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2006/06/18(日)
イリノイ人
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イリノイ本もやっと終わりが見えてきた。この夏中には、出版社を探すところまでこぎつけたいものだ。それにしても、ごそごそ誰でもできることだけど、私のようによっぽど暇な人間じゃないとできないことーあっちこっちの資料を読みあさっていて、面白いなあと思ったことがある。第1次大戦中に3人の有名なイリノイ生まれの男たちが、赤十字の救急車の運転に関わっているのである。一人はヘミングウエー。確か彼はイタリア戦線に送られたんだったっけ。2人目はウォルト・デイズニ−。彼はフランスに送られ、漫画を車体全体に描いてカムフラージュ代わりにしてたとか。ほんとか嘘か、その写真でも見せてもらわねば信じられない。(笑)3人目は、マクドナルドのチェーンをはじめたレイモンド・クロック。彼は、運転訓練は受けたが、ヨーロッパに送られる直前に終戦になったとか。ヘミングウエーは、救急車の運転をしていて負傷、病院にいるあいだに年上の看護婦と恋をし、のちに「武器よさらば」だったか、小説を書いて有名になった。ディズニーは、救急者に描いた漫画がほめられたのかどうか(笑)、帰国後商業アートの道に進み、のちにデイズニ−ランドを作った。そしてクロックは、戦場を見なかったせいか、マクドナルドという、従業員を工場のアセンブリーラインのように扱う非人間的生産ラインを作り、「早ければ早いほどいい」「安ければ安いほどいい」「大きければ大きいほどいい」という、大量生産、大量消費の文明破壊的手法で巨額の富を築き、今は健康問題なり、アメリカの文化帝国主義の尖兵とみなされて批判もされている。やっぱり「あきんど」は嫌いだなあ、という思いと、たかが救急車の運転だけでも、人それぞれ経験は違い、かつそれがその後の人生をかいま見る一つのツールになってるなあ、という思いが交錯して、一人にやにや。それにしても、20世紀はじめのティーンエージャーにとって、戦場で赤十字の救急車を運転するって、そんなに魅力的なことだったのだろうか。
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