|
2012/08/06(月)
夏コミ新刊プレ [Not Dream] その二
|
|
|
「困った事が起きたのだよ、マスタング君」 その男が東方にやって来たのはハボックから最後の連絡があった次の日だった。明日には戻るから残業は無しにして下さいよと念を押され緩む頬を抑えながら必死に書類と格闘していた午後 「これは・・サザック将軍。お出でになってるとは知らず挨拶にも行かないで申し訳ありませんでした」 南方司令部のトップにしてブラッドレイ大総統の側近中の側近と恐れられる老人は幾多の権力闘争に打ち勝ってきた狡猾な狐だ。セントラルの親友も徒に敵にするなと以前忠告してきた程の人物の来訪にロイの顔も自然緊張する。 「なにセントラルに行く途中グラマンの皺面を見に寄ったにすぎんよ。仕事の邪魔をしてすまない」 笑う顔は好々爺に見えるが油断は禁物。軍上層部にはこういう年老いた妖怪変化が沢山巣食っている事をロイはよく知っていた。 「野戦指導にそちらの教官を派遣してくれて助かったよ。さすがイシュヴァールを経験した兵士を擁する東方軍だ。同じ最前線でも小競り合いしかないうちとは気構えが違う。特にハボック少尉・・だったか。彼は大変優秀な兵士だね。模擬戦でもうちの兵が誰も歯が立たないと上官共が嘆いておった」 「・・お褒めの言葉ありがとうございます」 思いがけない名にロイの緊張は一気に高まる。まさか司令部直々の引き抜きはないだろうがあの金髪の大型犬は過去に北の女王に所望されたことだってあるのだ。 ・・あの駄犬共。他所では手加減しろとあれほど言ったのに! アンタの名誉に関わる事だからそんな事はできません。 そーだよロイの番犬は牙が鋭いって事奴らにしらせなきゃ。 飼い主の心も知らずへらりと笑った笑顔が目に浮かぶ。その笑顔にどんな好条件をつけても譲らないぞと誓ったところで次の相手の言葉にロイは凍り付いた。 「そのハボック少尉だが困った事に昨夜憲兵に逮捕されてね。容疑は殺人と麻薬の密売だ」 「まさか・・」 「信じたくない気持は判るがこれは事実だ、マスタング君。ジャン・ハボック少尉は一昨夜とある歓楽街の一角で憲兵隊に逮捕された。当時その周辺で言い争う声と悲鳴のようなものが聞こえたと通報があり憲兵が付近を捜索中に少尉を発見。職務質問した所逃げ出そうとしたのでその場で確保、憲兵本部にて取り調べを行ったところ所持品からこれが発見された」 ごとりと机の上に置かれたのはビニール袋に入った血染めのコンバットナイフでそれはハボック愛用の品だ。柄の所にJ・J・Hと彫り込まれてるそれがハボックの手の中で必殺の武器となるのをロイは何度も見ている。 「このナイフについた血と被害者の物が一致。しかも被害者の服から彼の指紋も検出された。被害者はレス・カーソン。その辺りを縄張りにしている麻薬の密売人でハボック少尉のポケットに入っていたのがこれだ」 小さなビニールの袋に小分けされた白い粉。イーストシティでもその撲滅に何度も軍が関わっていたからロイにはそれが何だかすぐに判った。 「通称ブラックシープ。サウスシティで流通し始めた新手の麻薬だよ。値段が手頃な割に効果が長続きするとジャンキーの間では評判の品で最近は品薄から売人と客の間に小競り合いが絶えないらしい。この場合もそうじゃないかな?薬を買おうとしたたハボック少尉とカーソンの間に争いがあって・・」 「ありえません!」 聞くに耐えない話にロイの限界もここまでだった。大事な部下を殺人犯どころかジャンキーにされて黙ってられる訳はない。「ハボック少尉は麻薬になぞ決して手にしませんし民間人を手にかけるような男でもありません。失礼ですが将軍それは何かの間違いではないですか?」 「何一つ間違いなぞないよ、マスタング君」 ロイの反発なぞ想定内なのだろう。顔色一つ変えずに老人は数枚の書類を机の上に投げ出した。 「物的証拠、証人、目撃者・・それに本人の自白まであるのだ。ここまで揃ったものを覆す事なぞ例え大総統閣下だって不可能だろう・・そうは思わんかマスタング君」 「・・何が望みなんですか、サザック将軍」 つまりこれは最初から用意された事実でおそらく実際は何一つ起ってないのだろう。多分ハボックは南方軍に人質として囚われてサザックの来訪はその交渉という事だ。そう腹を括ったロイは逸る心を抑えて相手の出方を伺うが 「いいや、何も」 老人はただ首を振って笑うだけだ。
中略
『だからって!ここでこのままのたれ死にするつもりかよ、ジャン!』 「・・それも良いか。ここから脱出したってもう大佐は俺らを必要としてくんないもんなぁ」 『ジャン!』 相棒の意外な脆さにジャクリーンは何とか気力を持たせようと叫ぶが効果はない。飄々と人生を渡っていく片割れには何事にも動じない強かさと他人を思いやる優しさがあった。それだから魂だけの自分を受け入れ人生を分けてくれたのに無力な自分は絶望の淵に沈んでいく彼を救う事もできない。 『ジャン、なぁ聞けって!あれは違う、ロイじゃない。俺には判るんだって!』 必死の呼び掛けにも心を閉ざした片割れは応えない。熱と痛みに苦しむ体ではいくら片方は気力が残っていても腕1本上げる事すらできず意識を保つ事すらままならない。 畜生!このままじゃマジヤバい。何とか生き延びてロイに会わなけりゃ・・ 相棒共々こんな穴蔵で自滅する気はさらさらない。せめて熱に震える体を抑えようと傷ついた大型犬は腕をまわしてうずくまる。その姿はまるで野生の獣が自らを癒すようでもありまだ生まれぬ胎児のようでもあった。
|
|
|