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2018/11/28(水) 足跡
      小さな絶望から
  
 人はよく、古来から日本人の中に幾人かいる思想の闘士には老荘思想があるなどと言うが、老荘思想よりわれわれに必要なのは、まず仏教思想を理解する事である。もちろん寺社を奉れ、坊主を尊敬せよなどと言うのではなく、現代日本人の「観念」の中にこれを封じ込めることを薦めるのだ。
 西洋人、とくにドイツ人は観念的な思索を好み、思索し哲学する事と実生活を切り離す習癖を持っているが、日本人には、思想の一環というものが薄れてきていると感じられる。ある彼が、彼のあるがままに忠実に生き、純粋に彼の(もの)だけを奔放に撒き散らす彼が果敢な個性の持ち主であれと思う。
これが、仏教で言う即身成仏であり、ただ自然の状態である。
毎日起こる小さな絶望のうちにも生を熱愛しつつ自由を愛し、彼は時に憤慨し、皮肉交じりに言葉を吐き、狭くも快適な身の置き処を探す。いわゆる自我主義である。それから脱却しもう一歩足を前に進めることから仏教思想の中枢へ入って行ける。
 仏教思想とは(因果)であり(自我は永遠不変の存在では無い)という事である。
人間を動かし奴隷にし、人間を悩ますこの世のすべての観念といえども、われわれの個人以上の力は持っていない。
古代、日本に仏教が公に伝わる以前、仏教を信仰していた時期には未だ、当時のいわゆるエリートのものだったかも知れず、本尊をあがめる偶像崇拝だったろう。その後の渡来僧によって広まったものの、すぐ国家によって認められたものではない。
 個人自身の精神のうちに小宇宙を作り、自身の喜びのための観念を作り上げるためにはお望み次第になんでも取替える事も、無視する事も可能なのだ。こうなるともう、国家といえどただ個人と戯れるペットに過ぎない。
 国家や政府はは多くの人々に支えられ彼らにとって尊ぶべきで、怖るべきものと観念されている。彼らはそれを{我が祖国}と呼び、魔術にかかったかのように酔いしれ、ふだんはピンで傷つけもしない友人さえも殺しにかかる。大抵の人は彼らの観念(魔術のような)の虜になって、理性を失ってしまう。
全てを捧げた観念への犠牲になって、自らを破滅させるまで戦うだろう。過去を見よ、歴史を見よ。
 その点、傍観者で理性を保てる者はと言うと、なんの観念も持っていない、{国家}になんの崇敬も払わない、{政府}はただ一組の人間集団、金好きのばか者の集まり、金と利権に群がる乞食の集まりである事を知っている。国家が彼を侵略し、自由を剥奪するなら、しかし国家が彼と対抗するほど強くないなら、彼はできる範囲で忽然とその姿をくらませるだろう。
なぜなら彼は異邦人だから。
                                                       (了)


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