|
2019/04/29(月)
管理
|
|
|
夢の中の殺人 9 彼は寝る時、わざとナイフを傍らの戸棚に入れて戸を開けっ放して置くつもりである。勿論これは要次朗に十分見て認識されなければならないから。 深夜、恐らくは2時頃、彼は起きる。そうして、ナイフを取り出す。次に自ら咽喉の辺りを軽く2ヶ所程切る。それから柄の所をすっかり拭いて、(これは勿論自分が最後の使用者である事を見破られない為である)側に寝ている要次朗の左手に握らせる。 雄二は要次朗が左利きな事を知っている。これは全然眠っている所をやらないで、揺すり起こして要次朗が寝ぼけ眼でいる時の方が却って上手く行くであろう。 そうして要次朗が握った時、機を失わず、鉄の文鎮で一撃にその眉間を割るのだ。 勝負は一瞬の間だ。要次朗は直ちに死ぬに決っている。続いて彼はいかにも争っている様な悲鳴を上げる。 要次朗の死体の位置を適宜の所に置く。 その様に彼は完全に殺人を行う事が出来て、尚所罰を免れるのだ。 彼の申立は頗る簡単に行く筈である。 彼は警察・検察官に対し次の様に言うつもりである。 「私ハ夜中ニ何ダカ咽喉ト冷ヤリトシタモノヲ感ジマシタ。続イテ刺ス様ナ痛ミヲ覚エマシタノデハット思ッテ目ヲ開クト要一朗ガ悪鬼ノ様ナ相貌ヲシテ白イ光ル物ヲ持ッテ私ニ馬乗リニナッテイマス。部屋ニハ電気ガツイテイマスカラハッキリ解リマス。私ハ次ノ瞬間ニ殺サレルト思イマシタ。身体ハ押エラレテ動ケマセヌ。勿論逃ゲル暇ハアリマセヌ。思ワズ右手ヲnス伸バスト手ニ何カ堅イ物ガ触ッタノデ夢中デ要一朗ノ顔ヲ殴リツケマスト彼ハ『アッ』ト言ッテ倒レマシタ。私ハソレデ直グ人々ヲ呼ンダノデアリマス」 検事が果してこの言を信じるだろうか、無論信じない理由はない。あとは店主その他が要次朗の平素に就いて述べてくれるであろう。 実に素晴らしい企てである、と雄二は考えた。そうして思わず微笑した。 愈々就寝に入る時が来た。雄二は予定通りナイフを要次朗の目の前で戸棚に仕舞った。あとはもう寝るばかりである。 要次朗は美しい横顔を見せてすぐに眠りに落ちたらしい。 雄二はつくづくとその横顔に見入った。自然が男性の肉体に与えた美しい技巧である。しかし雄二には同性の美しさに好意を持つと言う事は断じてなかった。彼は今更、要次朗の顔を呪った。 12時半になり、1時頃になった。時は正に真夜中になろうとしている。しかしまだ何となく辺りが落ち着かない。雄二は、健康な肉体が必然に伴って来る烈しい睡魔と戦わねばならなかった。 彼は始め余りに緊張したせいか、2時頃に至ってますます甚しく疲れ始めた。銀次は何時ともなしにトロトロして来た。 と、彼は不思議な夢に襲われ始めた。 要次朗がいつの間にか立っている。見るとその片手にはキラリと閃く物を持っている。あっと思う間に、要次朗が、彼のすぐ側に寄って来た。次の瞬間に要次朗の顔が、映画の大写しの様に彼の顔の前に迫って来た。 途端に彼は咽喉の所にヒヤリと冷たい物が触れたと感じた。彼は叫ぼうとした。雄二の想像していたストーリー通りには要次朗は行動しなかったのである。 夢ではない!とピリッとした刹那、例え様のない、激しい痛みを咽喉の回りに感じると同時に、雄二の意識は失われて行ってしまったのだ。 ・・・・・ 要次朗はその夜のうちに逮捕された。彼はしかし警察官に対して、全然自分には雄二を殺した覚えがないと主張した。 検事の前においても無論その主張を維持した。 彼は、もし彼が雄二を殺したとすればそれは全く睡眠中の行動である。自分は今まで夢遊病の発作に度々襲われた事がある。 殊に地元にいた頃には、父親の頭を太い棒で殴り付けた事もあったと述べた。 O亭の主人はその主張を裏書きした。 用いたナイフと傍らにあった文鎮とは、しかし、O亭の主人の知らない物であった。のみならず頗る危険な物はあの部屋にはなかったと思う、と店主は述べた。 けれども、上野の商人達は要次朗にとって幸にも売った相手を覚えていた。短刀も文鎮もその前夜、要次朗と一緒に来た男に売った事をはっきりと述べた。 そして被害者の写真を見ると商人達は買い手を確認した。 無論、彼の犯行当時の精神状態は専門家の鑑定に附せられた。 その結果要次朗の陳述の通り、彼の殺人は夢遊病中の行動である事を検事・警察に認定され、無罪となったのだった。 (了)
|
|
|
|