〜ing〜アメリカつれづれ日記
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2006/11/10(金) バーブラ・ストライザンドとアメリカのおばさんパワー
昨夜、バーブラ・ストライザンドのコンサートを聞きに行った。アメリカで、こういう大きなインドアの体育館をでかくしたプロバスケットとかプロホッケー場でのコンサートを聞きに行ったのは初めてのような気がする。まあ、どんなとこだろ、どんな人が聞きに来てるのだろう、と興味深々で行ったところ、ああ、びっくりした。アメリカのおばさんパワー炸裂である。開場を待つ長い列ーありがたいことに昨夜は珍しくかなり暖かかった。会場にやっと入れたと思ったら、ストライザンドの記念パンフレット40ドルをつかんでいくファンたち(私なんか、おっさんにパンフレットに触らしてももらえなかった、40ドルかよお〜〜高すぎる)、各階にいくつもある臨時売店にも、これまた人だかりで、これまた40ドルから50ドルもするストライザンドのT-シャツをみんな必死のまなざしで買っている。。ああ、びっくりした。。。とにかく中年、初老のおばさんたち、中にはつえをついたよぼよぼした女性もいた。。すごい!!!いっしょに来ているおっさんたちも白髪まじりでおなかが突き出た中年、初老ばっかり。。どうやら、おばさんたちに引きづられてきた人たちばっかりだろう。マイケル君などは、切符が10ドルでも行かない、と言い切ったぐらいで、癖の強いバーブラ・ストライザンドの歌声を男たちが好くわけないのである。中に入ってびっくり。。私は、一人200ドルの席だったので3階だったが(一番安い席は100ドルだったが、さすが、私の青春時代の思い出のためには、そこまでけちる気にならなかったのだが、マイケル君には、げええ、200ドルとかなり揶揄されたー笑)、1階をのぞいてびっくりーステージ前の特等席一人750ドルの席が満席である。きのうは火曜日に続いての2回目のコンサートで、火曜日は満場売り切れだったようだが、きのうもほぼ満員に近かった。あの”体育館”、1階から3階までいったい何人入れるのだろうか。。プロスポーツの会場だから相当な人数である。高所恐怖症の私は、びくびくしながら、それでも、ステージの真横で、前から3番目の列だったので、なかなかよかった。最前列の女性なんか、3階から今にも下に落ちそうなぐらい身を乗り出している。熱狂的なファンに違いない。隣に座った初老の女性は、2階の一人350ドルの席を買って一人で来るつもりだったが、主人が来るとか言うので、しょうことなしに200ドルを二人分買ったと笑った。だんなのほうは、強制的につれてこられた、と笑った。私の右隣のこれまただんなは、大きなポップコーンの箱をかかえて、始終ぼりぼりぼり。。ハリウッドのアクション映画でも見にきたのりである。その横に座った奥さんのために、しょうことなしに来たに違いない。それにしても、夫婦そろって400ドル払って、ポップコーンかよ、と私は思わず苦笑いしてしまった。。前座はどんな人がでてくるのか、と思いきや、さすがなかった。ストライザンド64才、しょっぱなから登場。おばさんたちが一斉に「きゃあ、きゃあ」と立ち上がって声を上げる。こっちの耳が痛くなる。ああ、びっくりした。。大きなスクリーンに映し出されたストライザンドの顔は、さすがプロがうまく化粧しているに違いない、年を感じさせなかった。。肉眼でも真上から、スタイルのよさはよく見えた。すごい。。そして声量は、昔、レコードと聞いていたのとあまり変わらないように聞こえた。確かに、裏声にも近い高音部分は、上げずに下げてメロディを変えたし、休憩前の前半では、歌の最後のほう、声がざらついてきて、聞いているのがちょっとつらくなる部分もあったが、休憩後は声がよくのびて、若いときのレコードとまったく同じように聞こえた。ああ、すごいなあ。。42年のキャリアだという。映画「ファニーガール」から「ピープル」も聞いた。「追憶」は涙なしに聞けなかった。ずっとずっと昔、恋愛や結婚に、「乙女の夢」はかなわぬとは知りながら、それでも淡い夢を抱いていたあの10代の終わりから20代の初め、一晩中夜明けまで、ウイスキーをロックで飲みながら、耳にヘッドホーンをあてて、ストライザンドのレコードを聴いていたのである。飲みすぎて、顔が蕁麻疹で紫にはれてしまったこともあった。。あのころの、今から思えばひねくれてはいたけれど、純でナイーブな気持ちと、その先の不透明な人生に対して抱いていた不安を思いだした。不透明な若い時代は、なんと残酷な時代でもあったことだろう。遠くまで来てしまったものだなあ、とつくづく思う。もう今は、不透明どころか、はっきりと見えるのである、この先に何が待っているかを。あの時代、いつか生のストライザンドを見るだろうとはつゆとも想像もできなかったろう。30年後に、ストライザンドが歌い続けているとも。。ストライザンドがシカゴに来たのは40年ぶりだという。大昔にソルジャーズフィールドでコンサートをしたとか。シカゴに来てほんとによかったと思った。64歳とは思えぬ力強い歌声を聴きながら、私もがんばろう、と力をもらった。彼女もきっと歌えるところまで歌い続けるに違いない。続けることが大事なのである。もう高いパンフレットもティシャツも買う必要は感じなかったけれど。。青春はいくらいつくしみ、振り返っても戻ってはこない。ただ前を向いて生きるのみである。死ぬまで生きるのみ。。一生に一度のストライザンドのコンサートだったと思う。青春という青い季節が人生でたった一度であるように。。


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