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2019/02/28(木) 公衆トイレ
川柳もどき 24


仮面して 実はどんなに 汚れたる

王宮の 聖なる空気に 飲まれたる

暗い空 星が誘なう この運命(さだめ)

王様へ 踊りを捧ぐ 願いとは

朝起きて 布団畳めども 用事なし

核兵器 頼る者共 悪党等(ら)

放射能 福島の空を 汚したる

2019/02/27(水) 月極駐車場
川柳もどき  23


ヒロシマの かつての惨状 思い入る

青い空 響きわたるは サキソフィン

雨降れば うたれて悲しむ 人ありや

少年の 夢を摘んだる 葉巻吸い

杖頼り 何処を出歩く 一人にて

福島の 原子の力 今や無し

昼歩き 遠き見つけし 望楼よ

2019/02/26(火) 酵素風呂看板
         村人達 5


婚礼の人々はそのまま待たされ、彼らにとって永い時間が、沈黙の内に過ぎた。 その間に、地主は庭下駄をつっかけて、門の方へ走って行った。
木の棒を持った若者が、台所から戻って来て、騒ぎが一層緊張した時だった。
「待て、待て!」
「旦那! 荒っぽい衆は誰も来ませんぜ。」
「ふむ。」
「祝言の席はいつまでも地主が戻って来ないので、手持無沙汰ですっかり疲れてしまっていた。
「あの」
当惑している花嫁の母親が行儀よく親戚の一人に話しかけた。
「怪しからん事を考えておる連中が来ないと?」
  地主の山田は当てが外れたと、さもくやしそうな顔つきで、宴会を開始する前に挨拶をし、開始の宣言をした。 酒宴は盛大に行われた、アラ、エッサッサァなどと得意になって大声で唄う者あり、この時とばかりに得意な踊りを披露する者あり、果ては下手な手品めいた事をする者までいた。
 これは全く、大きな目論見違いだった。地主の山田と、番頭格の竹田が思ったほど、この嫁入り行事は、不満分子と目されていた若い衆が不穏当な発言をしたり、この場所で、酔っ払って俄かに目出たい宴を荒したり、祝言の座に座っている花嫁に何か悪戯をしたりはしなかったのである。  
 確かに若い衆は、酔っ払いはしたが大人しく、婚礼に憧れていて、厳粛な行事だとわきまえていたのである。自らもいずれは嫁を貰う日が来るであろう、その時にはやはり今日のこの婚礼の様に、村人達に憧れを持たれ、喜びを分かち合って祝われたいといった願いがあったので、地主らに普段抱いている敵意も、小作人達は、婚礼は婚礼の行事として捉え、普段の不平不満は頭から消し去って、今回の目出たい行事を台無しにしてやろうなどとは、微塵も考えていなかったのである。
                   (了)

2019/02/25(月) 焼肉・ホルモン
         村人達 4

そして、花嫁達の列は、藤の提灯に飾られながら、もう間もなく、橋の近くまで差しかかっていた。
 来る者と、迎えの者とは、橋を渡り切った所で、やっと行き会った。
「どうも本日は、お目出たいお着きでござります。お迎えに参りました。」
「御苦労様でござります。」
花嫁の行列の人達の中の声自慢が自慢の声を上げた。すると、花婿の方の若い衆がそれに応える様に自慢の声で合唱した。互いの唄のやり取りの後に、花嫁の荷は、持って来た人足の肩から、迎えの人足の肩へ移された。おぼろな月の下に見ても、これは全く、花の様なその器量だ。行列は声自慢と声自慢の唄のやり取りをしている内に、厳粛に進んでいた。
 橋を渡って漸く村に入ると、道の両側に立って見物していた群衆がここぞとばかりに歓声を上げて、手に手に用意していたげんげの花を、人力車上の花嫁めがけて、一斉に投げて祝福した。
今夜はおぼろに霞む月夜、日本海から押し寄せてて来た靄の中に、げんげの花は美しく赤く、まるで柔らかい真綿の切れ端の様に、花嫁に降り注いだ。 
 やがて花嫁の行列は、地主の大きな石の門から邸の中へ入っていった。唄は止み、花嫁とその肉親や親戚たちは、縁側からぞろぞろと上がって行き、座敷へと入って行くのだった。 村人の群衆は、婚礼を見たさに。雪崩を打つかの様に、木戸から邸内の広い庭の中へ躍り込んで行く。
 花嫁のいる部屋の障子が開いた瞬間、群衆は鳴りをひそめて見守った。打掛けを着た花嫁を中央に座らせて、次いで両親、仲人たちが並んでいて、庭に向いていた。明るい燈火の中、花嫁は輝いて見える。邸の中にいる一同は、一目見ただけでアッと感嘆の声をあげ、唾をゴクリと飲み込んだ。
 祝言の席では、花嫁も、花婿も、親戚たちも、互いに挨拶変わりの杯を交わしつつお世辞めいた事を言い合い、顔を突き合せていた。三々九度の盃の為に酌の少女が花嫁の前に進んで来て、花嫁へ無言で促したが、彼女は盃を取上げようともせずにいた。花婿は一瞬ニヤッとした。
「ちよっと待った。」 地主は酌の少女に、宴の開始をしばし待てと言う合図をしてから立上がった。そして、障子を開け、廊下に出て行ったのだった。
                         (続)

2019/02/24(日) 不動産
東急リバブル

2019/02/23(土) なお良し
       村人達 3

「しかし」と若者の一人の謙三が言った。
「竹田の野郎は、どう考えてもいい気味だ。」
「今頃は、ウーウー言って寝床に張り付いてけつかるじゃろうて。」
「今夜は酒がさぞ美味かろうて。」
その通りだった。番頭で今日の仲人を引き受けた竹田が、今夜は急性胃腸炎で、どうしてもこの婚礼に出席出来ないのは、確かに不満分子達の「酒を美味く」する出来事だった。
 竹田は今頃、二・三丁離れた町医者に入院してしまっていて、うんうん唸って苦しんでいるのである。
「お嫁さんの家の御紋は藤の花じゃと。川から、藤の紋の点いた提灯行列が見えたら、それが花嫁さんだと言う合図じゃ、そん時ゃ間違いなく、お迎えに行くんだぞ。」
昨日、不満分子の若い小作人達を数人集めて、それだけの言い伝えをして、竹田は実に残念そうにして、病院の寝床でホゾを噛んで寝ているのだった。
 間もなく、月の明かりは川の流れている町の方から、花嫁を乗せた一行の人力車が現れても良さそうな時刻になって来たのである。声自慢の人手に選抜されなかった若者達は、やはり婚礼の手伝いに選ばれなかった娘を、月の光の下で物色して回っていた。
お八重婆さんは地主となっている、今の旦那が婚礼した時の模様を、若い者相手にくどくどと語っていた。若い嘉吉は、向う側の辻に集まっていた男女の群の中に、以前から好意を抱いていたお陽の姿を見つけて、ニヤリとした。
 その時、橋の上から子供たちが叫んだので、人々は俄かに緊張して道の両側に突っ立って様子を見ていた。
「どこに?ほんまかな?」
「来た、来たゾ!」
「あれまあ仰山な提灯じゃのう。」
 川に沿っている道を、土手伝いに、夥しい提灯行列が見えた。間違いない、嫁入りの行列だ。伝令役の男が確かに行列を認めると、やや興奮して、邸の門へ駈け込み、大声をあげた。
「見えました、見えました、藤の紋の者の行列じゃ!」
「ようやっと来たか!」
仲人代理の三村と言う村会議員と、親戚総代となっている夫婦とが、紋付袴姿で現れた。声自慢の男達、十人ほどの若者達がこれを機に立ち上った。 仲人代理を乗せた人力車を先頭にして、行列を作った彼らは厳粛な気持ちで、村の境界の方へ押し進んで行く。        
           (続)

2019/02/22(金) ニコンフィ
      村人達 2

 やがて婚礼の夜が来た。
 地主の息子と言うのが、少々馬鹿じみた若者であった。この頃は娘っコでも、親が勝手に取決めた婿に一旦は悲しい顔で否認するのが普通なのに、地主の息子周一は、一遍の見会いをする事もなく、何しろ周囲の急ぐ声に乗せられて、取り決められた縁談に対して、懐疑的な心さえ持たなかった。
彼にして見れば、ただ無性に嬉しいのだった。
 地主の邸の庭に、小作人の中から選ばれた、のどが自慢の若い衆が花嫁をお迎えする立合い人として、集められていた。これらの若者は実は、声自慢でもあるし、また村の不穏分子の精鋭でもあったのだ。 彼らに酒をたんまりと飲ませて酔わせ、泥酔した小作人達を荒れさせて、婚礼を取り行う地主の顔に泥を塗る様な行いをさせ、それを理由にして、不逞な一派の放逐を図るのが、この日の婚礼の大きな目的でもあったのだ。
 さて、今夜は菜の花の咲き誇るおぼろ月夜だ。黄色っぽい色が目に付く美しい月夜である。海の方からしきりに押し寄せて来る靄で、周囲全てがおぼろに霞む一夜である。
 庭先に屯ろして、若者たちは、ニヤニヤとしつつ花嫁の器量の予想に忙しいのだった。
「見てみい、あの姿を。」
母家の縁側に、もはや紋服を着た花婿周一が一瞬現れたが、すぐまた障子の向こうに消えて行った。
「何度さっきから、あの部屋へ出たり入ったりしとるんじゃか。」
「待ち遠しくてたまらんのじゃろう。」
「俺はもう、早う飲みたくて、ガマン出来んわい。」
「芸妓は、もうさっきから何人も来て待ってるぞい。」
と、何かと猥雑な事を言っては、皆一斉に笑ったりしていた。
 家の台所からは、盛んに上手そうな匂いを含んだ煙が立ち上っていた。門から母家へと続く広々とした庭には、あまたの提灯でまるで昼の様に明るかった。月と溶け合った淡い光の中で、台所仕事の手伝いに刈り出された女たちが、右往左往しながら準備をしていた。
邸の隅々に、笑い声や嬉しそうにはしゃぐ声や大声で何事かを命じる声が、始終響いていた。              
           (続)

2019/02/21(木) たーさん
   村人達  1 

 昭和初旬のある村
 
 船の上から見ても、広大な高原だと分かる。どこまでも拡がる裾は菜の花畑で盛り上って、遠い北の野の末に、日本海が霞んで見える。淡い色の青の中に、小さい頭を見せながら、霞んでいるのが日本海に浮かぶO島だ。
 春の菜の花の時季が来た。
「おぼろ月夜じゃけん、今夜誰かが狐に騙されるじゃろう。」
「助平が一番騙され易いんじゃと。」
「一度、とびきり美女の狐に出会って見たいわ。」
村の若い衆達は農閑期で暇を持て余し、夜毎一ヶ所に集まっては、夜が更けるまで、そう口々に言っては酒に酔って、街を彷徨い歩いた。
 日本海が大口開けては、月に濡れた菜の花満開の、高原目掛けて波が押し寄せた。さならばこのおぼろに乗じて狐も跳梁するであろう草の息吹と花の吐息とは、まるで夜空に溶けた様な月光の中にしのぶ狐の容姿を思い出させた。
 だが、狐に用心している間に、地主による欺瞞の計画が、この村のその地主と手先の者との力で実行される日が来た。
 小作人たちは、どうも昔の様に誰の言う事も聞かなくなって来た。野放図な奴は、地主に口答えするばかりか、陰では不隠な悪口を平気で言っている。要するに、小作人たちは次第に「悪党化」する気配だ。で、これは村のために良くない事だ、と地主の山田の胸は考える度にドキリとするのだ。
「わしは昔が懐かしいよ。村全体が一家の様に円く治まっていた昔がなァ。わしが大きな家族の主人で、みんなは俺の子だった、それほど良う懐いて、仲良う働いてくれていたのに今はどうじゃ。小作料が高過ぎるの、人間は平等じゃなぞと抜かして、屁理屈ばかりこねて居るわい。そんなんじゃあ百姓はやっては行けんぞ。」
地主の山田は嘆息して、「わしの不徳にも問題あるのだが。」と言い添えた。
 今や哀れな御主人様、農村の美徳をどうやって昔の様に戻そうかと嘆き悲しんで居なさると思うと、地主の番頭みたい立場で、米の検見や小作米の取立て役を勤めている竹田は一つどうしても良い方向へ向かうべく、知恵を絞らねばならなくなっていた。
 で、ある日、竹田は良い事を思いついた。
「小作人共には、酒をたんまり飲ませてやるに限りますわい。」
「ふむ。費用はどの位かかろうか?」
「まァこの際張り込みなされ。若旦那の婚礼の日が宜しゅうござりましょうか。早う嫁ごを捜して、この農閑期の内に、盛大に派手な式を挙げなされ。その時に皆にウンと飲ませて、不逞な者らの気持ちを計って見なされ。」
「うん、よし、嫁を早速捜そう。」
 番頭の竹田は、しめたと思った。仲人料も貰えるしという腹積りもあった。そして、早速嫁捜しに取りかかったが、花嫁はやがて見つけて来た。
 その婚礼の日取りが、春のこの時期のおぼろ月夜の夜の内に決まったのだった。                      
                     (続)

2019/02/20(水) 避難場所
              いつもの夢 

 いつものように、息をひそめて、その変わりに目を大きく開けて、ゆっくり歩く。
この道を真っ直ぐに行って、次の交差点の、細くなって行く方の道へ入ったらUターン。
知らない土地を、地図もなしに歩く。雨が降ってきたようで、傘を開いている人もちらほら。
「やあ!ひさし振り!」
そう声をかけて来た人を振り返って見ると、何人もの人が立っていた。ある人は山高帽子を被り、それを手で押さえている。またある人は、白い息を吐いていた。またある人は、懐の中に子供を隠していた。またある人は、両手一杯に花束と草を一緒に持っていた。
その人々に共通しているのは、笑顔だった。
やがて合図の音が鳴ると、人々は我さきにと走り出した。私は、行き先も知らないままに、一生懸命に後を追いかけて行った。笑顔を忘れずに。
 やがて着いた場所は、フェリーの発着場だった。波が泡立ち、木屑やらプラスティックの容器やらが、たくさん浮かんでいる。この世界の浮き沈みとは無関係のように。
 残念な事に、フェリーは行ったばかり、残された人々は落胆している。私も走ってきたため、息をハアハア言って、座り込んでしまった。
 しかし、まだ次の便がある筈と、残された人々は笑顔のまま、40分後に来る便までここで待ち続けるようだ。
私は立ち上がり、一人歩き出した。ぐるりと首を回して周囲を見回すと、曇っている空も、ぐるりと時間をかけて、回りだす。

笑顔でいた時間はどのくらいでしたか?
笑顔の時間は何分間位でした?

 港の中に所どころ出来ている水溜まりに写った自分の顔を見て、しばらく考える。
それから家に帰ろう。
                    (了)

2019/02/19(火) POLICE
川柳もどき  22

密林で 道に迷った 気持ちなり

若き日に ヒロシマの地へ 立ち到る

守銭奴と 言われてみたや 度胸無し

三味の音(ね)に 暗くも中に 光明を

桜花 咲くを夢見て 想う日々

目前に 札束積まれし 見たる

野の球に 夢を乗せたる 選手とも
 

2019/02/18(月) グレーシア
店舗専用駐輪場

2019/02/17(日) センチュリー21
川柳もどき  21

父ありき 駄目なる親とて 懐かしむ

煙突の 先より出でし 生活よ

想い出の 咲く花咲く地 いざなわれ

ブルドーザ 開発進む 土地見えり

清水湧く 山麓へ連れん 亡き母を

まほろばの 代より続きし 器かな

大空や 砂浜寝転ぶ 大の字に

2019/02/16(土) BALL CAFE
川柳もどき  20

夢の中 眠れる時間に 眼は醒めず 

空広き ただ広くさえ 続くなり

万葉よ 良き言葉のみ 残したり

食堂の メニューを全て 喰らう猛者

伝書鳩 願いを託し 大空へ
 
ツタ絡み 石垣苔むす 古き壁

この眼にて 見て見たいなり 醒めぬ夢

2019/02/15(金) 南口
Smoking Area

2019/02/14(木) ポスター
           鎌倉観光 8


「頼朝の墓が見たくなった。時間があったら、帰りに見て行きたい。」
と、私は独り言の様に呟いた。
 私たちは再び、目指していた由比ヶ浜に降り立った。サキは日傘をたたみ、肩を組んで並んで歩いた。
 押し寄せる高い波ぐらいなら、ほんの子供でさえ巧みに乗り越え、自由に操る技量を見せられては、私は恥ずかしくて裸になる勇気が出なかった。ここの砂は海水浴客で汚れていて、波は白濁していた。片瀬では殆ど見えなかった、色々な柄の派手な海岸パラソルの点在や、それぞれが模樣の美しい水着やら、色々な奇抜な水着を着て遊んでいる若い女性と、裕福らしい外国人の家族や、傍から
「お母ちゃん、この頃、あたしだいぶうまくなったでしょ。」
と小さな女の児が言っていた様な片瀬と、品位、教養のいずれもが同じ様に思えた。下等な物に深い同感同情を持ち得ない自分を、眼の前にいる大多数のこの海水浴客にそのまま当て嵌める事が出来た。
 二人は、無言のまま、5歩歩いては立ち止まり、10歩歩いては立ち止まった。 いつの間にかもう夕暮れが迫っていた。頼朝の墓詣では時間の都合もあり、諦めた。浜辺は徐々に帰り自宅の人達が増えて、寂れて行った。海の家も営業終了になる店が出始めた。
彼方に見える、材木座海岸にも夕陽が落ちて行った。ギラギラ光る夏の落日の太陽を浴びて蠢く人々は、豆粒ほどに小さく見えた。 私たちも夕暮れに合わせて、引き上げねばならなかった。
「もう、いいだろう。」
「ええ、もう充分ですとも。色々な所を見せて頂いて、どうも有り難うございました。」
と、サキは改まった口調でお礼を述べた。
 二人は歩き始めた。材木座の裏道の方から鎌倉駅に向かって歩き始め、途中、砂浜から打ち寄せる波とぶつかり合っている滑川の水面を眺めながら、滑川に架かっている橋の欄干の一部分に腰を下ろし、残りの握り飯を食べ、また歩き出す。
 まだまだ、これから流転が続くだろう自分たちの生涯に、又と言う機会も少ないと想われる今日の行楽を感謝して、二人は都会で働くべく、橋を渡り、大通りへ出てひぐらしの声を聞きながら一の鳥居の脇を通過して、鎌倉駅を目指して歩いた。
                        (了)

2019/02/13(水) たこ焼き酒場
             鎌倉観光 7

 私たちはそこで思う存分、最後に遊びたいと考えていたのだった。しかし、到着して海を眺めて見ると、浜辺は大混雑でとてもその中で遊ぶ気にはなれず、午後になってもまだ人々で混雑している海水浴場の雑踏の中を、さっさと引き上げた。私たちは片瀬を後に、一刻も早く由比ヶ浜に行きたくなった。しかし、着いてみて海岸を見回すと、案の定この海水浴場も片瀬以上に人で一杯で、とても砂浜に入り込んで遊ぶ気にはなれず、諦めた。
 由比ヶ浜から江ノ電に乗り、電車が腰越に停った時、サキは問いかけて来た。
「あなた、ここだわね腰越と言うのは、義経の腰越状と言うのは、ここで書いたのね。」
「腰越状? どう言うのだったかな。」
「あら、あれを知らないのあなた、義経が兄の頼朝の誤解を解こうと思って書いた手紙の事じゃないの。幼い時からわれわれ兄弟はお母さんの懐に抱かれて悲しい流浪生活をして、それから皆ちりじりばらばらに別れ、自分は自分で鞍馬の山に隠れたり、それぞれに苦労の末、兄さんを助けて源氏再興を計り、自分は西の端まで平家を迫い詰めて漸く亡ぼして、兄さんに褒めて頂こうと思ってここまで帰って来ると、兄は奸臣の言い草を信じて、弟を殺そうとしておられる、兄さん、どうぞ弟の真心を解って下さいって、義経が血の涙で書いたと言うんでしょう。高校の時、歴史の教科書で習ったでしょうに、あなたって忘れっぽい人、駄目ねぇ。」
と、サキは、護良親王の処で頻りに馬鹿呼ばわりをされた意趣返しに、一気に滔々と百万の言を弄して、喰ってかかる様に述べ通したのだった。私はその得意げな様子が可笑しくもあったが、感心して聞いた。
 二人は、また江ノ電に乗って由比ヶ浜を目指した。車中、身体を翻して、窓外の七里ヶ浜の高い波を見た。ここらにも少ないながら、地元のサーファーがいて、早瀬の上を流れる様に波に乗っていた。
 私はちよっとわが眼の輝きを感じた。小さな声で歌い出したサキの歌が、今は悉く空想を離れ、感傷を離れた私を、刹那に若かった日に連れ返した。同じく口ずさみながらサキ自身も乙女心の無心にしばし立ち返ったかも知れないが、それらは、いずれも泡沫の如く消え去る儚いものだった。
                    (続)

2019/02/12(火) ニューホイッポ
           鎌倉観光 6

 私もサキも、關東地方の海水浴場の実際の光景を、まだ一度も見た事がなかったのである。が、30分の後二人は、人々が多く行き交う江の島の橋から片瀬の海水浴場を眺めて、この何年かの願いがやっと叶った嬉しい思いを語り合う事が出來た。
 橋を渡り切って参道に入って行くと、兩側の土産物屋や食堂などから、呼び込みの声を受けつつ、やがて面前に立ち塞がった弁天樣の高い石段の下まで登って、ホッとひと息をついて振り返ると、長谷の大仏で何処へともなく分れた、例の親子連れに又会った。おや! と言った眼差しで、双方で顏を見合せた。
「僕はこの方を上って行くから、君は、あっちの石段から上りなさい。」
私は、男坂、女坂という石柱の文字を見てサキに命ずると、
「お母ちゃん、僕男だから、こっちから上ろうね。」
と、小学生が言った。
「いいえ、あんたは子供だからいいの。お母ちゃん達と一緒にいらっしゃい。」
こう言って母親は娘と眼を合せて笑った。やがて、美しい風景が開けて来た。石段は崖の中腹の小路に続いて、狹い低いトンネルに来た。奧は暗く、入口の周囲の岩の裂け目には海ウジが一面に重なり合っていた。
「もう行くのは止そう、怖くなって来た。」
「ええ、止しましょう。地震でも来たら大変だもの。」
二人は徐々に後に退いたが、一寸首をかしげて考えて、いや、行こう、ここまで来たのだ、俺と一緒に来い、とばかりに私はサキの手を握って先に出て行くと
「実に愚劣だなあ。つくづく日本という国に愛想が尽きた。かと言って、愚劣な事に引っ張り回されて、好奇心を動かして、窟ぐらの中にこそこそ入るというのも、愚劣以上の愚劣だけど。」
そうブツブツ言い残して、稚児ヶ淵辺りを後にした。 
 サキは少女時代を瀬戸内海に沿った漁師町で育ったので、さして水の激しい動きは珍しくないのであろうが、私は山国育ちで、こんな光景を眼の前にした事は、自身の半生にはないのである。
「今度は、橋を渡らずに砂浜を歩いて、片瀬の海水浴場に行きましょうよ。」
「うん。」
頭上の橋を往き帰る混み合った人々の影が、砂浜の上にまで長く延びて続いていた。
                        (続)

2019/02/11(月) ALBERO
         鎌倉観光 5

 大仏の前で、先程、鎌倉宮の鳥居の下で別れた親子連れが、そこへ歩いて来た私達を見て何か囁いていた.
私は別段拝むでもなく、大仏さんの背後に廻ると、正面の円満な仏相を仰ぐのとは反対に、だだっ広い背中の辺りに、大きな廂窓が開いていた。
「お母ちゃん、お倉の窓みたいだね、可笑しいね。」
と、小学生が言ったので、私は、その母の人とちょっと顔を見合せて、噴き出した。 
右側で、御胎内拝觀の切符を売っている所に来ると、大仏さんの端坐した台石からお腹の中に通じて行く入口があり、丁度2・3人の人が出て来たので、私は切符を買い、物好きにも入って見て、又笑い出した。
いろいろな靴音がガーンガーンと響く空洞の胎内は、まるで鉄筋コンクリートのビルディング式の様になっていて、階段を上ると、大仏さんの顔の内側の所に、きらびやかな黄金色の仏像が安置してあった。
「君も上って来なよ。」
私が上から声をかけると、サキは鉄板の急な梯子を半分上がった辺りで、足が俄かに痙攣がして立ち竦んでしまった。サキは、この何年間も座りづめの内職の仕事をしていたため、この頃足に強い痲痺が来ていて、往来で動けなくなる事もしばしばだった。
 外へ出ると、何か騙された様で、矢鱈に腹立たしさが募った。
「精神文化という奴も、唯その発生に意義があるだけで、形式に堕落したら、これぐらい下らない物はない。長谷の大仏なんて、実に阿呆くさいもんだな。馬鹿にしてるよ。」
「早く江の島へ行きましょうよ。」
 私達は古びた喫茶店に入り、一枚板で出来ているぶ厚いテーブルを前に腰かけて、後ろのポケットから取り出した観光案内図の上に互に指でさし示し合いながら、これからの順路の相談をした。
「観音様の境内から見えた海が、由比ヶ浜と言うのね。私、海が見たいわ。」
「僕も見たい。先に一旦、江の島へ行ってから又引き返す事にしようか。」
                       (続)

2019/02/10(日) ぬいぐるみ
神奈川銀行

2019/02/09(土) 南湖・空地
川柳もどき  19

秋過ぎて 手もとのストーブ 手をかざす

満腹に なってみたいと 言う男
 
可憐なる 女子の戯れ 風をのむ

荒野にて 独りたたずむ 我が心

秋三日 冬訪れて 涙ぐむ

冬は来る ものと言うより 根を張るや

家が鳴る 闇夜にカタカタ 軋むなり

2019/02/08(金) ポール
       鎌倉観光 4

「この入口じゃ、腰を曲げなければ入れないな。石段になっていて、底へ降りられる様になっているらしい。」
と、注連を張った暗い狭い入口を覗いて見て、私は呟いた。
「奧は八畳ほどの広さになっているのね。」
と、サキも立札を読んで言った。
「天井からは水が滴り落ちるだろうが、冬は、どうして過ごして居られたのだろう。お食事なんかどういう風にして差上げていたのだろう?」
「さだめし、女の宮人が毒味をして差上げていたのでしょうよ。その人は殺されなかったのでしょう?」
「ああ、そうらしいね。」
 私たちは愈々穴蔵の息吹きに吸いつけられて、中々そこを立ち去り兼ねた。崖の上では、梢が風に揺れ、ひゅーひゅーと音が鳴っていた。 親王のお首を捨て置いたと伝えられる処は、土牢より二十歩先の所にあって、小藪の周囲には、七五三しめ繩がしてあった。藪の前にわずかに3・4坪の平地があって、勅宣の碑が建てられ、それと別に檜皮ぶきの屋根のついた揚示板に墨痕うるわしく建碑の由来が書いてあった。
その後、サキに促されて、私は極度の興奮状態で、ふらふらと石段を下り宝物館の前に来て、親王の眞筆、お馬に乗られた木像、お召物の錦の袍などを拝觀して、境内の瀟洒な庭に出た。「あなた、あの親王樣のお召物と言うのは、あれは本当に着ていられた物なのでしょうか?私、どうにも信じられないの。」
「そんな事が分るものかい。」
 鳥居の前に、先刻、11時半には鎌倉駅前行きのバスが出ると、さっきの同乗者が言っていたが、もう客を待っていたので、急いで行って乗った。
駅前でバスを降り、駅前にある小さな公園のベンチに座り、サキが朝早く起きて作った握り飯やら玉子焼きなどで軽い昼食を済ますと、直ぐに藤沢駅行きの江ノ電に乗った。
 長谷で降りて、長谷寺に詣でた。さすがに古い建物らしく、何十本もの突支棒が、傾いた堂宇を支えていた。若い西洋人が二人、やや薄気味悪いい堂内にズカズカ入って行って、蝋燭の灯っている観音像を仰ぎながら早口に喋っていたが、御札所の眼鏡をかけた若い坊さんに何事かを質問し始めた。坊さんが、意外にも卷巻き舌の英語を操って、いちいち丁寧に説明してやっているのを、私達は羨ましく見ていた。
「あのお坊さん、よほど出来るのですね。わたし、びっくりした。」「ああ、こういう処には、西洋人もたくさん拝観に来るから、それなりの人が配置してあるらしいね。」 
             (続)

2019/02/07(木) えぼし号・市立病院方面
              鎌倉観光 3

 名物にもなっている人力車が、時々、埃を立てながら通っている。洒落た、開業間もない様に見えるカフェの前まで来ると、「今日は結構なお天気で。」と、麦わら帽子を被った、日に焼けた年寄りの地元民らしい人が、通りすがる主婦に声をかけて、また、短い影を後ろに引きずって、ゆるゆる歩を進めて行くのであった。
 やがて建長寺前へ辿り着いた。一昨年半僧坊の石段で、草むらから急に蛇が飛び出た時の不吉な思いが未だ忘れられず、今回の観光ルートからは外し、境内には入らなかった。山門の前の黒板を見たら、昨日が一般者参加可の座禅の日であった。
 少しの休憩の後、巨福呂坂を一気に越え、漸く、鶴ヶ岡八幡宮に着いた。金殿朱楼はお神楽の獅子の様で、不愉快なほど俗っぽく、観たいと思っていた宝物殿も覗かずに石段を下りた。
「こんな所に隠れていたんですか。よく見つからなかったものですね。」
「その当時の銀杏はもっと大きかったのだろう。何しろ、将軍樣のお通りに、警護の武士の眼をかすめるなんて、きっと、銀杏の幹に洞穴でもあって、隱れていたんだろうよ。」
公曉の隱れ銀杏の前で、一昨年と同じ事をサキは聞き、私も同じ答えを繰返して、朱塗りの太鼓橋を渡って三の鳥居の前へ出た。
「次は何処へ行こうかしら?」 思案していているところへ、大塔宮行のバスが走って来たので、行こう行こう、と元気な声で言ってサキを促しながら、私は急いで手を振って運転手に合図をした。 乗ってからわずか数分の後、バスは大塔宮護良親王を祀る鎌倉宮近くに着いた。バスを降り、少し歩いて目指した。
 まるで清楚な殿宇であった。私達は、手を洗い口をゆすいでから、お賽銭を上げ柏手を打って拝んだ。それから、他の参拝者の後に続いて行き、土牢拝観の切符を買い、社殿の裏手の崖下の穴蔵の前に立った。体中の汗が一瞬に引いたほど、四辺には窈冥な冷気がいっぱい漂っているかの様だった。
親王が幽閉されていた二階堂谷の窖というのは此処であったのか! 私は学生時代に愛読していた日本外史の、その章を咄嗟に思い出して、不意に感動に襲われて、頭の中がジーンと痺れた。
                           (続)

2019/02/06(水) ワルキューレ専用駐輪場
鎌倉観光 2
            
 円覚寺の門をくぐって、本殿、洪鐘、それから後山の佛日庵、北條時宗の墓など訪ねてから、再び二人は街道へ出た。 そして二人は次に、建長寺を目指して歩き出した。一歩、こうして都会から、そして生活から離れると、俄かにガックリと気力が緩み、それに徒歩の疲労も加わって、ともすれば不機嫌になりがちな私に、サキは気にしいしい、流行おくれの日傘を翳しかけるのであった。
 私はズボンのポケットからしわくちゃのハンカチを取り出して汗を拭いた。8月も殆ど終りで、東京の最近の熱波こそまだ喘ぐような暑さでも、ここまで来ると山は深く、海は近く、冷気がひたひたと肌に触れて、何とはなしに秋の間近い事が感じられた。
現に、私たちの前を歩いている白い上下の服に目深に帽子を被った旅の途中と見える二人連れの老人も、語り合っていた。「もう秋かね。」「そうだとも、間もなく秋だよ。」
ふと、何か思いが立ち上がって、私は立止まって、何処かにポッと紅葉が燃え出して来てはいないかと、見回したりした。
 街道の脇には、飲食店らしい所が以外に多い。だが店と店との間は名も知れぬ雑草に覆われている。いわゆる骨肉の争い、同族相殺した、仇と味方が相近き所が、何某の墓、何某の墓と印した立て札が、街道のそちらこちらの途上の辺に見えたりもした。  
 私は途中の土産物屋に立ち寄り、記念にしようかと思い立って、うず高く積まれた商品が埃っぽく埋もれた棚に、何か珍しい物や、文鎮でもないものかと、入り口から板敷きの店内を爪先立って見た。 他の客達でやや賑わっている店内だったので、道端で眺めていただけで、店には入らずにいる。「割と安いもんですね、手頃な値が付いているもの。」と、サキは言った。「そうだね。観光地の値が付いているかと思った。」と私も羨望の目を持って見た。
                       (続)
          

2019/02/05(火) 魚金
     鎌倉観光 1

 蒲田駅から京浜急行に乗り、横浜駅でJR横須賀線に乗り換えて行って北鎌倉駅で下車し、駅の時計を見ると10時になっていた。改札口を通り、駅前の売店で鎌倉・江の島の観光遊覧案内を買い、私とサキとはその地図の上に額と額とを突き合せて、まずは円覚寺の所在地を探しても今一つ分らなかった。
「円覚寺というのは、どちらでしょうか?」 サキが走って行って、駅近くのバス停留所で待っている女子のグループに尋ねて詳しく教わって、納得してから二人は直ぐ傍の線路を横切り、老木の間の古い石段を上って行った。
 真夏とは言え、私には、雑誌の編集に携わる身で何かと多忙で、寸暇もない状態の昨今だった。私たちの住んでいる蒲田の家の周囲は、サラリーマン階級の人達の住む安めの築浅マンションと瀟洒なアパートばかりで、夏場はみんな家族で、海や山へと、夏休みを取得して、ほぼ一斉に帰省や避暑地に出かけてしまい、私たち夫婦は、さながら野中の一軒屋に佗び住まいの様な状況だった。
そんな時、急に仕事に一段落がついたので、短い夏休みを取って、鎌倉・江の島行きを二人で決めたのだった。
 普段の毎日の生活は、夕食が終わると、私は六畳に仰向になり、白色電球の下で本を読むという日課にいそしむ。この部屋には、貧弱な机にノート・パソコン1台、隙間が目立つ本箱が1つ、雨が降れば一層寂しい夜をこれらで紛らわす、そういった雰囲気である。 数日前、私達は低い声で話し合ったのだった。「今日ね、前の田所さんの6つになるお孃ちゃんと仲良しのこの坂を下りた所の子供がね、母親に連れられて前の家に遊びに来たのよ、そしていつもの様に、智ちゃん、遊ばない?と言って庭へ入ると、智ちゃんのお姉さんが、智子は昨日から鎌倉へ避暑ですよって、ちょっと得意な口調で言ったら、その子供の母親は、文ちゃんも明日からお父さんと日光へ行くのですよ、ねぇ文ちゃん、帰りましょう、と言って帰ってしまったの。それが本当の事か、それとも子供の淋しい気持ちを思いやる母親のその場限りの出まかせか、聞いていて私とっても可笑しかったのよ。」
 元来、私は旅行や散策は嫌いな方で、諸々を歩き回るという様な心の余裕を持たずに生きて来て、大抵の場合一室に閉じ籠ることが長年の習癖になっている。でも、一昨年の春の桜の頃、妹夫婦が逗子に保養に来ていた事があり、一日、私たちは妹夫婦を訪ねての帰途、鎌倉駅で降りて、次の電車までのわずかの時間で、鶴岡八幡宮と建長寺とにお詣りしてからこの方、鎌倉だけは何時かゆっくり見てみたい気持ちがあった。サキも、始終、鎌倉に行きたい、江の島が見たい、長谷の大仏さんを拝みたいと、絶えず言っていたので、図らずも今回、願いの叶った彼女の喜び方は、一通りではなかった。が、丁度勤めている雑誌社に面倒な問題が持ち上っていて、行ける日がつい延び延びになっていた。
 前の晩サキは、一帳羅のハンド・バッグを押入れから取出し、きちんと布を掛けて部屋の隅に置き、よそ行きのワンピースも一緒に上にのせて支度を整えた。お握りを持って行きましょうか? とサキは言った。私は笑っていた。サキはまるで小学校時代の遠足の様な、稚い考えを抱いているのだった。寺の境内とか、原っぱの中とか、滑川のほとりや砂丘の上で弁当の包みを解き、脚を伸ばしてその弁当箱を開いて見たいのであった……。
              (続)

2019/02/04(月) 多国籍酒場・SitA
川柳もどき  18

酒場にて 飲みつつ過去を 偲びたる

鳳仙花 何処に咲くやら 捜しつつ

青空や 思い届けと 玉ほうる

街歩き 求め求めて 夢の花

鬼のいぬ 鬼ごっこして 一人なり

笹の葉の 風音聞きし 冬の空

梅いづこ 見かけて笑顔 君の春

2019/02/03(日) ソフトバンク
Y!mobile

2019/02/02(土) 入居者募集
        無常心

 私は自らは何も行動せずに、怠惰でただ薄ぼんやりして日々を送って行けたらいいと、贅沢で虫のいい事を考えている。私の様な役立たずの人間にはそんな事が許されてもいいのではと甘い考えを持っている。世の中の役に立つ様な事が出来るではなし、多少の害を世間の人に与えるばかりで、薬にはなりそうにない。出来るなら、無益無害で一生を送り通せたら最良だと考えている。現状、他人様の厄介にはならずに来てはいるが、いつ精神的・肉体的な故障が起きてもおかしくはない状況で他人の庇護なしでは暮らせなくなるかも知れないのだ。まさに、娑婆の尻の穴を塞いでいるのが精一杯の役どころと言った具合だ。
 今となってしまっては、世の中の役に立つなる様な事は何一つ出来そうにないし、考えられそうにもなく、毛頭、人の上に立つ役どころをしようとか、何か新しい事を起こして社会の役に立とうなどと考えていない。毎日を他人様の迷惑にならない様に、なるべく明るい気持ちで暮らせたら、それでいいと思っている。元来、自分で自分を信じられない性質を持ってここまで生きて来てしまっているので、ましてや他人のセリフを鵜呑みにして、尻馬に乗り信用するといった事はほとんどした事がない。
 どうせ人生と言うものは、退屈まぎれにいい加減な事をやらかし、周囲に迷惑をかけ尻拭いさせても平気な顔で、ツラの皮が厚く出来ていなければ貧乏クジばかり引かされる運命だ。たとえ何か良い事をして満足感を味わっても、じきにオダブツになるものだ。良いにしろ悪い人間だったにしろ、所詮浮世の馬鹿な夢の一席である。自分で自分の始末さえつける事も出来ないと言う処で、因果な落ちである。
息をする、飯を食う、歩く、行動する、眠るなどの事は他人には替わってやっては貰えない事だ。つまり人間は他の生物と、やっている事は何ら変わりがないと言う事だ。何かと色々言って見ても、つまりは生きている事に変わりはない。
 生きていると言うのは単純明快な日々の繰り返し、それには何の意味もないのだろう。
ただ生きている、この事自体が、大きな価値のある物であり、生きるとは淡々とした事の連続で、ここに実は、無常心と言われるものが隠されているのかも知れない。
     
               (了)

2019/02/01(金) 山下駐輪場
川柳もどき  17 

戯れも 離れるもあり 河原にて

この足で 丘を越えるも 夢なりぬ

懐かしき ヴァイオリンより 良き音色

堕落して 酒飲みまみれの 宵の内

煤煙に 包まれ貧しく 先見えず
 
異形なる 山中(やま)より出でし 古代の作

睦月にて 寒さも峠を 越えたるや


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