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最新の絵日記ダイジェスト
2020/11/18 都合により閉鎖します
2020/11/12 月極駐車場
2020/11/11
2020/11/10 飾り
2020/11/09 玄関先

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2018/11/30(金) アベ政治
         私には信念がない     


 ものを書くには信念がないといけないとよくいわれる。普段からよく考え、心に叩き込んでおき、さあ書こうという時に急に出てくるものではなく、スッと出てくるものだといわれる。私にそういう才があるかどうか、それはわからない。
 有名になりたくて書いている人や、金をもうけようと思って書いている人、○×賞を目指して書いている人もいるだろう。みな立派といえば立派だし信念といえば信念といえるのだろう。それはそれでいいのだと私は考えている。
 この世に生を受けてしまった限り、爪あととしてなにかを残しておきたいというこころは確かにある。とはいっても、毎日の生活のなかでやみくもにジタバタしていてもしようがない。なんてことはない、ひとり相撲で土俵をわる、とどのつまりはおきまりの結果がおちで、一生懸命に書いたからといって世の人々が認め、拍手喝采してくれるというものでもなく、自分の過信がバレてたいへん恥をかくのだ。
 私は他人の書いたものを読んで、その才能をうらやんだり、自分の書いたものの才能のなさに絶望したり、髪の毛をかきむしったりするようなことはない。ということは、私には執着とか信念というか、書くときの覚悟といったものがないということかもしれない。
これが私の主義だとか、これが私の信じる宗教だと、居直られたら厄介だ。誰も、他人の主義主張や宗教を変えろなどと押しつけるものではない。
 私には小難しいことはわからないが、最近の世の中をみると、それぞれの考えかたが固定化され集団ヒステリー状態になっているように思える。大マスコミのいうことを丸のみにして信じたり、またネット社会にどっぷりつかり、現実の世界がみえなくなって盲目的になる。何ら関係のない人からみれば、みっともないからおよしなさい、とでもいいたくなってくる。ちょっとしたことでも針小棒大に取りあげ一方でアンチが暗躍する、ギスギスした世の中である。
 何かの説や考えかたによりかかり、その一方に即した言動をして、他の一方を否定しがちだ。そこからすべての対立が始まり、対立関係から憎み合いが始まり必ず衝突し争いが生まれるものだろう。結果人間がお互い不幸になってゆく。
この世の中、明るく愉快に暮らしてゆけば、それにこしたことはない。
 人間の幸福な環境を破壊するもの、それを退治することにのみ、頭を使うべきであろう。どのような信念のもとに行われたことにしろ、それは悪であると知るべきである。
                           
                                 (了)

2018/11/29(木) 海抜
5,2m

2018/11/28(水) 足跡
      小さな絶望から
  
 人はよく、古来から日本人の中に幾人かいる思想の闘士には老荘思想があるなどと言うが、老荘思想よりわれわれに必要なのは、まず仏教思想を理解する事である。もちろん寺社を奉れ、坊主を尊敬せよなどと言うのではなく、現代日本人の「観念」の中にこれを封じ込めることを薦めるのだ。
 西洋人、とくにドイツ人は観念的な思索を好み、思索し哲学する事と実生活を切り離す習癖を持っているが、日本人には、思想の一環というものが薄れてきていると感じられる。ある彼が、彼のあるがままに忠実に生き、純粋に彼の(もの)だけを奔放に撒き散らす彼が果敢な個性の持ち主であれと思う。
これが、仏教で言う即身成仏であり、ただ自然の状態である。
毎日起こる小さな絶望のうちにも生を熱愛しつつ自由を愛し、彼は時に憤慨し、皮肉交じりに言葉を吐き、狭くも快適な身の置き処を探す。いわゆる自我主義である。それから脱却しもう一歩足を前に進めることから仏教思想の中枢へ入って行ける。
 仏教思想とは(因果)であり(自我は永遠不変の存在では無い)という事である。
人間を動かし奴隷にし、人間を悩ますこの世のすべての観念といえども、われわれの個人以上の力は持っていない。
古代、日本に仏教が公に伝わる以前、仏教を信仰していた時期には未だ、当時のいわゆるエリートのものだったかも知れず、本尊をあがめる偶像崇拝だったろう。その後の渡来僧によって広まったものの、すぐ国家によって認められたものではない。
 個人自身の精神のうちに小宇宙を作り、自身の喜びのための観念を作り上げるためにはお望み次第になんでも取替える事も、無視する事も可能なのだ。こうなるともう、国家といえどただ個人と戯れるペットに過ぎない。
 国家や政府はは多くの人々に支えられ彼らにとって尊ぶべきで、怖るべきものと観念されている。彼らはそれを{我が祖国}と呼び、魔術にかかったかのように酔いしれ、ふだんはピンで傷つけもしない友人さえも殺しにかかる。大抵の人は彼らの観念(魔術のような)の虜になって、理性を失ってしまう。
全てを捧げた観念への犠牲になって、自らを破滅させるまで戦うだろう。過去を見よ、歴史を見よ。
 その点、傍観者で理性を保てる者はと言うと、なんの観念も持っていない、{国家}になんの崇敬も払わない、{政府}はただ一組の人間集団、金好きのばか者の集まり、金と利権に群がる乞食の集まりである事を知っている。国家が彼を侵略し、自由を剥奪するなら、しかし国家が彼と対抗するほど強くないなら、彼はできる範囲で忽然とその姿をくらませるだろう。
なぜなら彼は異邦人だから。
                                                       (了)

2018/11/27(火) 水道工事
加藤工務店

2018/11/26(月) Times
川柳もどき 4


エアプレイン 乗ってどこかへ 旅立とう

閉じた夜 息つまりけり 窓の内

青々と 寒くはあれど 旅の空

淋しさも 一興なりと 旅の宿
  
レモンサワー きみとどっちが 甘いかな

暗闇の なにかにつられ あらわれるは

「ねじ式」を 読めば何かが 降ってわき

2018/11/25(日) ジェルソミーナ
    ジェルソミーナ

 一週間前のこと。新宿駅西口の地下歩道付近の不安を誘う景色を思い出していた。その京王線の乗り場近くの一角で一人の女が詩集を売っている。「私の詩集です・5百円」と首から提げた画用紙に書いて、立っている。京一はそれを見た。見た途端、永島慎二のマンガを思い出し、何故か気持ちがホッとした。
京一はすごく欲しくなったけど、近付いていくにつれ、なんだか自分の汚れた姿がみすぼらしく感じて、買いたかったけど手のひらの汗に透明な涙がひと粒混じるとパッと消えていった。
その夜、京一は夢を見た。さっきの詩集の女がこのオンボロアパートの入り口に立っている。小さな花束を持っていて、キョロキョロしている。京一は部屋のドアを少し開けて女に言った。
「詩集をください。」
女は答えた。
「私は詩集を買ってくれなかった人に花束を配っているの、はい、どうぞ」
 京一は頭の中で詩集の女とテレビを観ている。画面は海外ニュースらしい映像が映っていて、飛行場のロビーだ。大勢の人々が手押し車に山程トランクを積んでいて、急ぎ足で画面の右から左へと次々に消えて行く。その一群の中を、時々キャスター付の大きなボストン・バッグの上に猿が乗っている。猿はボストン・バッグから別のトランクへと走り回っている。乗客たちは何事もなかったかのように、次々と搭乗口に吸い込まれて行く。
画面は切り替り、飛行機が滑走路から飛び立って行くところだ。その飛行機に向かって手を大きく振る人や紙テープを投げる人、泣いている人など、様々。
京一はそれを観ていて、つい「何時代だよ」と呟いたが隣に座って観ていた詩集の女は緑色の瞳に涙を一杯にためていた。
「懐かしいな、レオナルド・ダヴィンチ空港」
それはイタリアの空港だったのだ。
聞けば女はイタリア人と日本人とのハーフで、名はジェルソミーナと言った。
母国にいる時に日本に興味をもって、単身、来日したそうな。
かつては留学生のイタリア人の彼がいて、目玉焼きをフライパンの上で二人してひっくり返すほど仲が良かったそうだ。
 秋葉原の裏通りで買ったヒールのものすごい高いやつ、8000円はするであろう、そんな靴をはいてデートしていたらしい。コツ・・・コツ・・・コツ・・・・骨・骨・・この靴音は冴え過ぎていて不気味だね、とイタリア語で彼に言われたそうだ。彼女のすねもマッサージが行き届いてるせいか、フラフラした所がない。ふたりは最後まで貞操を守り、フェード・アウト。

す・き・スウキ
海辺を好きな人と歩く
日曜日
空気の抜けた様なサンドウィッチを食べる顔
彼女のひとみにゴミが入った
ひとみに僕の顔が写ってる
イン・ザ・フェイス
今キスをするのは
カンタン、カンタン

 それから一週間ほどして、ジェルソミーナはイタリアへ一時帰国することになった。
母国にいる父親が患い、急に入院したそうなのだ。
 それを知らされた京一はアパートの壁と向かい合ったままうごかない。3時間もしてからだろう、やっと気を取り直して、当日の見送りに行こうと決心した。確か正午発の便だ。空港はGWの時期でもあり、大混雑している。キャスター付きのデカイ旅行カバンもちらほら。
ジェルソミーナは百個ほどのハートが描いてあるジャケットを着ているとの事で、大混雑のロビーの中でもすぐ判った。顔を合わせても、ふたりとも何も会話をしない。
いよいよ搭乗時間になって、京一は「気をつけて言ってらっしゃい」とだけ言うのがやとだった。ジェルソミーナは飛行機のタラップの上で、しばらく飛行機のボディをさすっていたが、何か意を決する様に機内に消えていった。京一は小さくなって行くエアーラインを目で追った。ジェット機はこの日本の地から飛び立った。。
帰りの電車の中で、窓から見える遠くの木々が大きく揺れているのを見ながら思った。
「あんなに風が強かったら飛行機なんて押し戻されるかも知れない。」
  京一はアパートに戻った。帰ってから読んでと言われて渡された手紙を漸く開いた。黒い紙の上に白い鉛筆でこう書いてあった。
   わからない内に生まれて
   わからない内に死ぬ。
   どうせ通り過ぎるだけだから心配しないで。
   それから 
   弱いものを大事に
 
封筒の裏には、ミラノに着いたら住所を知らせるから・・・ジェルソミーナ
と書いてあった。京一はすぐ返事を書きはじめようと思った、まだ住所はわからないけど。
手紙を書きながら京一はあれこれ思った。(今ジェルソミーナはどの辺かなぁ)(陸の上か海の上か、どっちかだろうきっと)(遠いんだろなぁ)(今頃機内食でも食ってるだろなぁ)
(あー、俺もハラへったなぁ)外は日暮れの始まる時刻、風はいつしか止んでいた。
 ジェルソミーナが住所を知らせて来るまで、京一はアパートから一歩も出ず、ありんこの様に今日もくすぶっている。(夢なのか?)毎日、もやもやした頭で京一は考えている。


                   (了)

                        

2018/11/24(土) ブランチ2
クイックカットBB

2018/11/23(金) R134
松林

2018/11/22(木) 見まもりの家
川柳もどき  3


おませさん 今日はスーパーの レジ係

夢の国 裁判すれば 針の国

渡りたい この広い河 ふたりして

バスに乗り 他人の顔色 チェックする

監獄ロック プレスリーに なりきって

いつまでも 過去にすがり つく女

秋の色 だんだん深く なって行き

2018/11/21(水) 続き
      ジャズ喫茶でありがちな夢想・3


首まで湯に浸かった女は、毎日の地下鉄通勤の事を思い出していた。まるでパーティーのように騒がしい車内。現実から逃避したくなるほどだ。そんな中、34才になる彼女はフランスへ行こうかしらんなどと安易な考えが降っては湧いたがそれを打ち消して、一つの試論を始める。
「息子を持とう」日常生活の中に息子を引きずり込み二人で根を作ろう。写真屋に行って二人の影を持っていって記念写真を撮り、街行く人々に配ろう。幸いそこには元夫は往来しない。
二人という事は母子家庭。そう、一度に二人を愛せない彼女は夫と別れ、息子を抱きしめたまま騒がしい車内でじっと耐えている。二人は生殖器から少量の煙が昇り、トラロープ状のものが首にまとわりつくような顔をしたまま大声を出した。
「降りまぁす」
二人は一駅乗り越した。
 やがてレコードはエリック・ドルフィーの「ラスト・デイト」に代わりまばらな拍手の中から突如バス・クラリネットの音が響き渡る「エピストロフィー」から始まる。その音はまるで、銃身のないコルトをポケットに突っ込み、袋小路から抜け出そうとして歩き回っている淋しいのを他人にさとられないようにしている男の姿を想像してしまう。
男は船員だ、陸の上にいる時は安ビジネス・ホテルに泊まっていて、ある朝ベッドの上で無造作に自分の銃身を出して、ピストン運動を繰り返しているうちに銃身は熱くなり、窓の下を通る葬列に向かって中身をぶちまけた。
船内で銃を持つ事は禁じられているので、すぐ船長にバレて没収され、無残にもコルトのピカピカの銃身はへし折られてしまい、使用不能になってしまった。それ以来男は陸に上がる時、銃身のないコルトをポケットにしのばせ、彷徨った。
男は友達が欲しかった。レコードはちょうど、やさしげなミシャ・メンゲルベルクのピアノ・ソロのパートに入っていた。
エリック・ドルフィーの言葉は名言のように語りつがれているが、至極当然な事を言っているだけだ。
それに比べると、オーネット・コールマンは違う。
「過去は意味ないんです。死んでしまった」と。
 バド・パウエルのレコードに切り替わったので、俺はトイレに立った。トイレの舞台に立った俺は、正面の鏡に向かって自己紹介をした。しかし、鏡の俺は面白い表情をしない。もちろん相槌もうたない。俺が俺の心の中を見透かしているようだ。しかたなし、便器に向かってチョロチョロ、ソロを始めた。充分溜まっていたのでいつまでも引き延ばされ、とても気持ちがいい。その時、コルトがしゃべった。
「ソロが長すぎるぞ!」
バド・パウエルの生涯を思うと不謹慎ではあるが、俺はトイレの鏡の前でニヤッと笑ったのだった。

                                (了)

2018/11/20(火) 続き
      ジャズ喫茶でありがちな夢想・2

             
アヴァンゲールの、一触即発の危ない世のようなコーヒーをぐいとひと口流し込み、熱っぽくなっているのに俺は気がついた。片思いの女の取っつきやすい瞳が黒点のように、コーヒーカップの中で愛情のクリームと溶け合ってくるくる回っている。しかし主人公は次の行動に移れない。OH MY BABY
 俺の前に座っていたオヤジは外に出て、「x」を捜し始めた。「x」はアルファベットの文字であり数学では第一未知数を現わす符号でもある。しかしチャーリー・ヘイデンの取っ付きにくいベース音の中から引っ張り出そうとして苦戦しているオヤジの頭の中にある「x」はそれら机上の議論から離れた生身の「x」であると言える。
[x」の強調音。
エクスはスターになる事はない。自殺者の胸の内に恥ずかしそうに横たわる「x」
 変化のない生活者の手帳には、鉛筆で「x」と書いてある。「x」は万物である。万物とは俺自身である。「x」のヘッド・バンドによって俺の頭脳の環境は作り出されている。
レコード係の脳内も覗いてみたくなる選曲だ。次はレニー・トリスターノのソロがトロトロと始まった。これは、1965年にデンマークのコペンハーゲンで行われたジャズ・フェスティバルでのソロだ。大きな拍手の中、介添え人に手を引かれピアノの前に座る時のトリスターノは、どんな気持ちだったろう。世界の終末を予言しているかのようなピアノ音を奏でるレニー・トリスターノ。
 客が一人グランドレベルの入口の道路から、階段をコトンコトンと下りてきた。分厚い生地のコートからかすかに匂うオーデコロンが店内のタバコの煙に負けた時、レニー・トリスターノが急にリズミカルな音で弾き始めた。それにつられたかのように、店の女が周期的現象を繰り返した。
                     (続)

2018/11/19(月) 湘南藤沢徳州会・送迎
  ジャズ喫茶でありがちな夢想・1

  
 
 俺は若かりし頃横浜のあるアパートに住みついていた。
ひっそりと小銭を大事にし、卵ひとつつぶす勇気もなく暮らしていた。
その小銭をジャラつかせ小一時間も歩いて桜木町のジャズ喫茶まで通った。歩きながら血液がフツフツと沸きあがってくるのを感じた。テナーの音にしびれる生ぬるいこの世の中(というより生活?)
やがてジャズ喫茶につくと尿意を感じ、いつも必ずトイレに直行する。そしてトイレの鏡に映った自分の顔をぼーと眺め一人、百面相をしてみる。
 俺の前に座っているオヤジは、どう見ても工員という感じだ。頭がコッペパンそっくり。その男はアート・ブレイキーのドンドコドンドコいうドラムにあわせようとしている若いキース・ジャレットの上下するピアノ音を聴きながら歯茎の赤をそり返しくちびるを水枕のようにしてフレディ・ハバードに成りきっていた。
 タバコにひとりが火をつけると2〜3人は必ず同じようにタバコに火をつける。俺は一服吸ってからなぜかしらん安心してタバコをもみ消し、天井を見上げたりして心地良くなっていった。まるで遊園地の観覧車をコロコロ回しながら放り投げるように演奏は急ピッチで進む。フレディ・ハバードのトランペットから同じメロディーが繰り返しコピーされた。俺の頭の中で増殖して行くコピーされた音はお袋をも巻き込み大パレードの予行練習といった感じだ。 
古びたビルの屋上に上りトランペットを吹いているのがお袋だなんて信じられない。
 店のウェイトレスがチョロチョロとコップに水をさしに回っているので俺は喉のボリュームをいっぱいにして、「コーヒーおかわり!」
といった具合に非常に演出している。
 やがてコッペパン頭のオヤジは、オーネット・コールマンのレコードが始まると、口びるをふくらませて席を立って店を出て行った。
 「ロンリー・ウーマン」心の中がすっからかんの俺にはぴったりだ。
淋しい女の喜怒哀楽を詰め込んだようなオーネット・コールマンのサックス音。
                       (続)

2018/11/18(日) 迷惑
条例

2018/11/17(土) カフェ
カレッタ・カレッタ

2018/11/16(金) サンドラッグ・開店前
    社会の中で


 「政府に権力が本当にあるという前提の話だが、(飽くまでも社会人の共同の幻想として)これは社会力に対するよりは反抗し易いものだ。この権力の為、過去われわれは兵にもなり、ある時は税金を搾りとられ、会社というものの奴隷にされ、夜も陽も明けなくされる。
戦後、官僚的現代政権は全能になり、法令をつくり、活動著しい警察力や、ガチガチの司法権や、多くのプロ市民(両翼)を育てた。この権力は、われわれを彼らの前に突き出し裸にし、身長や体重を計り、内臓の働きぶりまで調べる。何かちょっとした事をやるにも、いちいちこの権力者に通知し、権力の介入なしにはちょっとも動く事が出来ない。
今一億数千万の日本人は、みなこの権力を振りかざす役人に奉仕し、その内の数千万人が彼らの政府から年金を貰い、他の人々はそれを恨めしそうにして見ている。誰も彼もがブツブツいいながらも服従し、もしも不遜な男が現れ、この御役人の一人につかみかかろうものなら、不敬のゆえに容易に牢獄に放り込まれる。
権力は、いつの時も敵であるが、しかし敵は悪か?何事においても権力者や、社会的であるこの現象は、それ自体悪とはいえない。悪といわれえるとすれば、それは社会的にであって、自我的にではなく、しかし足枷のような重圧である。
 社会とは盗人であり、破壊者の事である。社会というのはただ、外面だけであって、なんにでも制限と否定が付いて回る。なにしろ嫉妬深いのである。何故かと言うと、個人は抽象物ではなく、現実に存在するから。この社会の中で自己を守る行為は、いつでも反社会的で自己解放的な行為だ。
われわれは社会人にさせられている限り、お互い折り合いをつけるのは無理で、この社会を遮断して生きて行けない限りは、完全な自由人は完成しないのである。」
                                    (了)

2018/11/15(木) 公園
川柳もどき 2


学校へ 行く道すがら 回り道

青年よ 大志を抱け そして散れ

朝日強く 今日は一日 なにをする

口つぐむ 手ぶらで歩いて きた少女

おでこ出し 脚出し男を 釣る女

スクワット 台所でも 出来る由

ブルースエードシューズ むかし踊った ステップで

2018/11/14(水) DO NOT ENTER
川柳もどき 1


現場にて 使われ終わりゆく 運命よ
 
赤い橋 泣いて渡った 幾たびも

使い減り しない作業員 今日も汗

まっ昼間 バスに揺られて ゆく細身

せきばらい ひとつふたつと 数え唄

今日の酒 うまいかまずいか 相手無し

トランプを 引いても引いても 悪手かな

2018/11/13(火) No,2009消火器
          はじめに
 
今日、かつての同僚の死が確認された。幹部の親族という立場上きつい仕事ばかり任され、朝・夕の時間外も働き、周囲の作業員からは会社の犬と陰口をたたかれ、それでも愚痴もこぼさず黙々と現場で働いていた。その人が、葬儀も営まれることなくひっそりと骨になり郷里に帰っていったそうだ。
それが理由ではないが、それを機会に拙い文章をここにあげることにする。自分の終活の一環として。
 

 海との距離

 漁港からわずかの距離に長年住みながら、一度も海岸に立ったことのない自分。なぜか足が向かない。どうも場違いな気がするからだ、漁船で岩礁にわたって魚釣りしアジ、鯛を釣る、波に調子よく乗って気分のよさそうなサーフィン、海岸線のサイクリング・ロードでサイクリングやジョギング、夏は海水浴、時には空中をカイトが舞っている。結婚式場もある。
そこらはバリバリ健康な人々のものなのだ。
そこへわざわざ出かける気にはならない。楽しそうにしている人々の顔を見たくないほど、今は苦しいのだ、心身ともに。
 いつか健康で明るくなって復活する事があるまでは、せいぜい松林の入り口あたりまでの散歩としておこう。(中まで侵入していくと、住処にしている輩がいるから、生活の邪魔をしてしまう)一本タガがはずれてしまっていれば、この自分もここの住人になっていただろう、間違いなく。社会から締め出しを食い、物資に困りながら窮屈な自由(自由?)を満喫している人。
社会からはみ出したまま生活し、それに甘んじてしまっている人間には一体、どんな将来が待っているのだろう。                        (了)

2018/11/12(月) とまれ
西浜小学校生

2018/11/11(日) 外車展示会
ブランチ2

2018/11/10(土) 住吉神社内
防災備蓄倉庫

2018/11/09(金) 移動販売
このは

2018/11/08(木) カレー
GARA・entra

2018/11/07(水) 料理
にくどき

2018/11/06(火) 金融
横浜銀行

2018/11/05(月) 老舗
濱田屋

2018/11/04(日) 渚の宗一郎食堂
せんべろ

2018/11/03(土) ビル入口
ベルソー

2018/11/02(金) ポスター掲示板
市選挙

2018/11/01(木) 駐輪場
ラスカ南口


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