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2019/03/26(火) ダイレクトワン
          ある死 2 
          
 ある時、彼と一杯飲み屋で出会うと、彼はもうだいぶ酩酊していたが、私の方を見ないで宙に眼を据えて、こんな事を言った。
「真剣な女遊びは、不思議なもので、まるで登山をしているみたいですね。」
その言葉を今思い出したというのは、最近愛読した登山記が二つあったからである。
ウィムパーの「アルプス登攀記」と、ベヒトールトの「ナンガ・パルバット登攀」とだ。両書とも一気に、夜を徹して読み耽った。そして読後に変な気がしたのは、信念にまで高まった情熱の前には、如何に人の命が安価であるかという事、言い代えれば、ある場合には生命などは問題でなくなるほどに、情熱が信念にまで高まるという事である。勿論ここでは大自然の中においてであるが、そのある場合は、我々の日常生活の中まで延長して来ると思われる。
そしてこのある場合というのは、情熱それ自体がそうである様に、必要以外のものなのである。時としては、常識的には至って下らないものなのである。
 必要というのは、喉の渇いてる者にとっての水、腹の空いてる者にとってのパン、性欲に飢えている者にとっての異性の肉体、無一文な者にとっての金銭、そういうものの事である。
ところで、我々にとって、必要なものは単に必要なだけだけであって、それ以外の何物でもない。我々が本当に欲しい物は、別にある。「今何が一番欲しいか。」と尋ねられたら、大抵の場合――全ての場合と言えないほど我々は必要なものに不自由しているのを悲しく思うが――大抵の場合、直接に必要でないもの、しかも多くはつまらないものなのである。
 例えば私の経験から言えば、最大級に最も欲しかったものは、ある時は、不吉な因縁話のからんでいる小式部人形だったし、またある時は、四五尺の大きさの鳥の剥製だったし、ある時は、幽霊が出ると言う青江の妖刀だったし、またある時は、ちょっと奇異な形をした自然石だった。つまらないものばかり欲しがってる奴だな、と言うのを止めて貰いたい事には、私はそんなものさえ買えないほど貧しかったし、差し迫って数千円か数万円かが必要だったのであるが、その困窮の中でも最も欲しいのは先の様なもので、それを見に行き、始終空想していたのである。
ただ幸か不幸か、その欲望が情熱にまで昂じなかっただけのことだ。とは言え、それは単なる人形や剥製や刀や石でなく、無限の拡がりを持ち得るある物だったのだ。
                  (続)


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