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2006/08/13(日)
知っている人の死
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昨夜、いきつけのお寿司屋さんへ行って、昔いっしょに働いた男が最近死んだと聞いた。私が生まれてはじめて(そして、たぶん最後の)ウエートレスになったとき、大先輩の顔でいろいろ教えてくれた男である。ウエーター稼業でアメリカを渡っていたらしい男である。私と同じか、1つ2つほど若かったかも知れない。いっしょに仕事をしているときから、くだらぬ男とはわかっていたが、それでも大先輩?らしく、私にはとりたてて不都合があったわけではなかった。でも雇う側から見ると、いろいろ問題があった男らしい。私が仕事をやめてから、2、3カ所別のところでウエーターをしているのを見かけたこともあったが、数年ものあいだそれっきりになっていた。ところが、昨夜、どうやらドラッグのやりすぎで死亡、死体が腐って臭いがして、回りが騒ぎだすまでアパートでほったらかしになっていたらしいと聞いた。身元不明死体扱いで、病院で長いあいだ冷凍状態になってたとか。いっしょに仕事をしていたときは40代。女もいないようで、寂しい思いをしていたのはようくわかっていた。寂しいから、ますます意固地に、意地悪くなっていっていた。身体も、知っているときから、ぶくぶく太って、魅力的とはいいがたかった。女ができるとは思えなかった。で、まるで当然のごとく、映画に出てくるような結末である。逃げ場がなくなって、ドラッグで身を滅ぼすーそういう結末が似合う男だったと非情にも思うけれど、やはり知っている人の死は悲しい。死ななくてもよかったのに。でもみんなに見捨てられるような男だったのだろう。寿司屋の友達に、「もういないんだね」と言ったら、「いない」「死んだんだね」と言ったら「同じことだよ。もう考えなくてもいいよ」と言った。彼もきっと心の中ですごく悲しかったんだと思う。何か自分にもできたことがあったんじゃないか、と繰り返し思いつつも、どうしようもない男でこっちもさんざん迷惑をかけられたんだからという腹立ちのあいだで苦しんだに違いない。地縁血縁のないアメリカで生活するのは大変である。「みんな寂しいんだから。あれはあいつのチョイスだったんだよ」と友達は言った。チョイスー自分だけに問われ、自分だけが答えを知っている厳しい言葉である。
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