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2018/12/02(日)
誠実さと絶望
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誠実さと絶望
私は酒のゆえに病気になり、一時的にではあるが生死の境をさまよった。 もとの気質が陰なものであったが、今回の事で余計拍車がかかった。 私の心はくじかれた。 「もういやになってしまった。」 何度となく人に会うたびに言った。ついに車は坂を上る努力をやめて、ずるずる坂を下るがままに任せる事になってしまったのである。老子ではないが、(我レ独リ無為ニシテ、社会ニ養ワレンコトヲ希イ願ウ)気分が陰鬱も極まり、他人と向き合っても不快にさせるだけになってしまった。もう二年ほども仕事をしていないのだ、いまさら元の仕事には戻れまい、そして私は空想の世界に生きる事にした。 数千年来世界のあらゆる人間が抱いていた不思議な夢、たとえば空を飛ぶ夢・物言う機械の夢・自動で走る車・ものの像をまる写しにする夢、かつては、その他さまざまな錬金術師のミステリアスな夢だったものが大方現実化しつつある。もっと夢を!陰鬱だったこの私の転機になるかも知れない。人類の歴史が始まって以来、科学の発展こそ人に衝動を与えるものはない。よく人々は、一度絶望したところから本物の希望が沸いて来るなどわかったようなわからぬような慰め?の言葉を投げかけてくれるが、要するに、その希望から科学や文明の発展もある、と言いたいのだろう。 自分自身すらを動かせない自分が自分の運命だという認識(絶望)から、どんな希望を生み出せるのだろう。現実的な自分がいて、ただこの場所に忠実にたたずんでおく以外に、努力のしようがないことになる。、それこそが他に対する誠実さの努力の表現になるのだ。 「サンセバスチャン」の像に象徴される不屈の精神、不幸にして出遭ってしまった時代と狂信によって圧迫されても思考上の真実を曲げなかった「火刑上の誠実」それらに対する価値を私は今一度、静かに確信しようとしているのである。 (了)
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