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2019/03/30(土) サーフボード陳列
         こんな心象風景があった

 かつての一つの心象風景が現実の風景に重なった時に、そこにまた別の世界が現れて来る。たとえば目の前の魚の形態はあまりに異様で、その体の中に時間を隠し持っている。
その魚の違和感は周囲の空気を緊張させ、こちらに防御の姿勢を取らせるのだ。
私はその為に、人知れず奇妙な孤立無援の戦いを行わなければならないのだ。
魚は禁忌に近い存在で、決して触れる事の出来ないものなのだ。これは言葉のアヤでもなんでもなく、見ると実際に足がすくんで動けなくなってしまう。
料理をしようにも手がつけられない。こんなバカ気た事があるだろうか、我ながら信じられない。
 私は買い物に行き、魚屋の前を通る。色々な種類の魚が水をかけられて平たく並んでいる。きっとこれは魚は仮死状態を装っているに違いないと思ってしまう。
私には先刻承知、騙されはしない。
 特にあの目、魚眼レンズという名称がある位だから、180度の視界でこちら側を彎曲した世界として見ているのだろうか。
私は視界に入らない様にその前を通り過ぎる。
 その時魚屋の主人が魚を手に取って、包丁で上手に切り身にして行く。切り身になった魚はバットの上に行儀良くきれいに並んで行く。私はその様を狐につままれた様に思った。
きっとあの魚は巧妙に騙したつもりだったに違いない。しかし私には解っている。
 頭と骨と尾になりながらも私の目にはちゃんと虚空の水の中で泳いでいる。
まさしく「魚は偏在している」と言えるのである。
 そんな事を妄想している私は滑稽であって、こんな劇を見ているのは実は魚の方かも知れない。大体が、虚無が魚に具現化されていると思い始めた時にこの荒唐無稽な芝居の幕は上がっていたのだろう。
虚無の水槽に魚を飼い餌を撒きながら、逆にその魚に釣り上げられるのではないかと怯えて心配する日々。
 ところで最近妙な思いが芽生えて来た。空を飛んでいる鳥を見ていると、魚に見える時があり、どうも以前から気味が悪いと思っていたのだ。
まさしくそれは、魚に確かに見える翼が生えたのが「鳥」と言う生き物なのだと。
                  (了)


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