日々是不穏
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2012/08/04(土) 夏コミ新刊プレ [Not Dream] その一
「寝るんじゃねぇ、この野郎!」
怒声と共に浴びせられた濁った水が顔を直撃し遁走しかけた意識を強引に呼び戻した。腫れ上がった目は少ししか開かず狭まった視界にぼんやり見えるのは見慣れた軍用ブーツ。
「夢の中に逃げようたってそうはいかんぞ?お前が組織の事を話すまで一睡だってさせるものか、起せ」
力の抜けきった体を無理矢理起され苦痛の声を上げても何の反応もない。そのまま固いスチールパイプの椅子に腰掛けさせられぐらりと落ちかけた頭を後ろから誰かが金髪を掴んで止める
「さぁ、手間をかけさせるな。今度こそ真面目に答えろ」
「っつ・・」
いきなり目の前に電気スタンドの明かりが突きつけられ蒼い瞳が眩しさに歪む。顔を背けてそれから逃れようとしても後ろでがっちり固定された頭は動く事もできない。
「まず、名前、住所、それに生年月日」
事務的な声は苛立を隠そうともしない。何度も同じ質問をしてきたからだろう。
「ジャン・J・ハボック・・階級は少尉・・所属は東方・・」
「いい加減にしろ!」
怒声と共に頬を鋭い痛みが走ってぬるりとまた口の中に鉄錆の味が広がるが声は止まるどころか
『所属は東方司令部、ロイ・マスタング大佐付き護衛官・・そう何度もそう言っただろがこのボンクラ共!』
突然スイッチが切り替わったかのように一気に凶暴な叫びとなって質問者を襲う。そのまま相手の胸ぐらを掴もうと腕を伸ばした所でがっと背中を撃ったのは警棒の一撃。容赦ないそれにうめき声を上げながら机に伏せた男の顔をまたスタンドの冷たい明かりが照らした。撲られて目鼻も判らない程腫れた顔は若い男のものだ。汚水と泥で汚れた頭に鈍く光るのは金の髪。意識が戻ったのか薄らと開いた瞳は深い蒼ーだが時折それがすっと氷のように薄く変わるのを質問者は気づいてはいない。
「まったくここまで往生際の悪い男は見た事ない。いいか貴様その節穴の目でよく見ろ?これが何だか判るな」
目の前に突き出されたのは一枚のカードだった。顔写真が右端に貼られ左には名前、住所など個人情報が書かれたそれにはグリフォンの紋章が透かしで入っている。アメストリスの国民で成人なら誰でも持ってるものー身分証明証だった。
「こいつは貴様の財布に入っていた物だ。写真も貴様の物だしこちらでも詳しく鑑定したが偽造だという証拠はでなかった。
つまりこれは貴様の身分証明書でここに書かれている通り貴様の名前はジャック・ストレイ、出身はここ南部のサウスシティで職業は輸入業者・・っとこれは見かけだけだけだったな」
「・・んなもんいくらでも偽造できる」
何度も見たのかもう驚きもなくハボックはそれを一瞥すると鼻で笑った。
『俺の名前はハボックで職業は軍人。そんな紙切れ一枚で変えられてたまるかよ』
ぺっと朱が混じった唾が机に吐き出され後ろの男がまた警棒で叩こうとするが
「まあ、待て軍曹」
手の一振りでそれを止めた男は黒い軍服姿だった。それはこの国で治安維持の役を担う憲兵所属という事を表す。
「こちらも民間人を・・おっと君の主張だと軍人だそうだが不用意に痛めつけるのはまずいんでね。どんな荒唐無稽な言い分ももちゃんと裏付けは取るんだよ。二日前に貴様がサウスブロンクスの安宿で死体と一緒に発見されてから聞かされ続けた言い訳にこちらもうんざりだったがちゃんと東方司令部ロイ・マスタング大佐には問い合わせをしたんだ」
ロイ・マスタング大佐ーその名を聞いた途端蒼い瞳に生気が戻る。期待に輝く顔はしかし
「ジャン・ハボック少尉は確かに東方司令部に存在する。だがそれは貴様じゃない。何故なら彼はちゃんと今現在東方司令部にいるからだ」
予想もしなかった返事に凍ったように固まった。
「・・ウソだろ」
『それって何の冗談だよ』
「向こうもこんな問い合わせに随分驚いたらしい。そりゃイシュヴァールの英雄の部下がこんな所で殺人事件に巻き込まれたました。なんて言われても返事のしようがないだろうさ。それでもさすがは英雄だ。きちんと文書で返事を送ってきた」
ぺらりと目の前に広げられたのは軍の公文書に使われる書類だ
タイプで打たれた文の末尾を飾る流麗な署名はもうすっかり馴染みのもの。
「貴官が問い合わせのジャン・ハボック少尉は確かに東方司令部に所属し私の護衛官を長年勤めております。しかしながら彼はサウスシティに行ってはおらず今も東方司令部で職務に励んででいる事は私が保証いたします。よって貴官が捕えた容疑者は
ハボック少尉と全くの別人である事は確かな事実です。念のためにハボック少尉の軍籍証明書を同封いたしますのでご確認ください・・だとさ」

中略

「いい加減にしたまえ」
涼やかな声が緊張しきった空間に響いた。その瞬間弾かれたように蒼い瞳が声のする方を向く。
「大佐!」
『ロイ!』
声の主はエレベーターの中にいた。非常事態に止まったままの金属の籠からこちらを見下ろす黒曜石の瞳は確かにハボックの飼い主のものだ。歓喜の声を上げる部下に冷徹な瞳が緩んだように柔らかい光を宿し白い手袋をはめた手が誘うように差し出される。それに見とれた男は一瞬何もかも忘れた。ここが敵地であることも自分達がどういう状況にあるのかも。
『・・・ロイ?』
差し出された手の中に握り締められてたのが小さな拳銃だと判った時も蜘蛛の糸に絡められた虫のようにハボックの体は動かなかった。


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