レカ郎写真記
ホームページ最新月全表示|携帯へURLを送る(i-modevodafoneEZweb

2009年3月
前の月 次の月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
最新の絵日記ダイジェスト
2009/03/11 お知らせ
2009/03/10 エルガCNGバス
2009/03/09 エアロバスとエアロクイーンT
2009/03/08 思い出の2000系
2009/03/07 リバイバルおおとり

直接移動: 20093 2 1 月 

2009/03/11(水) お知らせ
当レカ郎写真記は本日より新サーバーに移行しました。
移行先はこちらです→http://cruisin.progoo.com/diary/

2009/03/10(火) エルガCNGバス
今日中央バス平岡営業所で見慣れないバスがいたので、よく見たらいすゞエルガのCNGバスでした。
噂は聞いていましたが初めてのご対面となったわけですが、平岡には画像の札幌200か2378と2377の2台が配備された模様です。
いすゞのCNG車といえば同じ平岡所属のキュービックに1台のみ存在しますが、エルガになってからは初ではないでしょうか。エルガのCNG車は07年にモデルチェンジという形で登場しているようですね。

もう少し後の季節に毎年中央バスでは車両の入れ替えがありますが、今年は少し早いようです。

私が見たときは営業所内で何人も職員を乗せて試乗会のような感じでグルグルしてました。
平岡にこの車両が配備になったのは、前からキュービックと日産+富士7EのCNGバスが配備されており、CNGスタンドがある平岡だからこその配備だったのではないかなと思います。他の営業所には実際09年導入は今のところCNG以外の車が配備になっているようですしね。

この車体、ジェイバス製で日野ブルーリボンUと同じ車体ですが、ブルリUでは最近製造分からライトが1灯式になっていますが、エルガは2段式のままのようですね。
今回導入のエルガCNG車はATミッション、ノンステップでの導入のようです。

ちなみに撮影中、続々とご先祖様のキュービックCNG、日産+富士7EのCNG車共に営業所に帰ってきて3台そろったシーンを見ることも出来ました。
ご先祖様も昔は平岡シュヴァービング専用カラーでしたが、現在は一般カラーになっていますので、このエルガも何年か経った後は塗装が改められるかもしれませんね。

2009/03/09(月) エアロバスとエアロクイーンT
先日札幌操作場で見かけた三菱ふそう同士の並びです。

左が中央バスのエアロバス、右が斜里バスのエアロクイーンTです。
同じエアロシリーズですが、エアロクイーンはおでこが広い感じがしますね。
斜里バスの方は札幌ーウトロの長距離路線バスですが、この路線は中央バスとの共同運行でこの日の夜行便は斜里バスだったようですね。朝出たビンが夕方日没近くに到着する、やっぱり札幌ー知床は遠いんですね。そして北海道は広いんですね。

中央バスの方は現行のセレガーラでお馴染みのセレガSHDが担当しているようですね。

エアロバスと比べるとエアロクイーンの背の高さがよく分かります。位置的にはエアロクイーンの座面はエアロバスの座席背もたれに座ってるような高さでしょうか。

中央バスでは最近は路線向けは折り戸、貸切向けはプラグドアという仕様が主流になりつつあるようですが、やはり折り戸より私はこうした高速仕様車はプラグの方がかっこいいなと思います。

2009/03/08(日) 思い出の2000系
札幌市営地下鉄南北線といえば、今でこそ5000系が主流で、南北線といえば5000系というイメージだと思います。
でも2000系を思い浮かべるという人もいるのではないでしょうか。
私もその1人で、未だに南北線の駅へ行くと2000系が頭のイメージで浮かんでいます。

2000系は製造当初に2両1ユニットで製造されたものは1000系、4両編成で製造されたものが2000系とされていましたが、実際は2両編成での運行はわずかな間だったそうです。
南北線は2000系、3000系は半永久連結の2両1ユニットの編成になってますね。なので先頭車同士で1ユニットの1000系はSLの重連で言うところのトンボと同じ形になるでしょうか。
2000系からは先頭車と中間車、または中間車同士で半永久連結を組1ユニットになってましたよね。

私は幼い頃真駒内に住んでいたのでよく乗っていたのが2000系なんです。ただ子供というのはたぶん新しいものの方が好きという傾向があるのではないかと思うんですが、私も当時珍しかった3000系が来るとうれしくて、よく3000系が来るまで親と待ってたものです。とはいえ、2、3本待っても来なかったらそれまでだったんですけどね。
考えてみればその頃から「鉄」だったんでしょうね。

小学3、4年から一人歩きをするようになってからは、だんだん2000系が好きになり、そして奥が深いことが分かってきました。
同じ2000系でも内装が若干違ったり、4+4で間に中間先頭車があったり、化粧版が違ったりといろんな違いがあったんですよね。
中でも私が好きだったのが少し黄色がかった木目調の化粧版の車両でした。

ボギー台車ではなかったので乗るとガタガタと振動するのがいかにも・・という感じでしたし、あの狭い乗務員室もなにか魅力を感じましたし、客室から窓越しに助手席側の前面展望が出来たのも魅力の1つでした。

私の見た中では、確か中間先頭車のあった編成は2編成存在したと思うのですが、中には1000系だけの2+2+2+2で中間先頭車が何個もあるという編成もあったそうですね。それはちょっと見てみたかったです。
中間先頭車の乗務員室窓が青や黄色になっていて目隠しされているという部分も妙に魅力を感じたものです。

そんな2000系も全廃してから10年以上が経ち、会いたくても会えなくなってしまいましたし、人々の記憶から忘れ去られようとしているのかもしれません。でも駅へ行くと乗り換え案内板などは未だにイラストが2000系だったりするんですよね。
北海道最初の地下鉄車両だった2000系ですが、札幌の地下鉄は屋根を弱く作ってあるため展示保存などは難しいそうです。そのため会いに行くとなれば唯一保存されている車両しかないわけですが、それが自衛隊前駅近くのシェルター下にある交通資料館です。
ここには唯一屋外保存の利く1000系が2両1ユニットで保存されています。
実はかなり昔ですが、交通資料館の人が中へ入れてくれたことがあったんです。
2000系が全廃した後のことで、全廃から数年しか経っていないのに大変懐かしく貴重な体験をさせてもらったのを覚えています。車内は誇りまみれでしたけどね。
是非車内の公開を行ってほしいな〜と思うんですが、心無い人が多い現代ではかなわぬ夢かもしれませんね。

絶対無理でしょうけど、いつか何かの記念イベントで整備されなおして本線上を颯爽と懐かしい音を響かせて走る姿は見られないものでしょうか。
この保存車両は1000系のトップナンバー、1001+1002で、8両編成化され2000系に形式が統一された後は2020+2420のナンバーをつけていたようです。先に述べた1000系ばっかり2+2+2+2の編成番号が20編成だったそうですので、この編成内にいたということになりますね。
20編成は1985年に3000系の03編成と置き換えになって廃車になっているようです。3000系があと数年で全廃なんていう話がある中、3000系と置き換えになったというのは、20編成の話は相当昔ということになりますね。

今日の写真は唯一保存されている1000系です。いや〜この姿は何度見ても懐かしいですし、子供の頃の記憶がよみがえるようです。

2000系がなくなった当時、全然全廃なんて考えもしなかった東西線6000系も全廃してしまいました。2000系の全廃から時がそれだけ経っていたということなんでしょうね。

2009/03/07(土) リバイバルおおとり
今月ツアーでキハ183系を使ったおおとりが運行されるようですがね。
ということで以前運行された時の写真を引っ張り出してみました。
やはり国鉄色にこのヘッドサインはいいですね。そもそも現在のヘッドサインはLEDだったり、絵ではなくロゴマークがあしらわれているものが多いので、列車名やご当地ネタを想像させる絵柄入りはいいものですし、列車にも愛着がわくように思います。

気がつけば国鉄色キハ183系が復活してずいぶんと時がたちますが、気のせいか秋〜初春にかけてこうしたリバイバルが多いように思います。

今回のツアー、はつかりーおおとりのリレーだそうですが、まだ正式には何とは発表になってない気もするんですが、おそらくおおとりは国鉄色車でしょう。しかしはつかりはとなると残念ながら唯一青函を通ることが出来た国鉄色485系が赤べえになってしまったので存在しません。ということで3000番台が使われるようですね。でも昔おおとりのあった時代は青函トンネルなんてありませんでした。なのでせっかく再現するのであれば、私としては国鉄色485か583系で青森までやってきた後、青森ー函館はフェリーなんてのはどうかな?と思ったんですよね。青函連絡船とまではいきませんが、これならばそこそこ再現になるはずです。
でも1つ疑問だったのが「なぜおおとり?」ということだったんです。
青函連絡といえば私のイメージではおおぞら、もしくは北斗や北海なんですよね。そしてもう1つ「なぜ網走行き?」だったんです。
最東端でも最北端でもない網走をなぜ目指すのか少し謎に思えたんです。
贅沢はいえませんが、やはり再現するのであれば、何か強い目的を持ったモノの方がいい気がするんですけどね。
それとリバイバル列車って大抵は本州からのツアーで走るんですよね。なのでリバイバル列車はいつも道内のファンの多くは指をくわえて見てるか撮り鉄に没頭するしかなく、いつも車外からしか参加できないんですよね。でもたとえば「おおぞら」とか「北海」だとか「おおとり」だとかいう列車をリバイバルで走らせたとき、一番受けがいいのは一番身近な道内のファンではないでしょうか。少なくとも私はそうです。

全然縁のない地域に住んでる人に声をかけて呼び込んだところで思い出に浸るわけでもなく、懐かしいわけでもなく、ご当地ネタが分かるわけでもなくなわけです。なので道内のファン向けに何かリバイバルツアーを企画したらすごく受けがいいと思うんですよね。もっと言えば、道内のファンを車内に入れてくれませんか?ということなんです。いつも道内のファンは蚊帳の外ということが多いですからね。
懐かしんだり、ラストランだと惜しんだりを一番してくれて感動してくれるのが道内のファンであり地元住民だと思うんですよ。そうすればJR北海道の好感度も上がるはずでは?と思うんですよね。そうすれば料金収入ばかりではなく、金では買えないものを運行する側もお客となる側もやり取りが出来るんではないかと思うんですよね。

ということなんですがJR北海道さん、いかがなもんでしょうか?

さて今回のリバイバルのダイヤ、実はまだ私は把握できていないんですよね。北斗星並みに時間をかけて網走まで向かうということは分かっているんですが、どのルートでどの時間で走るのかが分かりません。というかだんだんツアー自体があるのか否か心配にすらなってきました。運行まで2週間、その実態はいかに?

2009/03/06(金) バスのホームライナー?
鉄道には運転所ー始発駅を回送する特急車両を通勤時間帯に客扱いをするホームライナーが存在します。多くは運賃プラス100〜300円程度の料金で特急型車両に乗れるというお得な列車ですが、バスにも似たようなものが存在するんです。
中央バスに存在するものですが、ホームライナーのようなものとはちょっと違ったものではありますが、回送を兼ねてということを考えれば似たようなものでしょう。
写真は昨日見かけた一般路線に入る三菱ふそう エアロバスです。このクルマはエアロバススタンダードデッカーというらしいですね。
トイレなどがついていないタイプですから、空港連絡バスや札幌から比較的近郊の地方を結ぶ路線で使われる車です。

このクルマが昨日夕方の一般路線に入っている場面を見かけました。
朝や夕方、高速バスや定期観光バス、リンクルバス(現在は札幌散策バス)など様々なクルマが回送を兼ねて一般路線に入るようですし、日中でも少しくたびれたこうした高速仕様のバスが一般路線に入っているシーンをよく目にします。
特に私がよく見るのは、札幌ターミナルー航空管制センターの路線で見かけます。航空管制センターの路線は確か北営業所の管轄なはずですが、北営業所がセンターに近く、また北営業所といえば高速車が多く所属する営業所ですので、回送を兼ねた路線運用なんでしょうね。

通勤時間帯にこうしたバスが来るのはトップドアで乗り降りしにくいですし、通路も立ち席など想定していないバスで狭いのでちょっと・・・と思いますが、座れさえすれば快適でしょうね。
くたびれた古参車などがこうした路線に多く入りますが、セレガーラの名でお馴染みの現行のセレガ、ガーラ、エアロエースなども新車の段階ですら入るようで、私も何度か見かけたことがあります。

空いてる時間帯にこうしたバスが来たらラッキーですね。
中央バスの他は?となるとちょっと思いつきません。私が知る範囲ではJRバス、夕鉄バスでは一部あるようですが、中央バスのようによく見かけるという感じではないみたいですし、花柄が描かれている定期観光車まで入るというのは珍しいですね。

画像は東18系統 北24条駅行きで入っているようですので、東営業所か北営業所所属車なんでしょうかね。ちゃんとLEDで表示されているのも突発的に入っているわけではない証でしょうか。

他に私が知る範囲では、平岡営業所ー札幌駅や大谷地駅ー平岡営業所や西岡4条14丁目ー札幌駅などがあるようですが、定観車が入るのは西岡営業所に定観車は所属してますので、西岡ー札幌駅の路線のようですね。

2009/03/05(木) 785系の変化8
785系の変化、8回目の今回でラストです。

さて、前回はリニューアル云々という話でしたが、てっきり私はリニューアルの段階で、へたってきたからだとしか思っていませんでした。しかしその翌年ぐらいに781系の総辞職、そして789系1000番台への置き換えということが発表になりました。そしてスーパーホワイトアローとしてデビュー以来走ってきた785系ですが、781系のライラックと共にスーパーホワイトアローの名も消えることとなり、新しく公募で決まったスーパーカムイに生まれ変わるということになったわけです。

そしてそのSカムイ用に製造されたのが789系でした。こうして導入された789系1000番台は内装が785系のリニューアル後の車内にそっくり。ようするに、スーパーカムイで785系と789系が共通運用となるため、リニューアルを兼ねて785系を789系に合わせたという感じになるわけです。
こうして2007年10月に登場したのがSカムイというわけですね。

そして781系無き後に781系が運用していたもう1つの列車「すずらん」がありますが、ここには久方ぶりに785系が正式にすずらんを引き継いで走ることになりました。
以前ここで紹介しましたが、785系はかつて781系のドア増設工事で運用離脱をしている時、キハ183系と共にすずらんで代走していたという経緯がありますが、ここに来て正式にすずらんとして走ることになり、室蘭にまで顔を出す車両になりました。
781系はライラック編成、すずらん編成と分けて運用されていましたが、785系になってからは共通運用となり。同時にすずらんにもやっとuシートが登場することになったわけです。
またすずらんも130km運行を行うようになり余裕が生まれたため、新たに沼ノ端にも停車するようになりました。
東室蘭までの間、同じ線区を走る北斗系列に比べるとL特急とはいえ、同じ特急ながら、北斗系列が止まらない沼ノ端、白老、幌別、鷲別にも停車するため、沿線住民にとっては北斗系列よりも利用しやすいかもしれません。

さらに東室蘭ー室蘭は普通列車として運行されるため、uシートにも指定席料金なしで利用できるということになっています。

こうして元々は旭川ー札幌のスーパーホワイトアローで走っていた785系はここ数年で内装も外装も、そして運用も室蘭やホームライナーで小樽まで顔を出すようになり、北海道の電化区間全てで見られる幅広い車両となったわけです。
その785系もまもなく20年目、あと何年北海道を走り続けてくれるでしょうか。

では今日の写真ですが、1枚目はすずらんといえば・・・ということで室蘭駅と室蘭の測量山とのショットです。これですずらんとわかりますよね。ヘッドサインが小さく写りにくいので識別しにくく、こんな写真を選んでみました。
2枚目はスーパーカムイの運用に就いているシーンです。ヘッドサインが貫通戸のところについていたらまた印象が変わっていたでしょうね。
選んでから気づきましたが、どっちもNE−3編成ですね。

以上長々と8回まで引っ張ってしまいましたが、785系の変化ということで追ってみました。

2009/03/04(水) DD51 1068
先日はDD51 1006の話題をご紹介しましたが、もう1機注目の機関車があります。DD51 1068号機です。

この機関車は特に特徴はありませんが、星ガマで道外に、そして海外に旅立った機関車の1つなんです。
この機関車も昨年あった譲渡輸送で本州へ渡った後ミャンマーを目指すことになったわけです。
一部ではまだ出国できていないとの情報もありますが、であればこのまま留置が続いた末、かつての50系客車のように結局その場で廃車・解体とならなければいいなと思います。譲渡後、異国で痛々しい姿になって走っている姿を何かの拍子で見るのもなかなか切ないですが、散々活躍した北海道ではなく、見ず知らずの土地で譲渡にもならずで解体になるというのはもっと切ないものです。

ミャンマーは近年日本から数多くの車両が渡っていますが、ミャンマーでCR70やDD51、24系やキハ183系が顔を合わせながら走っているシーンなんて見てみたいものです。
しかし日本とは比べ物にならないほどの治安の悪い国だけになかなか難しいでしょうね。

今日の1枚目はちょっと微妙な写真ですが、北斗星ニセコスキーを牽引しているDD51 1068号機、2枚目は北斗星の本務機として走るDD51 1068号機です。

2009/03/03(火) 中央バス 三菱ふそうエアロスター
中央バスでは96年導入の路線車は4メーカー全てが大型ショートでの導入でした。
その中でも初登場だったのがこのエアロスターです。
このエアロスターは現在はニューエアロスターと呼ばれていますが、三菱ふそうエアロスターの2代目モデルとなります。
そのニューモデルが大型ショートの中型で導入されたのが中央バスとしては初導入となったわけです。
というより、中央バスではこの型のエアロスターは今のところ大型ショートの方が多いのではないでしょうか。
というより、三菱ふそうのリコール隠しを境に中央バスではふそう車の導入が少ない気がします。最近では見かける新しい車はジェイバスボディーか日産 スペースランナーばかりですからね。

このエアロスターは96年に導入開始後、97年にも導入されました。画像のクルマは97年製となりますが、97年になって標準型のエアロスターも導入されました。
その後札幌200ナンバーになってからもボチボチ導入されていますが、導入当初に比べて窓枠が銀サッシになり、シートも青系のモケットとなんとなく安っぽく見えてしまうんですよね。

なおこの2代目エアロスターは札幌ナンバー圏では中央バスが最初に導入しました。
JRバスにもこのエアロスターは在籍していますが、引き戸、ツーステップに標準タイヤというのが最初の導入でした。
初めこのクルマを見たのは後姿でした。上には横にテールライト、ウィンカーが1個ずつ並び、さらに下には縦型にシグナルランプとバックランプがつくという今までの中央バスにはなかった姿でビックリしたのを覚えています。

以前はモデルチェンジなどがあるたびに新鮮で感動や驚きがあったものですが、今はどのメーカーを見ても同じ車体やクルマそのものをメーカー間でやったりとったりで名前だけ違うという感じですから、新鮮味などといったことはあまりなくなってしまいましたね。

2009/03/02(月) 785系の変化7
785系の変化、今回で7回目です。
今日は中間先頭車の変化を追ってみました。

何度かこのシリーズでも述べましたが、785系が現在の5両固定編成になった時、編成数を増やすために付属編成を使った5両編成が登場しました。
2+2+uシート1両となったことで中間先頭車が登場したわけですが、その後しばらくの間はそのままの姿でした。が、後にNE−501編成からスカートが撤去され始め、NE−502も後にスカートが撤去されました。

785系リニューアルがあった時、そのリニューアル前後あたりでついにこの中間先頭車は先頭車機能を失うことになります。
1枚目と2枚目の写真を比較してみてください。
上が施工前、下が施工後です。
下の写真では運転室のドアが埋められてしまっていますね。客室側のドアもリニューアルで交換されています。

すでにこの中間先頭車は先頭車としての機能を失っていると聞きます。すでに分類上は「クハ」ではないのかもしれませんね。よく見ると側面の「SN」表示も消滅しているようです。

2009/03/01(日) DD51 1006号機 その2
昨日の続きで今日もDD51 1006号機です。

昨日は扇風機カバーの違いでしたが、今日はラジエータカバーです。
ちょっと見えにくいかもしれませんが、1枚目の写真は事故前、つまり大破して大改修される前の姿になります。
丸の部分を見ていただくと分かるのですが、3つに仕切られていますね。後ろの補機と比べてみても屋根上の扇風機カバーの違いが分かるでしょうか。

で、1枚飛んで3枚目をご覧ください。これはDD51を横から撮ったものですが、丸をつけた部分が2つに仕切られているだけですね。これがDD51の1000番台をつけている機関車の姿なんです。

ちょっと分かりにくい違いですが、この1006号機だけはなぜか500番台の古い型だったんですね。

ちなみに2枚目は私所有の写真では枚数が少ない札幌向きの面のものです。こちらも扇風機カバーなし、ラジエータカバーフィルタが3枚になってますね。

星ガマで唯一古い形をしていたDD51 1006号機、事故という不幸に見舞われた中、奇跡の大逆転で復活してきたカマでしたが、譲渡先のミャンマーでもあの力強いエンジン音を響かせて頑張ってほしいものですね。


 Copyright ©2003 FC2 Inc. All Rights Reserved.