですが、屋根上の丸印をつけた部分がモコっとしてますね。扇風機カバーが取り付けられたということです。
範囲での移植だったのかは分かりませんが、この分だと車体の大半を修復したといったところではないでしょうか。おそらくこれだけの見た目の変化が出る修理ならエンジンもお釈迦になってるはずですので。よくここまで破損して復帰できたな〜と思ってしまいます。貨物から廃車になったDD51を変わりに購入して星ガマにするという方法がいくらでも出来たはずなんですけどね。まさに奇跡の復帰といえます。

しかしその1006号機も昨年3月に廃車になってしまいました。奇跡の復帰からわずかな時間で廃車になってしまったわけです。
しかし正式には除籍なんです。なんと12月にミャンマーへキハ183系や24系北斗星客車が譲渡回送されましたが、その中にDD51の姿もあったんですね。DD51は2両送られたのですが、なんとその中の1台がこの1006号機だったんです。
A寒冷地仕様の機関車が、雪なんて無縁の国で旋回窓を装備して走ることになったわけですね。
この1006号機には、1006号機と大改修で部品取りとして使われたカマ両方の血が流れているわけです。その機関車がミャンマーで活躍するというのはうれしい反面、残っててほしかったな〜という気もします。

なお、ラジエータカバーは今日出してきた写真では確認しにくい角度なんです。ということで、後日後日別の写真を持ってきますのでお待ちください。

余談ですが、色こそ違いますがJR北海道のデーデーは貨物の未更新と同じ状態ですから、ある意味未更新機というわけですね。

2009/02/27(金) 1080&1080
先日撮影した1080レです。
この日の牽引はDD51 1080号機でした。
1080号機が1080レで走る、列車番号と車両番号の一致ですね。

ただそれだけです(笑)

これだけで終ると寂しいので少し付け加えると、意外に列車番号と車両番号の一致って難しいのではないでしょうか。
快速エアポートだけでも、列車番号は3800番台、運用に当たる721系には3000台の区番台が存在しますが、3800番台なんて存在しませんので実現しませんね。
かろうじて可能性があるのは札幌圏で言えば、120番台のトップナンバーの列車番号に731系のG−120かG−121が当たった時でしょうか。

そう考えると、編成や機関車の番号と列車番号の一致は意外と難易度が高そうですね。
まあどうでもいいことといえばそれまでですが(笑)

2009/02/26(木) 夕鉄バス 日野レインボー
今日は夕張へ行ってきました。そこで見かけた夕鉄バスの日野レインボーです。

ブルーリボンの大型ショートかな?と思ったんですが、レインボーでした。レインボーの路線車って今でこそノンステップの中型ロングや中型路線車として多く使われるようになっていますが、それまではそんなにメジャーなクルマではありませんでしたよね。どちらかというと貸切仕様とか、自家用といった感じでした。なので私は珍しいクルマに出会ったな〜と。

ほんとは2灯のヘッドライトが特徴の初代レインボーも夕鉄バスでは導入しており、そしてこの初代レインボーが生き残っているのも夕鉄だけだというので、会いたかったのですが見かけませんでした。さすがにお釈迦になってしまったのでしょうか・・・。


では1枚目の画像です。
こちらは走行シーンですが、日野のウィングマークが生き残ってますね。札幌圏でちょっと日野の古参車を注意してみてもほとんどウィングマークをつけ続けている日野車はなくなりました。
そしてブルーリボンのバッチは有名なところですが、レインボーにはレインボーのバッチがあったんですね。左のライト上にバッチがついています。

2枚目はリアアングルです。昔はリアウィンドウに「AIR SUSPENSION」と書いいたようです。
エアサス搭載をわざわざ書いてあるのも珍しいですね。
しかし車体更新を受けた時に撤去されたものと思われます。

3連シグナルランプは中央バスや道南バスなどと違ってウィンカーが上、テールランプが下という逆の配置ですね。苫小牧市営バスにもみられるタイプです。
ブルリが大半を占めるようになり、米型のシグナルランプが多くなった夕鉄で3連式は珍しい存在ではないでしょうか。

横の方向幕がでっかくて見やすいですね。今主流のLED表示は文字が小さいですが、このくらいでっかくできないのでしょうか?

古い車だな〜と思ってたんですが、実は92年式。もっと古く見えるクルマですね。
でも田舎町にこういう古めかしい感じの小さいバスが走っているのはマッチしていて味わいがあるな〜と思います。
時折ブルリシティのワンステップ車も走っていましたが、昭和の匂いがする町並みに合ってませんでした(笑)

このレインボー、あとどのくらい活躍してくれるでしょうか。

2009/02/25(水) 785系の変化6
785系の変化の6回目です。
今日はリニューアル編となります。
785系はご存知現在の姿にリニューアルされたのが2005年からでした。この時行ったのはシートの載せ代えを含め車内の一新、ドアの交換、ブレーキ系統の見直しにより屋根上の抵抗器が撤去され、車内とヘッドサインのLEDがフルカラーに変更されました。
さらにシステムの変更を行うなどかなり大掛かりな工事となりました。

また前回言い忘れたことではありますが、増結編成、いわゆるNE−500番台編成には中間先頭車があるわけですが、しばらくの間はその中間先頭車にもスカートがついていました。が、確か最初にスカートが撤去されたのはNE−501編成だったでしょうか、なんともかわいそうな姿になってしまったんです。

そしてリニューアル前にNE−502もスカートを撤去しました。

こうして現在の785系となったわけですが、785系の特徴だった青系のシートが基本編成、ウグイス色が増結編成といった特徴もなくなってしまいました。

そこで今日の1枚目です。ドアの窓が大きいですよね。そして2枚目をご覧いただくとお分かりいただけるかと思うんですが、こちらはドア交換をしたものです。窓が縦長になり近代的になりましたね。
しかし、このドアもしばらくは古いものをつけている編成もあれば、編成内でも違うドアをつけたものもあった気がします。

リニューアル後は785系の皮を被った別物になった、そう解釈してもおかしくないのではないでしょうか。

2009/02/24(火) キハ141−1
今日は何年かぶりに札沼線へ行ってみました。前は年1回くらいは行っていたんですが、ここ数年は行ってなかったんです。クルマで行ったのが今日初だったため、最低3年は行ってないことになります。
以前は石狩太美から延々歩いたものです(遠い目)

ということで今日は札沼線つながりでこんな題材にしてみたという次第。
札沼線と言えばPDCのキハ141系を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。
ご存知キハ141系は50系客車からの改造で登場した珍しい気動車ですね。改造は苗穂の他、五稜郭、釧路でも行われ全44両存在しました。
形式はキハ141〜143とキサハ144と4形式に渡ります。また1ユニットながらキハ141とキハ142の組み合わせなどもあるため、表記に少し困ることもありますね。
他のJRでも50系を改造したPDCが存在しますが、それほど両数がなく、このキハ141系が最大になります。

そのキハ141のトップナンバーが今日取り上げたキハ141−1となります。この編成はキハ141−1とキハ142−1の2両からなるユニットで、1枚目の写真のように2両編成としての運行も行っていました。
このキハ141系にはキハ56から出た廃車発生品の台車を使っているものが多いので、車体は50系、足回りはキハ56とどちらも今は無き車両たちが1つのクルマを形成しているということになりますし、それぞれがまだ生き残っているという見方もできますね。そう考えるとなんだかすごい車両な気がします。
乗ると確かにゴツゴツ感がある乗り心地だな〜という印象を受けます。
車体自体も50系を色濃く残していますね。リサイクルと転用が非常にうまいな〜と思ってしまいます。

さてこのキハ141−1はキハ141系としては初めての廃車になった車両です。2005年に廃車になったのですが、実はこの写真を撮った直後のことでしたので、もう1回この1編成を撮りたいなと思っていたのでびっくり、そしてガックリでした。

そしてその後の姿が今日の2枚目です。
これは苗穂工場内にある鉄道技術館開放日に撮ることができたものですが、廃車となり、解体を待っている場面です。この少し後に解体されちゃいました。
実はこの時すでに相方で1枚目の写真では先頭となっている車両、キハ142−1はありません。なのでこちらは札幌向きのキハ141−1となりますね。
なぜこの編成だけが廃車になったのかは疑問ですが、一説にはキハ40−330やキハ201系も札沼線に入るようになったことで余剰になったからと聞きます。

車内はセミロングとなっていますが、セミロング部分の延長とクロスシート部分を2+1の3列化してあります。やはり学園都市線という愛称が持つように通学や通勤に多く使われる路線だからでしょうね。

札沼線は札幌から30分ほど列車に揺られただけで大都市札幌の近くとは思えないほどののどかな田園風景が広がる世界へ連れて行ってくれる不思議な路線だなと前から思っています。
非電化に田園風景ですから、これが札幌から30分ほどで来れる場所なのかという感じです。

2009/02/23(月) 785系の変化5
5回目になりました、785系の変化を追っているシリーズです。

さて、今回はパンタグラフです。
ご存知北海道の電車は古い711系や引退した781系も含め全車がシングルアームパンタに載せかえされました。
785系も交差式パンタをかつては載せていました。それは前回までの写真を見ていただくと分かるかと思います。

しかしシングルアームパンタ(以下シンパ)を元々載せていた785系があります。それが前に書きましたがモハ784−500です。
ここからシンパが新製時から載せている車の導入が始まったと思います。
その後、重い濡れ雪でパンタが架線から脱線してしまうということが度々起こったのと、今後クロスよりシンパの方が増えるとの見通しから、メンテナンス性をよくするためということで全車に渡ってシンパが載せられました。この工事は2年くらいかかったかなと思うのですが、1編成に2本パンタのある編成は片方ずつの交換となりました。
ですから、781系などもそうですが、片側がシンパ、もう片方がクロスという姿が見られたものです。

785系もこうしてシンパに載せかえられていきましたが。
しかし手持ちの写真を見て気づきました。前にも言いましたが、NE−501編成はNE−501編成を結成してすぐに片側がシンパになっているんですよ。増結編成で結成したNEー500番台編成にはパンタの乗っていないモハ785−500が組み込まれたんでしたね。
なので、この場合両方ともクロスパンタじゃなきゃ普通はおかしいんです。それが今日の1枚目です。これはNE−502編成ですが本来クロスパンタが2本立っているのがNE−500番台編成の正統な姿です。しかしNE−501は早期に片側がシンパに交換されていました。もしかすると試験を行ったのかもしれません。

後に今日の2枚目ですが、両方ともシンパに交換され、現在の姿になったわけです。
シンパの方が785系の場合早そうに見えますね。

ところでシンパに変えた理由の1つに着雪というものがありました。温暖化で濡れ雪が降ることが多くなり、重みでパンタが下がってしまうということが多くなったためなんですが、でもふと思いました。
アームの数は確かに減りますよね。その分雪の重みも減る・・・と思いがちですが、ちょっと待ってください。アーム1本分にかかる雪の重みは変わりませんよね。シンパにしたところで着雪量が減るというわけはないです。なのでアーム1本だろうと2本だろうと、1本分にかかる重さというのは変わらない気がするんですよ。着雪の仕方が変わるのかもしれませんけどね。2本式だと進行方向の腕に着雪が多くなるということも考えられますので。でもこの理論だとシンパだとしても腕の進行方向次第で裏表はあれど着雪があることになりますので、どの道重みはさほど変わらない気もするんですよね。

実際今年になってから731系のようですが、シンパでも雪の重みでパンタが下降してしまうという事態が発生しています。
実際は威力を発揮しているのかもしれませんが、シンパの効果というのはどんなものなんだろうかとふと疑問に思います。

2009/02/22(日) 網走バス エアロクイーンT
札幌ー北見・網走間の都市間路線を担当しているのが網走バスです。

この路線は「ドリーミントオホーツク」の愛称を持っていますが、この路線は網走バスの他、北海道中央バス、北海道北見バスと共同運行となっています。

さて、この網走バスですが、夕方近くに札幌ターミナルへ行くと、近くの操作場でよく見かけます。が、網走バスでは三菱ふそう車しか導入していません。ちなみに網走交通バスというものもありますが、こちらは別会社です。こちらは東急グループの事業者ですが、網走バスは道内では珍しい名鉄グループの事業者となっています。

三菱のみの導入なので都市間車はエアロクイーンTで導入されています。
同じように見えるエアロクイーンですが、ところどころ違いがあるようです。

まず1枚目の画像ですが、こちらはLED表示式のタイプですね。前、横、後ろの3点についています。
星?を描いたようなデザインになっていますね。プラグドアについているウィンカーレンズはクリアです。

2枚目は1枚目と同じように見えますがこちらは方向幕式です。仮眠室の窓も大きいですし、年式の詳細は不明ですが、おそらくこちらの方が年式は古いはずです。こちらはドアのウィンカーはオレンジのレンズがついています。

そして3枚目です。
ことらはLED式ですがデザインが異なりますね。1枚目、2枚目は星が描かれていますが、こちらは赤いラインが描かれ、オホーツクエクスプレスのロゴもありません。
このデザインはなんとなく赤が多いためか網走市内の路線車を思わせる感じです。

実はドリーミントオホーツクには新型のエアロクイーンも導入されているのですが、こちらのデザインはこの3枚目のクルマのデザインを採用しているようです。
この赤線のデザインは新カラーということになるんでしょうか。確かに星の描いたデザインの方は初代エアロクイーンMから見られたものですから、詳細は分かりませんがデザインの変更を行ったのかもしれません。

エアロバスなどと違って背が高いエアロクイーンですから見晴らしもいいでしょうね。私はこんなバスには乗ったことはありませんが、乗ってみたいものの1つですね。高い位置の窓からはどんな景色が広がるのでしょうか。

2009/02/21(土)
未明から札幌は猛吹雪になりました。いつも「猛吹雪になるでしょう」と天気予報などで言っていても「札幌はたいしたことないべ・・」などと高をくくっているんですが、今回は違いました。
日付が変わる前くらいから暴風が吹き始め、次第に雪も降り出しました。
アメダスで見ると石狩湾周辺から雪雲の塊がドンドン押し寄せてるんですね。
風もドンドン強まり、3時10分には30.3mの最大瞬間風速を記録したようです。ウチの方はもっと突風が吹いたかもしれません。なにせ窓ガラスが震え、家が揺れてましたので。
気象台から発表になる風速というのは、10分間の平均風速なのですが、これも一時札幌は17mとなっていた時間帯がありました。普段他は荒れててもたいしたことなく終る札幌ですらこうですから、それほど今回は荒れたということですね。なにか今週はまともな冬が一気にまとめて押し寄せたという感じすらします。

さて1枚目の写真ですが、暴風の中ご苦労様です、歩道の除雪風景です。ロータリーが飛ばした雪が暴風で押し戻されたり、あらぬ方向へ飛んでいったりしていました。また見えるでしょうか、除雪車の前に誘導員の人がいますね。この人は除雪前の吹き溜まりを歩くわけですが、スポスポと埋まりながらやっと歩いているという感じでした。私がこの作業に携わるなら、運転する方がいいな〜・・・なんて(笑)

除雪車がきりとおした部分を見てください。実は夜明けまでにこの切り通した部分が周りと同じくらいになるまで吹き溜まったんです。

2枚目は吹雪の様子です。画像は比較的長い0.5秒くらいでシャッターをきっているため吹雪が流れてそれほどすごくは写っていませんが、実際はもっとすごいです。ゴ〜という音と共に雪が除雪された道路を駆け回っているという感じでした。

3枚目はウチの玄関先の様子です。階段の上の部分はみんな吹き飛ばされた変わりに3段ほどある階段部分がみんな雪に埋まって同じ高さになっていました。
少し明るくなってからの様子が4枚目です。
見事なS字を描いた吹き溜まりになっています。砂丘や砂浜に見られる風紋(学術的には漣痕(れんこん)といいます)が出来ています。

少し白くにごった映像ですが、これは吹雪が駆け抜けているためです。
門から風が入ってきてS字状になってる部分を複雑に吹き抜けているという様子が分かりますね。
ものすごい天気でしたが、こうした自然の造形美が見られるのもこの時だけだったりするんですよね。近いうち自然の造形美を探しに出てみようかな〜なんてひそかに思ってたりします。

この滑らか感が何かケーキのクリームに見えますね。

ちなみに今日は石北、釧網線と道東周りの線路が1日閉鎖状態だったようですし、交通機関は麻痺状態だったみたいです。通勤通学だった人はさぞ大変だったことでしょうね。学生時代よくこういった悪天候で抑止を食らっていた身なのでよ〜く分かります(笑)
でも昔は一冬に何度もあったこういった悪天候での交通の乱れも温暖化によって減ってきましたよね。最近じゃ窓の開く列車も少なくなったのでそんなこともなくなってきたのでしょうけど、私が学生だった頃は窓の開く711系などが多く走っていたので、よく窓の隙間などから雪が吹き込んで、二重窓の窓と窓の間に雪が白く溜まっていたのを覚えています。
それに比べれば冬が楽にはなりましたが、楽っちゃ楽ですがこれでいいわけではなですよね。

2009/02/20(金) 785系の変化4
785系の変化を追うシリーズの4回目です。
今日は穴とダクトです。

エアポートの運用に入るようになった785系ですが、ここで1つ問題が出てきました。それは冬季の着雪です。
新千歳乗り入れで札幌駅をスイッチバック式で折り返す事となった785系ですが、平面の多い顔つきの785系は自分の巻き上げた雪が最後尾の顔に着いてしまうという状態が見られていました。
しかし、札幌での折り返し時間は5分。遅れが出るともっと短くなります。
停車時間に余裕がある時は度々装備している雪落としで雪落としをする姿が見られましたが、そんな余裕がなくなりました。

だい1回目で、着雪具合に注目との趣旨のことを書きましたが、量は少ないですが確かにフロントガラスに雪がついています。
ひどいときではワイパー部分しかガラスが覗いていないという場面も見られたほどです。

そこで登場したのがスカートの穴とダクトでした。

1枚目の写真を見てもらえば分かるのですが、おでこにダクトがつけられた直後のものです。このダクトは正式にはスタビライザーといいます。
このスタビライザー、先輩の781系に装備されていたものと原理は同じです。
列車が進むと風が起こります。風は進行方向と逆に流れますね。その風をダクトで捕らえ、ダクトのRで方向を下向きにして強い風を顔や運転台のガラスに当てることで着雪を軽減や防止するというものです。自然に起きる現象をうまく捉えたものといえるでしょう。

次は穴です。
2枚目の写真はその穴が開けられた時のものなんですが、この写真を見るまで気づきませんでした。
スカートの穴が先に開けられたものと、スタビライザーを先に取り付けられたものがあったんですね。1枚目の写真の編成はスタビライザーは装備していますが、スカートに穴が開いていませんが、2枚目の方はスカートに穴が開けられ、スタビライザーは未装備です。が、取り付け金具が見られますので準備中という感じですね。

このスカートの穴は詳細は不明ですが、空気を流すことで足回りへの着雪を防いだりするのではないでしょうか。でもあんまりかっこよくないですね。

この両方がそろって現在の姿となり、着雪対策が整ったわけです。
穴はともかく、スタビライザーは北海道ならでわの代物だな〜といつも思っています。
ただ、それありきで設計されたわけではないため、やはり「美」という点で見ると損なっているのは多かれ少なかれあるのではないでしょうか。

さて、組み換えの話を前回しましたが、実は組み替え初期には現存車と新車とでシステム上の違いから来るトラブルが相次いでいました。
遅れ込め装置の違いだったと思うのですが、度々特に冬にトラブって臨時で苗穂入りするのを度々見かけました。
その後システムを入れ替えるなどの措置で解決したようですが、新旧のクルマを混ぜて使うとなると何かと問題が出るもんですね。
特に近年の車両はコンピュータ制御が多くを占めるためなおさらではないでしょうか。
実際現場では鉄道車両の整備はピカイチでもコンピュータが入ってくると結構困る工員さんが多いとか。
工員さんは機械屋さんであってコンピュータエンジニアではありませんからね。

2009/02/19(木) インサイト
2月5日、ホンダから新しいハイブリッド専用車「インサイト」が発売されました。今まではハイブリッド車は高いというイメージでしたが、200万をハイブリッド車としては初めて割り込んだ189万からの価格設定という破格値のハイブリッド車となりました。これは部品を他の車と共通とするなど徹底的なコストダウンか行われたためであり、もっとハイブリッドを身近にということで発売されました。ちなみにプリウスでは300万以上ですが、シビックハイブリッドにしても最高で285万までと今までもハイブリッド車としては低価格でした。
が、このインサイトは初めてのネーミングではないのはご存知でしょうか?あまり知らないという方もいるはずですが、インサイトはかつて1999年〜2006年まで生産・販売されていたのでこれが初代インサイトです。
初代インサイトはリッター35〜36km、1LのVTECエンジンを搭載し、空力を徹底的に低減させた独特のフォルムで世界最高の低燃費車でした。
しかし売れませんでした。というのは当時まだハイブリッドというのは新しい分野であり、未知の世界であったため今ほど関心がなかったですし、ガソリンも低価格・安定供給がなされていたためです。なのでホンダでも当時はNSX、S2000などと言ったスポーツカーも同時に多く生産していました。
それよりももっと大きく響いたのは2シーターであるということが決定的でした。また今ほど技術も発達していなかったため、リアもハイブリッドシステム搭載に伴い狭くなり、荷室も狭かったといいます。
さらにデザインも空力優先としたため、リアのタイヤハウスを覆ってしまいました。その結果お世辞にもカッコイイといえるデザインではなかったのです。
こうしてインサイトは不発に終ってしまいました。

しかしこのインサイトはCVT車もありましたが、少なくとも日本車では唯一ハイブリッド車に5MT車の設定がありました。
これは3ドアクーペ、つまりスポーツを意識していたためと思われますが、これは2代目には引き継がれませんでした。ハイブリッドのMT車は大型車を除けばインサイトが最初で最後となるでしょう。

内装もスポーティーなデザインで、S2000を思わせるデジタル速度計なども未来を予感させるものでした。
ハイブリッドシステムはモーターアシスト型のパラレル式、エンジン・モーター式のスプリット式、そして電気自動車の3つに分けられますが、このうちホンダではパラレル式をこのインサイトで導入しました。
トヨタのプリウスは低速や発進時などはエンジンを停止・またはアイドル状態にし、モーターで走行、高速などある程度の速度域ではエンジンが主体となりますが、ホンダの場合エンジンは常に始動の状態で、エンジンを小型でパワフルなモーターがサポートするという方式になっています。
さらにバルブ休止システムなどの導入により、エンジンの必要性のない場合はモーターで発電しながらブレーキ力を得るいわゆる電気ブレーキ、回生ブレーキとなり、エンジンは停止状態となります。

ハイブリッドの方式ではプリウスが現在は市場を占めるためそれがハイブリッドの代表格で、スプリット式が主流となっていますが、実はハイブリッドの効率としてはパラレル型の方がよいとされています。そのためか現在試験中のキハ160型ハイブリッド気動車でもパラレル型を採用しているようです。

ハイブリッド車は基本的に排気量の小さいエンジンを搭載し、モーターでその分を補うのがスタイルですので、エンジン、モーターと分けてしまうと小さなエンジンで大きな車体を動かすことになったり、大きなモーターを積むことで重量が増したりと燃費を問われるハイブリッドとしては燃費を悪くする要素が2つそろってしまっているのです。

ホンダではこのパラレル型をインサイトから採用し続け、シビックハイブリッドや2代目インサイトも同様のシステムを踏まえたうえでさらにエンジンやモーター、電池の改良を行っています。
プリウスの次期モデルが1800ccへとさらに排気量が上がった上、コンセントでの充電やソーラーパネルまで屋根に設置しやっと低燃費を確保しているのに対し、ホンダは排気量こそ1000ccから2代目インサイトでは1300ccへ排気量が上がっていますが、定員が3人も増えた上、すでに発売中のシビックハイブリッドでも同様の1300ccエンジンを使いインサイトでも排気量が増えていないことがパラレル型の効率のよさを裏付けているといえるのではないでしょうか。

現在ではプリウスが今のところハイブリッドの代表格ではありますが、初代インサイトは現在のハイブリッド車の特徴でもある空力を考慮したデザインを最初にやった車とも言え、それを2代目や他社のプリウスまでにも影響をもたらせ、現行型ハイブリッド車の開拓者ともいえるかもしれません。

私もせっかくハイブリッドでMT設定があるので初代インサイトのMT車には乗りたいとは思うんですが、いくらなんでも2シーターは・・・となってしまいます。使い勝手が悪ければそれまでですからね。せっかくのいい車が使い勝手と個性的過ぎたデザインで売れず腐ってしまったため、その反省点を生かし2代目は開発されました。
定員は5人、タイヤハウスの覆いは止め、デザインもスポーティーにしました。ホンダは先代モデルで失敗した場合、同じ名前のクルマでも次のモデルではガラリと装いを変えてくるのが得意なメーカーですからね。その結果価格の安さもあり現在注目の的で、ホンダではトヨタと違い大きな工場で一気に大量に作るという方式はとっていないので、近年では新型車は発売後ボチボチ店頭に並ぶという感じですが、今回は発売前日からショールームに並ぶほどだといいます。今後間違いなくハイブリッド車市場に新しい風を巻き起こすでしょう。
その華やかな場面の背景には、現在のスタイルの基盤になりつつも忘れ去られようとしている初代がいることを忘れてはなりませんね。

2009/02/18(水) 785系の変化3
昨日は785系の変化2として紹介しましたが、今回は3回目です。
前回は編成組み換えの模様でしたが、今回は組み替えによって変わった付属編成についてです。

前回までにも紹介しましたが、785系の増結編成、または付属編成とも言いますが、これは100番台を名乗っていましたし、現在も車番は変わっていません。

付属編成はクモハ785系ー100番台+クハ784ー0番台という編成でした。編成番号はNE−101〜105まで存在しましたが、これを組み合わせたのが以下になります

NEー101+NE−103→NE−501
NE−102+NE−104→NE−502
NE−105は余剰・長期保留車

となります。

違う編成同士の連結でしたので、編成番号が複雑になってしまうため、編成番号だけは500番台という少し変わった付き方になっています。
ただ、721系にはF−1009+F−5001という編成があり、ほぼ固定編成として活躍していますが、1つの編成番号を未だに与えられないところを見ると、この場合はやはり3+3の6両編成の扱いであるということは変わらないようです。これもある意味少し変わった存在ではありますね。

さて、今日の1枚目です。
これは組み替え終了後、781系と交代で旭川→札幌・新千歳を走り始めた時のものです。
これはかなり今となっては貴重なシーンとなりました。幌枠がついたままの785系なんです。これが見られたのはエアポートで入りだしてわずかな間だけで、幌枠はすぐ撤去されてしまったので、何気なく撮ったこのカットが貴重品になってしまいました。
付属編成だけの特徴だったといえるでしょう。

そして次は2枚目です。
これは余剰となったNE−105編成です。
保留となって数年は札幌運転所に放置されていました。
場所は稲穂駅に一番近い留置線で、クルマ止めの枕木がスカートのすぐ下に置かれていました。
写真は札幌運転所公開日に撮ったものなんですが、近くにあった展示車両から中を見たらすでに座席が全部ありませんでした。
また貫通戸が引っ込んでいますが、これは元々ではなく事故にあった編成と交換したそうです。
幕は抜き取られ、時が止まったかのようなこの編成は同じ785系でも魂を感じることが出来ません。
その後苗穂工場へ移動になりましたが、長期保留は変わらず。おそらく活躍中の車両が事故などで激しく損傷したのでその代わりに組み換えをして・・・などということがない限り、本線を走ることはもうないのではないでしょうか。
このクルマはすでに部品取りとなり、自走は全く出来ないそうです。
スーパーとかち用だったキサロハ182と同じく、10年あまりで半ば廃車になってしまった悲運の車両ともいえるでしょう。

余剰になった時から時が止まってしまったこの編成は、今では外見も変わった785系ですが、唯一原型をとどめる785系といえるでしょうね。
何かいい再利用法はないものでしょうか。

2009/02/17(火) 785系の変化2
前回はHIDライト搭載までを追った785系の変化ですが、今回は2回目です。
785系に大きな変化があったのが2002年でした。快速エアポートが130km運転を実施することになりました。快速エアポートには1時間に1本781系の運用が当時ありましたが、130km化によって120km運転にまでしか対応できない781系がこの流れについていけないこととなりました。そこで白羽の矢が立ったのが785系でした。すでに130km運行をしていた785系がここで抜擢されることになったわけです。
しかしこれには編成の固定化が必要でした。721系は6両編成ですが、785系は基本4両ですでに721系に比べ2両も不足上、さらに一部が指定席となるため定員を満たせません。さらに増結がある時間や日によって増結があったりとまちまちでは困ったことになってきます。

また当時すでにエアポートにはuシートが導入されていたこともあり、指定席を差別化するという課題もあったわけです。
そこで編成を見直すこととなり、785系になんとデビュー10年以上経ってから新たな車両が新造されることとなりました。それが現在のuシートです。
さらに編成数を増やすためビックリな方法がとられました。
2両編成の増結編成があったと前回言いましたが、それが抜擢されました。785系5編成分ですから、2両編成が5編成存在しました。それを2+2という組み合わせにし間にuシートを挟み5両とするあまり他に例がない方法で編成不足と増結編成が余剰になるという問題を解決したわけです。増結編成は100番台を名乗っていました。100番台同士がタッグを組むことで2編成新たに登場することになりましたが、それでも1編成が余剰になってしまうという結果も出ています。それが一時札幌運転所に、現在は苗穂工場内に留置されているNE−105編成です。

さてこの組み換えよって現存の編成に新しい車両が組み込みになりました。この車両は0番台編成にはパンタを乗せたモハ784−500、増結編成で結成した編成にはモハ785−500です。

こうして5両編成の785系が登場しました。

1枚目の写真をご覧ください。これは新しいuシートが組み込まれた直後の写真です。これは展示会が開かれた時のものでしたが、大きく変化した785系に関心したものです。まだ車体がビカビカですね。
色こそは785系ですが、質としては別物でまずドアの窓の形状からして異なりますね。パンタグラフは初めてシングルアーム式が搭載されました。

2枚目は組み込み後に試運転をしているシーンです。この光景は組み込みが終った編成から随時行われ、よくこのような試運転を見かけました。
少し画像は縮小をかけたので画質が悪く見づらいですが、ヘッドサインに「試運転」と出ているのが分かるでしょうか。
新車は後ろから2両目になりますが、窓にポリカが付いていないなどの点で識別が出来ますね。この編成は幌枠が付いてますので2+2で登場したNE−500番台の編成ですね。ただこの編成の新車にはパンタが載ってないはずですが、片方がシンパになってますね。
手持ちの写真をみると現在のNE−502編成は両方ともクロスパンタですが、NE−501は旭川方が現存車ながらシンパに交換されているようです。
こうして大きく変わった785系が781系に変わってエアポートで千歳線に入ることになりました。千歳線に入ったのは781系のドア増設工事による車両不足を補う目的ですずらんので入った以来となります。
なお、すずらんの代走では増結編成が2+2で4両編成という組み合わせで運行された経緯があるため、増結編成同士での組み合わせはすでにこの時に存在していたことになります。

この変化により徐々に781系の活躍の枠が狭まったということにもなったわけですね。

2009/02/16(月) V8エンジン搭載車
一般路線車なのにそう思えない音を出して走る、そんなクルマが何台かあるのをご存知でしょうか。
昨日その姿をキャッチしたのでご紹介します。
このクルマはJRバスが1996年に導入したいすゞ+富士重工7Eの一般路線車です。
それまでもいすゞ+富士7EはJRバスに多く入っています。それこそ7Eが出始めた時のロッド式シフト時代から導入されてきていますが、なぜかこの96年車からV8エンジンを積んだ車が導入され始めました。その後も低床、偏平タイヤにモデルが変わった後もV8エンジンで導入されました。おそらくJRバスで自社発注の7EはV8エンジン搭載車が7Eが終焉を迎えるまでの間一部を除いて導入され続けたと思われます。

見た目は普通のバスですが、そのエンジンは一般路線車とは思えないような音で、高速・観光仕様と同じ音を出してパワフルに走ります。
何度か私も乗車したことがありますが、同じ標準仕様の7Eとは別物とも思えるほどです。

台数こそはそんなに多くはありませんが、低床車までV8エンジンを積んでいる7Eは北海道の場合JRバスぐらいしか私は思い当たりません。

ただ、中央バスには何台かロマンス仕様車ならばV8エンジン搭載車が導入されており、メーカーもいすゞだけではなく、日野など他社のものもあります。

バスは同じ車種、同じメーカーでもエクステリアはもちろん、インテリアやメカに至るまで導入する事業者ごとに違っていたり個性が出ていたりするので奥が非常に深いです。

2009/02/15(日) 回転火の粉止め3
SLの回転火の粉止めの話題も3回目になりましたが、今日がラストです。

最後は色々な年代、列車ごとに追ってみました。画像は少し縮小をかけたので荒いですがご勘弁を。サーバーの容量の関係なんですが、使ってみたところあまりにも容量が低いので近い将来サーバーを変えるつもりでおりますのでそれまでの間しばしお待ちを。

まずはおそらく2002年と思われますが、SLデンマークニッセ号です。
207号機ながらこの頃は回転火の粉止めがついていませんね。
この場所は朝里駅近くですが、731系と離合しています。この頃から対向列車が被るかどうかギリギリという状態のようですね。昨年の運行でも対向列車が結構ギリギリで走っていましたので、昔からここは被りポイントなのでしょう。

次に171号機整備中のシーンです。この時はまあ当たり前ですが火の粉止めはついていませんね。ただ列車によってつけたりつけなかったりする171号機ですから付いていない姿は当たり前といえば当たり前ですが、年中付きっぱなしの207号機のものはどうなんでしょうか?検査中でもつけっぱなしなんでしょうかね。私はもしかすると固定式で取れないのでは?とすら思っているのでこう考えたのですが果たして。

そして3枚目です。
これはSLニセコでクルクルパーはついています。じゃなんでこんな当たり前の写真を持ってきたんだ?となるんですが、これは少し様子が違うように思えたので出してみたんですよ。
初回2月5日の記事をご覧ください。湿原号で走る207号機を4枚目で出していますが、この時の火の粉止めと比べてみてください。形状が違うんですよね。写真をあれこれ探してるときにこれを見て「あれ?」っと思ったんです。
さらに例として昨年のSLクリトレのものをご覧ください
http://specially.fc2web.com/photo4/04_097.jpg
これは当サイトの鉄道写真館Wにおいてある写真なんですが、これと比べても一目瞭然ですね。
これは2005年くらい?と思うんですが、この時つけていた火の粉止めはずいぶんと小さく、煙突にマッチし目立ちにくいものだったようです。
煙突の形状をあまり損なっていませんよね。ただ過去のものを見てみるとこの時だけだったようです。
このコンパクトなクルクルパーはダメだったということなんでしょうか。

最初の頃この火の粉止めはどのSLにもついていませんでした。ただある時から付き始めたんですよね。これは以前お話したと思います。
これは年月は確かではありませんが、SLが全国で復帰する中でやはり火の粉による火災が発生した経緯があるそうで、それをきっかけに北海道でもつけ始めたという推測が出来るでしょう。

何気ない部分ではありますが、こうして注目してみてみると年代や列車によって形状が違ったり、ついていたりついていなかったりとなかなか奥が深いものです。

2009/02/14(土) 785系の変化
北海道最初のスーパー特急として登場したのが785系でした。その785系の変化をシリーズで追ってみたいと思って取り上げてみました。

785系は1990年、それまでのホワイトアローを高速化するため、スーパー特急とし、ここに道内最初のスーパーのついた特急列車、スーパーホワイトアローで登場し、同時に運行区間も札幌ー旭川に統一されました。
1990年のデビューですから、来年で20年にもなるんですね。
当時はまだあまり普及していなかったLED表示機を導入し、他に類を見ない形状は新鮮でカッコイイもので、JR化後初の特急型電車にふさわしいデビューでした。
721系をベースに開発された785系ですが、その編成は4両が基本編成で、各編成には2両の増結編成が存在し、混雑時などは6両編成で運行していました。区番台は基本編成が0番台、増結編成が100番台とされました。
指定席は4両基本編成の運行時は4号車の1〜7番が指定席とこちらは当時の快速エアポートと同じ号車、座席番号が指定席になっており、6両編成時は4号車が全車指定席になっていました。
基本編成は座席がブルー系、増結編成が緑系と座席の色が異なっていました。
朝夕のラッシュ時には6両となることが多かったので、その時間帯に札幌ー手稲を2両編成の増結ユニットが回送していたものですし、札幌駅でも増結、開放が見られました。
当時の写真が数少なく、まだ私は一眼レフ移行前でしたので、質の悪い写真しか存在しないのが残念なんですが、それが今日の1枚目です。
これは増結編成が回送されてきたシーンで、HIDライト、スカートの穴、おでこのスタビライザー、スングルアームパンタなどがなく、現在の姿とは少し違いますし、増結編成であるため幌枠が付いているのが特徴です。これが785系の若き頃(?)の姿です。

その後スーパーホワイトアローの他、月曜朝限定に運行されていたモーニングエクスプレスや一部のライラックにも785系が使われていました。また私が以前見たのは、小樽駅に修学旅行の団体列車として入線してきたのを見たことがあります。
785系最初の転機は1999年でした。当時キハ261系が登場し、キハ183座敷もデビュー、カシオペアも・・・という時であまり注目されませんでしたが、NE−1編成(?)の旭川方先頭車にHIDライトが試験的に導入されました。今後普及するのだろうかと思っていたらとんとん拍子に進み、一気に全編成がHIDライトになりました。HIDライトは視認性がよいという特性があり、降雪時などに特に威力を発揮するということでの導入だったようです。自家用車にHIDライトが純正でつくようになったのもちょうど10年位前ですから大体時期は重なってますね。
そして今日の2枚目の姿となりました。また窓のポリカはHID化の前に行われていたようですね。
この写真は6両編成を組んでいるシーンです。今では貴重な1枚となりました。着雪状態に注目してください、現在の着雪状態と違いますね。

意外と4両編成での運行は平日の日中となっていたことが多く、土、休日は結構日中でも6両編成のままで運行となっていたことが多かった気がします。

では続きは後日ということで。

2009/02/13(金) 三菱ふそう エアロミディの色々
今日は三菱ふそうのエアロミディを取り上げてみました。
エアロミディは路線型、自家用、貸切型などがありますが、今回は路線仕様です。

最近は大型バスだけではなく、地域事情などに合わせて中型や小型といった大きさの車両も導入されるようになって来ました。その中の1つがエアロミディとなります。

ではまずは1枚目と2枚目です。
これは道南バス倶知安営業所のクルマです。旧胆振線の代替路線を中心に活躍しています。このクルマは2007年9月に倶知安駅横の倶知安営業所に新車で配属になっています。
札幌ナンバーの範囲で9mのエアロミディMKは今のところ道南バスのこの写真のものと札幌200か2070の2台にとどまっています。
短いイメージが強いエアロミディが長いとユニークな感じがします。
札幌圏のクルマと比較すると、ロマンス仕様にカーテンまで付いているのが珍しいですね。
札幌ナンバー圏といいましたが、室蘭ナンバーの範囲でも道南バスで同じものが入っているようです。

3枚目は中央バスのエアロミディです。
千歳営業所のクルマですが、左側が幕式、右側がLED表示機になっています。当然左の方が年式が少し前となります。
LED表示機と屋根上のエアコン装置の形状と位置以外はほとんど変化がありません。この2台は02年式と03年式となります。
導入当初は5台まとめて千歳営業所に配備されましたが、現在は北広島市内での運行目的に大曲営業所にも配備されています。また小樽方面や空知管内でも導入されています。

4枚目はJR北海道バスのエアロミディです。
こちらは中古での導入で神奈川中央交通から渡ってきた車だそうです。
しかも配備は長沼営業所ということでこれもまた珍しいのではないでしょうか。普通長沼は厚別や手稲、札幌などで一旦使われてから新車でも中古車でも渡ることが多かったのですが、今回は直接導入のようです。
同時に長沼にはワンステップのブルーリボンやエルガなども渡っているようです。長沼は今まで札幌圏の営業所に新車、中古車が入った時、玉突きで余剰になった車を長沼へ転属させていたため、使い古しの車が多く在籍していたのでどうしても同じJRバスでも他の営業所と違ってバスの近代化がワンテンポ遅れていましたが、近代化がここに来て進んでいるようですね。

このエアロミディは1段目のステップが昇降するイージーステップが装備されていましたが、北海道へ渡った時、ステップヒーターを取り付ける関係で取り外されているようです。
このクルマは95年式だそうですが、10年以上前のデザインとは思えないですね。今も変わらず作り続けられているためとはいえ古さを感じません。
昨年末に10台導入されたうち、7台が長沼、3台が手稲の配置となっていますが、手稲の3台のうち2台は料金箱を設置せず、契約運用についているようです。

神奈川中央からの中古がJRへ入るのは、国鉄バス時代のブルドック以来だとの事。現在多く入ってきているのは少し前の都営を初め京急、横浜市営、東武などから中古車が入っていますが、今度はもっと色々な事業者から入ってきて身元を明らかにするのも困難になっていくことでしょうね。
先日このJRバスのエアロミディを見かけたところ、テールのシグナルランプが小さいんですよね。バンパー埋め込み式で別途付いているんですが、車外のリアウィンドウ下についているものは小さかったですし、窓も上下式と近くで改めてみると少し年代を感じるつくりかなとは思いましたが、それでも事業者次第では現在もこういった仕様のものを発注しているところもあるでしょうから、エアロミディは色あせないなと感じました。

ちなみにバスの近代化で言えば、道南バスにも紹介したエアロミディのほかにもワンステップやノンステップの日産+西日本車体のスペースランナーなどが倶知安方面にも導入されています。古い古参車が多いイメージの過疎の町同士を結ぶ地方路線にもバスの近代化が来ているようですね。

2009/02/12(木) セレガGD インターシティ
中央バスの長距離夜行路線仕様として1997年に導入されたのがこの日野 セレガインターシティです。
セレガはFDやセレガR、スーパーハイデッカーのGD、GJなど同じセレガでも色々な種類に分類され、どれがどれだか分からなくなることもしばしばですが、その中でもセレガGDとGJに設定されたのがこのインターシティです。
3列シート、床下トイレ、仮眠室などを備えたもので、そのため車高が高いです。
乗り降りはしにくいかもしれませんが、トイレを床下へ設置したことで定員がその分確保できますし、乗客としては車高が高い分見晴らしはよさそうですね。
という私は乗ったことがありません。

写真の札幌22か2981は中央バスで排ガス規制の1つであるKC−規制車対応車最後の車です。またKC規制車は中央バスでは2台しかありません。

97年のバスですが、あまり色あせないのがセレガだと思ってますし、ましてやGDやGJは今の俗に言うセレガーラよりもカッコイイなと思うのは私だけでしょうか。

このクルマは札幌ー函館の高速はこだて号で走っているようですが、こんなクルマのゆったりとしたシートで揺られて函館へ行くのもワクワクしそうです。
乗客で乗るものいいですが、運転するとどんなもんかな〜なんて思ったりしてしまいます。

2009/02/11(水) キハ283系試作車と量産車
2月2日にキハ281系の試作車、量産車の違いをご紹介しましたが、今回は引き続きキハ283系を追ってみました。
キハ283系は試作車が1995年に登場し、翌年から2001年まで製造されました。
スーパー北斗が登場したのが前年94年ですから、「これはすごい!」というほとぼりが冷めないうちにさらに発展型のキハ283系が登場したことになります。
その後まずはキハ283−901 902の2両で試運転をし、96年に中間車の試作車3両で試運転を繰り返しました。
ちなみにキハ281系の補足ですが、キハ281系は耐寒試験で網走まで入線した経緯があります。

またこれはキハ281系もそうですが、曲線が多いためか新車が登場すると決まって1回は小樽まで試運転で入線するようですね。789系100番台なども深夜小樽まで入っていた経緯があります。

さてキハ283系ですが96年から量産車が登場してきました。
キハ281系は運転台のあるクルマはキハ281系、中間車はキハ(キロ)280とされました。
しかし、キハ283系ではキハ283型とキハ282型の2形式用意されました。が、この振り分けがトイレによる区別とされ、運転台があろうがなかろうが、トイレがあればキハ283型、トイレのないものがキハ282型とされました。そして連結位置により番台区分されていました。これは1編成単位、つまり現在のキハ261系などユニットを組んで1編成とすることを前提にしていたためだそうです。

キハ283系の特徴として新しいのは簡易式運転台が設けられたことでしょう。これはこのキハ283系が初となります。
中間車に運転台があるという目新しい試みは興味を引いたものです。
しっかりとヘッドライト、テールライトのコンビネーションランプがつけられ、簡易とはいえしっかり支援装置などもつけられています。
ここまでしっかりしたものは未だに他に類を見ません。
頭が青いのが特徴のキハ283系ですが、この簡易運転台は中間車の妻面がそのまま運転台になっているのでステンレス色のまま。色気はありませんが、ある意味これが先頭車で来るのを見てみたいものですし、しっかりと特急列車の先頭を勤められるほどの器なんです。

運転開始から乗客数がうなぎのぼりとなり、増結してない時の方が少ないほどの人気ぶりで、飛行機や高速バスを軒並み蹴落としていったため、2001年に形式が見直され、運転台のあるものがキハ283、中間車をキハ282とし、区番台は簡易式運転台のあるものを2000番台としました。また3000番台は簡易式運転台の準備工事を行ったものとなっていますが、これは今後も2000番台になることはないのではないかと私は思っています。
またキハ282−2001だけは苗穂工場でノックダウン方式により落成した車両です。

さてそのキハ283系の試作車と量産車の違いですが、まずスカートの形状が異なります。連結器付近の形状がキハ281系と同じく広く開いたものですが、量産車では連結器部分だけが開口部となっています。
そしてライト周りも異なり、試作車では長方形型、量産車では面取りしたようなRがついた形状になっています。
写真は上が900番台、下が量産車ですが、ライト周りの違いで表情が少し違って見えますね。

また登場から最初の塗り替えまでドア周りにあるライトグリーンのラインが直線ではなく太目の破線でした。現在は量産と同じく細い直線に直されています。
車内では、試作車はトイレのドアが黄色になっており、床やデッキの蛍光灯などに違いが見られます。

キハ283系は空調設備を床下へ移したことでキハ281系に比べると屋根がスッキリしていますが、冬季トンネル内でツララ落下が頻発したため、近年では連結面に金属製のツララ落としのようなものがつけられています。

試作車は当初札幌向き、釧路向きがありましたが、現在は両方とも札幌向きとなっています。

また増結が増えたことで幌枠を全キハ283系につけられるようになり、向きに関係なくきれいな顔が見られなくなったのも1つの特徴でしょうか。

車内での違いは、初代はテーブルが小さめで灰色にツルの柄、ハンドグリップがタンチョウをイメージさせる赤となっていますが、後にスーパー北斗増発に伴いキハ283系が投入されることとなった際に増備されたのはキハ281系に準じた茶系のモケットに車線、ハンドグリップが灰色というもの、そしてその後さらに増備されたクルマでは、テーブルが大きくなり、ハンドグリップは座席耳の部分から背もたれの端面に移っています。テーブルが大きくなったのは使いやすいなと感じましたし、その後で古いタイプのものに乗ると小さいな・・・と感じます。
さらに近年になって座席の載せ代えが行われるようになり、指定席では789系のuシートと同等なものが装備されました。

個人的な感想ですが、キハ283系は確かにあのエンジンのターボの音、加速は素晴らしいですが、車内の防音と小刻みな揺れはなんとかならないものか・・・と思います。小刻みな横揺れは字が書けないほどですし、エンジン音で言えばキハ183系やキハ56の方がずっと静かだなと私は感じました。

2009/02/10(火) 回転火の粉止め2
前回2月5日に取り上げたSLの回転火の粉止めの続きです。
一体いつ頃から着き始めたのかということを少し追ってみました。
まず1枚目の写真は、年代は少し忘れてしまいましたが、SLニセコ運転初年か翌年のものだと思います。
この時は何も煙突についておらずスッキリした姿ですね。少なくともこの時の207号機にはついていないようです。
そして2枚目です。
これは2000〜2003年まで運行された現在のSLクリスマスin小樽の前身であるSLデンマークニッセ号です。
これはたぶん運行最終年の2003年のものだと思うのですが、まだこの時にはついていません。

次に3枚目です。これは偶然撮影できた臨時のSLなんです。
小樽で映画かドラマの撮影をやっており、そこに207号機が使われていたのですが、この時やってきていた207号機にはヘッドマークなし、そしてクルクルパーもありません。
これはおそらく2004年?と記憶しているんですが、1月2月だと思います。
この時にはついていません。というかあえて着いていた時期かもしれませんが取ってきた可能性すらあります。というのは撮影で使われるため煙突に余計なものが着いていては壊しだ・・・ということでつけてこなかったことも予想されます。

でもこれが本当のSLの姿ですね。滅多に見られない姿ではないでしょうか。1度HMなしで走らせてほしいな〜なんて思います。本州で以前1度HMなしでSLを運行したところ大好評だったとのことですし。

このようにSL復活から最低2004年頃までは夏冬通して回転火の粉止めをつけていないようです。

ではこの後は?というのは実は写真を探していたところ、色々とまだ出てきたので次回紹介させていただくことにしたいと思います。別にじらしているわけではありませんが、サーバーの容量が低すぎて・・・。
今回の画像も圧縮をかけていたりするのでかなり荒くなっちゃってて不満なんですよね。早くもサーバー変えようかな・・・。

2009/02/09(月) 目を引くシーン
バスや鉄道は活躍中は当然ですが、その工場やピットイン中のシーンというのもまた興味が沸く場面ではないでしょうか。
今日はそんなシーンを少し集めてみました。
まず1枚目です。
中央バスの江別営業所で見かけた光景です。江別営業所は中央バスの関連会社である第一観光に委託している営業所です。
具体的に何をしているのかは分かりませんが、リアだけリフトアップしています。オイル交換でもしているのでしょうか?下にオイルパンが当ててあるのが見えますね。バスは一体何Kmでオイル交換なんでしょうか。
普段見られないバスのリフトアップシーンは目を引きますね。

ちなみに以前大曲営業所でリアタイヤを低回転させた状態でリフトアップして何かしているシーンを見たことがあります。何をしていたのかわかりませんが、エンジンやミッションなどのオイル交換の後慣らしをしていたのかもしれません。

2枚目は夕鉄バスの営業所で見かけた光景です。洗車をしています。
貸切運用を終え、車列を組んで営業所に戻ってきたバス達はまず洗車場に並び、順々に洗車していました。
最近は塩カリの撒きすぎで車体の痛みがひどいと言いますので、どの事業者も営業所に戻ったらまず洗車というのをよく見かけます。
バスが洗車機に入ってきれいになっていくシーンを見ているのはなかなか面白いものです。
私が小学2年の時に平岡営業所へ授業の一環で見学に行った時、バスが生徒を乗せて洗車するということをやってくれましたが、迫力があって面白かったのを覚えています。

バスは一般車で言うハッチバック系の背中、つまり垂直な背中をしていますので、雪や塩カリを巻き上げてつけやすいんですよね。なので最後一旦洗車機内の指定場所で停止します。すると上からブラシが出てきて背中を洗い流していました。こうして車体の隅々まできれいに洗うことで長持ちさせているんでしょうね。

3枚目は中央バス朝里車庫で見かけた光景です。
ん!?と思ってしまいました。一体どうなってるのかパっと見てつかめなかったんです。リアのナンバーはこっちを向いてますが車体は違うほうを向いているので、どうなっているのか分からなかったんですよ。
エンジン周りをこの時は洗っていたんですが、開くところを全部あけていて、バラバラ状態という感じでした。
ここまであちこち開けている場面はなかなか見ませんよね。
でもよく見るとバスの車体って開くところだらけなんですよね。ぶつけて変形でもしたらあちこち開かなくなってしまったりしないんでしょうか?ピラーにまで開閉部分があったりします。

こうしてバスはきれいにされ、きちっと整備され安全快適な運行を確保しているんですね。

2月絵日記の続き


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