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2019/04/19(金)
セブンイレブン
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生きる幻影
生を生きる事、、産まれてしまったから生きている事、それを邁進しようとする猛烈な心。そこにこそ自由があると言えるのかも知れない。がしかし、自由自由と言っても現代社会で生活している以上、限界があるだろう。 生きている事の中で、自由を要求する事に常に飢えている事、現在の社会での限界の壁に向って衝突して行く事、そして突き当たる事に嫌と言う程意識を目覚めさせなければならないだろう。 生の極地、技巧の極地、陶酔し己で己に嘘をついて行く。他人を騙すだけでなく、己自身も騙す。次第にもう嘘と感じられなくなり、感じられなくなった矛盾の中にどっぷりと浸る。 それもまた自由と言うものであり、生きると言う事なのだろう。 生きている事の中で、この自然の世界では良い事も悪い事もなく、利他主義的なものも利己主義的なものもない。 そこにあるものが、全て善であり悪であり、利他であり、利己である。生きるために、生を遂行するために役立てる一つの手段である。 この世の幻影を自分の意のままに操り、駆使する人こそが真の自由人だと言えるのではないだろうか。 生活を獲得しそれを消化して一切に幻滅し、そして全ての事の幻滅を確信して、幻影を最早イリュージョンとして享楽して、消費出来る人こそが自由な人であり、自由な意志を持ったと言う事だろう。 そして、生きると言う事は産まれてしまったからであり、生きている限りは生を享楽しなけらばならない。自己を享楽するためには、この世のもの全てを自己の苦悩を通して道具とし、手段としなければならない。 全ての物事は生の拡充の、また刹那における、生きる事の欲望を満たしてくれるための手段と道具であって、世の中で言われる何々などのお題目のためのものではない。 そして全ては赤ん坊が玩具を欲しがるのと同じ様なものでなければならないだろう。 (了)
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