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2018/11/30(金)
アベ政治
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私には信念がない
ものを書くには信念がないといけないとよくいわれる。普段からよく考え、心に叩き込んでおき、さあ書こうという時に急に出てくるものではなく、スッと出てくるものだといわれる。私にそういう才があるかどうか、それはわからない。 有名になりたくて書いている人や、金をもうけようと思って書いている人、○×賞を目指して書いている人もいるだろう。みな立派といえば立派だし信念といえば信念といえるのだろう。それはそれでいいのだと私は考えている。 この世に生を受けてしまった限り、爪あととしてなにかを残しておきたいというこころは確かにある。とはいっても、毎日の生活のなかでやみくもにジタバタしていてもしようがない。なんてことはない、ひとり相撲で土俵をわる、とどのつまりはおきまりの結果がおちで、一生懸命に書いたからといって世の人々が認め、拍手喝采してくれるというものでもなく、自分の過信がバレてたいへん恥をかくのだ。 私は他人の書いたものを読んで、その才能をうらやんだり、自分の書いたものの才能のなさに絶望したり、髪の毛をかきむしったりするようなことはない。ということは、私には執着とか信念というか、書くときの覚悟といったものがないということかもしれない。 これが私の主義だとか、これが私の信じる宗教だと、居直られたら厄介だ。誰も、他人の主義主張や宗教を変えろなどと押しつけるものではない。 私には小難しいことはわからないが、最近の世の中をみると、それぞれの考えかたが固定化され集団ヒステリー状態になっているように思える。大マスコミのいうことを丸のみにして信じたり、またネット社会にどっぷりつかり、現実の世界がみえなくなって盲目的になる。何ら関係のない人からみれば、みっともないからおよしなさい、とでもいいたくなってくる。ちょっとしたことでも針小棒大に取りあげ一方でアンチが暗躍する、ギスギスした世の中である。 何かの説や考えかたによりかかり、その一方に即した言動をして、他の一方を否定しがちだ。そこからすべての対立が始まり、対立関係から憎み合いが始まり必ず衝突し争いが生まれるものだろう。結果人間がお互い不幸になってゆく。 この世の中、明るく愉快に暮らしてゆけば、それにこしたことはない。 人間の幸福な環境を破壊するもの、それを退治することにのみ、頭を使うべきであろう。どのような信念のもとに行われたことにしろ、それは悪であると知るべきである。 (了)
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