|
2009/03/08(日)
思い出の2000系
|
|
|
札幌市営地下鉄南北線といえば、今でこそ5000系が主流で、南北線といえば5000系というイメージだと思います。 でも2000系を思い浮かべるという人もいるのではないでしょうか。 私もその1人で、未だに南北線の駅へ行くと2000系が頭のイメージで浮かんでいます。
2000系は製造当初に2両1ユニットで製造されたものは1000系、4両編成で製造されたものが2000系とされていましたが、実際は2両編成での運行はわずかな間だったそうです。 南北線は2000系、3000系は半永久連結の2両1ユニットの編成になってますね。なので先頭車同士で1ユニットの1000系はSLの重連で言うところのトンボと同じ形になるでしょうか。 2000系からは先頭車と中間車、または中間車同士で半永久連結を組1ユニットになってましたよね。
私は幼い頃真駒内に住んでいたのでよく乗っていたのが2000系なんです。ただ子供というのはたぶん新しいものの方が好きという傾向があるのではないかと思うんですが、私も当時珍しかった3000系が来るとうれしくて、よく3000系が来るまで親と待ってたものです。とはいえ、2、3本待っても来なかったらそれまでだったんですけどね。 考えてみればその頃から「鉄」だったんでしょうね。
小学3、4年から一人歩きをするようになってからは、だんだん2000系が好きになり、そして奥が深いことが分かってきました。 同じ2000系でも内装が若干違ったり、4+4で間に中間先頭車があったり、化粧版が違ったりといろんな違いがあったんですよね。 中でも私が好きだったのが少し黄色がかった木目調の化粧版の車両でした。
ボギー台車ではなかったので乗るとガタガタと振動するのがいかにも・・という感じでしたし、あの狭い乗務員室もなにか魅力を感じましたし、客室から窓越しに助手席側の前面展望が出来たのも魅力の1つでした。
私の見た中では、確か中間先頭車のあった編成は2編成存在したと思うのですが、中には1000系だけの2+2+2+2で中間先頭車が何個もあるという編成もあったそうですね。それはちょっと見てみたかったです。 中間先頭車の乗務員室窓が青や黄色になっていて目隠しされているという部分も妙に魅力を感じたものです。
そんな2000系も全廃してから10年以上が経ち、会いたくても会えなくなってしまいましたし、人々の記憶から忘れ去られようとしているのかもしれません。でも駅へ行くと乗り換え案内板などは未だにイラストが2000系だったりするんですよね。 北海道最初の地下鉄車両だった2000系ですが、札幌の地下鉄は屋根を弱く作ってあるため展示保存などは難しいそうです。そのため会いに行くとなれば唯一保存されている車両しかないわけですが、それが自衛隊前駅近くのシェルター下にある交通資料館です。 ここには唯一屋外保存の利く1000系が2両1ユニットで保存されています。 実はかなり昔ですが、交通資料館の人が中へ入れてくれたことがあったんです。 2000系が全廃した後のことで、全廃から数年しか経っていないのに大変懐かしく貴重な体験をさせてもらったのを覚えています。車内は誇りまみれでしたけどね。 是非車内の公開を行ってほしいな〜と思うんですが、心無い人が多い現代ではかなわぬ夢かもしれませんね。
絶対無理でしょうけど、いつか何かの記念イベントで整備されなおして本線上を颯爽と懐かしい音を響かせて走る姿は見られないものでしょうか。 この保存車両は1000系のトップナンバー、1001+1002で、8両編成化され2000系に形式が統一された後は2020+2420のナンバーをつけていたようです。先に述べた1000系ばっかり2+2+2+2の編成番号が20編成だったそうですので、この編成内にいたということになりますね。 20編成は1985年に3000系の03編成と置き換えになって廃車になっているようです。3000系があと数年で全廃なんていう話がある中、3000系と置き換えになったというのは、20編成の話は相当昔ということになりますね。
今日の写真は唯一保存されている1000系です。いや〜この姿は何度見ても懐かしいですし、子供の頃の記憶がよみがえるようです。
2000系がなくなった当時、全然全廃なんて考えもしなかった東西線6000系も全廃してしまいました。2000系の全廃から時がそれだけ経っていたということなんでしょうね。
|
|
|
|