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2007/10/31(水)
戦後教育のなかの(国民)
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すごい本を見つけてしまったと思って、ちびちび、でもふんふん、と考えながら、必死で読んでいる。が、なかなか進まない。進めたくないのである。ゆっくりじっくり読んで、自分の中で考えをまとめていかなくては。。それにしても、教育基本法がどのように作られたかを知って、腹が立ってきた。憲法同様、交付にはGHQの許可がいった法案だが、なんとGHQに出した英訳と、日本人(帝国議会?)向けの日本語のものとは訳を変えているー要するに内容が違う、というわけナある。たとえば、peopleというGHQが使った言葉は、アメリカ人の感覚で、たぶん社会の中の多様性を認めるものだったろうに、日本語では「国民」とし、外国人を排除するものになっているとか。「コミュニティ」も同じ。要は、翻訳ですりかえて、アメリカ人の目をごまかして、許可を得たけれど、結局は、本質を獲得することはなかったというわけである。その翻訳のすり替えが作為的だったのか否か。要するに、当時の官僚たちの英語力はいかがなものだったか、というわけだが。。げっ、げっ、げっ。。そのくせ、表面をなぞっただけで、民主主義だとか自由だとか、個性だとかといった言葉の使用は平然となされてきたから、そのつけが、今の日本社会だろう。平気で親が殺せる子供たち。。年金問題といい、その場しのぎで、何でもかんでもごまかせば、それですむと思ってる人間たち。。まあ、ざまあみろかな。。いつもマイノリティとして、日本社会のマージナルの部分に押し込められてきた人間としては。。(笑) 教育基本法は確かつい最近、改正されたのではなかったか。。アメリカ人の目をごまかしてつくったにすぎない法案の何を改正したのか。。たぶん、教育の本質の追求からはさらに軌道をはずしていくものになりつつあるだけだろうなあ。。で、建前と本音のあいだに自らを落として、結局は自滅していくだけの馬鹿な日本人たち。。
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