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2019/04/12(金)
パレット置場
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生きて行く自由
部屋の窓を開け放ち空を見る。そのまま何もする事がなく、こうしてもう何時間も机の前に座っている。私の部屋では、その開け放した窓の所が一番明るいのだ。 いつも同じ様な事を考えている。産まれて来てしまったから生きている。 誰もが、科学とか文明とか言ってしたり顔に生きているからと言っても、特別人間が偉く出来ているわけではない。 霊長類だとか何だとか威張っている方が、ちゃんちゃらおかしくて、おととい来やがれってなもんだろう。 本能的に取る行動なんてものは、この世に生息する動物がやらかす行動には見出せない何て事はありゃしないのだと思う。 生きる事、生命を保って行く事、こいつは共通した欲望のために生きているに過ぎない。 この原則に外れる行動なんてありゃしないし、また取れるものでもないだろう。 人間生きている限り、常に頭の中に自由な幻想を持ち、その幻想の中を泳いで行かなければ生きて行けないのかも知れない。自由に生きようとする事、生の躍動を束縛されない行動を選択する事、そこにこそ自由が生まれるものだろう。 その行動を選択する意志こそが自由であり、自由意志と呼ばれるものだろう。 自由意志というのは、選択すると言う行動の持続を言い、持続させて行く事自体を現わすのだろう。 その自由とは行動の多様性を言うのであり、制限された行動は制限された分の自由しか生み出せない。やはり、生きて行くと言う事は制限されたものの中でウロチョロしているだけの事かも知れないし、生きると言う事の裏には解決出来ない不可能と言うものが潜んでいるだろう。 この世の中に生活して行く上で、日常の生活上で、無闇に好き嫌いをしてあれがいい、これがいい、あれはいけない、これはやってはいけない、といった社会的慣習の色メガネをかけたものの見方に成りがちだが、それは一方の方向から視線を向けた、カラクリ芝居に過ぎない。 一方向から視線を向ける事に依ってなされる行動は即ち、日常生活のマンネリ化に慣れ、それの影響と保護によって生きている大根役者に過ぎないだろう。 (了)
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