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2019/03/05(火) 夕顔
              無と空


 東洋思想というもの、いわゆる仏教は「生者必滅・諸業無常」というものを通して、人間の存在の「無常」が説かれている。奈良時代に存在した僧得一大師は
「現実を無視・否定する真理など存在ない。たとえどんなに現実が醜悪・罪悪的であっても、そこにこそ真理は存在している(真空俗有)」とする最澄に対し「真理は厳然と存在するが、現実の存在は全て架空のものだ、夢・幻だ(真空俗空)」と対峙した。しかし一般的に後の仏教思想においては、この世に対にする厭世・絶望感を高揚させて「浄土教」を生み出し、さらに「阿弥陀仏国幻想(あの世)」というものを作りだしたのである。
 原初的に人は、現状破壊のエネルギーの発露として「土一揆」「山城国一揆」「一向一揆」などの行動を幾多も起し、屈折した形で民衆のエネルギーを発散したのかも知れない。
一方、個々においての悟り(信心)という自覚に基礎をおくと、そういった者たちとの断絶が生まれ、その為大体において日常的に現状維持傾向になり、創造的エネルギーを生み出す事はない。
 一神教の神を持つ事のなかった日本社会では、ヨーロッパの様に唯一絶対神による導きとそれへの反発という、絶対神に対してのアンチテーゼとして意志を持って直視する傾向が薄かったのは確かな事だろう。
 「無」や「空」という言葉は、仏教思想の中心的概念の一つである。「諸業無常」の「無常」の本来の意味は単に情緒的で、常が無い・矛盾的・不確定と解釈する事が、源の意味により近いものと考えられるのではないかと思える。『徒然草』の吉田兼好は「感傷的無常感=あきらめ」から晩年には「無常性こそかえって一切の根底である。」と言う(自覚的無常感)へと生き方を捉え返したと言われる。
 「無」とは「有の否定として、有に対する相対的概念ではなく、「もうこれ以上細分化し続けると無になる」という事であって、何も無い、と言う事ではなく、西洋哲学から来る「存在の欠如」とは意味しない。
 「空」という言葉は、「存在を否定する意味であるが、存在と非在のどちらでもありうる事であってどちらでも無い。」いわば生成と消滅の同時存在の境にあって、それが世界の実相であり空もまた、何も無い、と言う事ではないが、全然、空無の意味とは異なるものでる。
                     (了)

 


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