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2018/11/13(火)
No,2009消火器
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はじめに 今日、かつての同僚の死が確認された。幹部の親族という立場上きつい仕事ばかり任され、朝・夕の時間外も働き、周囲の作業員からは会社の犬と陰口をたたかれ、それでも愚痴もこぼさず黙々と現場で働いていた。その人が、葬儀も営まれることなくひっそりと骨になり郷里に帰っていったそうだ。 それが理由ではないが、それを機会に拙い文章をここにあげることにする。自分の終活の一環として。
海との距離
漁港からわずかの距離に長年住みながら、一度も海岸に立ったことのない自分。なぜか足が向かない。どうも場違いな気がするからだ、漁船で岩礁にわたって魚釣りしアジ、鯛を釣る、波に調子よく乗って気分のよさそうなサーフィン、海岸線のサイクリング・ロードでサイクリングやジョギング、夏は海水浴、時には空中をカイトが舞っている。結婚式場もある。 そこらはバリバリ健康な人々のものなのだ。 そこへわざわざ出かける気にはならない。楽しそうにしている人々の顔を見たくないほど、今は苦しいのだ、心身ともに。 いつか健康で明るくなって復活する事があるまでは、せいぜい松林の入り口あたりまでの散歩としておこう。(中まで侵入していくと、住処にしている輩がいるから、生活の邪魔をしてしまう)一本タガがはずれてしまっていれば、この自分もここの住人になっていただろう、間違いなく。社会から締め出しを食い、物資に困りながら窮屈な自由(自由?)を満喫している人。 社会からはみ出したまま生活し、それに甘んじてしまっている人間には一体、どんな将来が待っているのだろう。 (了)
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