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2007/02/27(火)
アメリカという国
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やっと「ドレッド・スコット判決」関係の資料を読み終えた。ああ、しんどかった。ドレッド・スコットは、1854年あたりから、自分はイリノイのような自由州に住んでいたんだから、自由の身だと主張した奴隷だった人である。で、それを認めるか認めないかで、連邦最高裁まで争われた裁判だが、その経緯を読んでいると、つくづくこの国の成立のむずかしさ、と同時に面白さを実感する。1人の人間が何者であるかを決めるのに、州と連邦がその権限を争い、かつ最後は憲法解釈が争点となるのである。人間社会の理想を掲げてーつまり頭でっかちで(笑)−成立している国と、地縁・血縁でなんとなくぼわっと長年存在してきた日本とは決定的な違いがあると思う。黒人はアメリカ市民になれるかどうか、といった問いは、現代の妊娠中絶の是非をめぐる論争にまでつながっているようだ。つまり、憲法は胎児を守ると規定されているかどうか、である。ああ、疲れる、疲れる。。一つ決定的に理解できるようになったのは、人間社会で決定権をもっているのは、決して人道的感情ではないということだ。人道なんてふっとんでしまって、ただただ政治と法律かも。。(悲)だからこそ、「道端の小さな野花」に視線を注ごうとする、売れないライターの存在価値があるというものだ!!!(笑)日本では冤罪の痴漢裁判の映画ができたそうで、ぜひ見たいと思っているが、現代の法曹界、政界にまで影響を及ぼしているドレッドスコット判決の経緯などを考えると、裁判なんて、日本の社会文化風土、そして日本人にはまったくそぐわないと、つくづく考えてしまう。日本人には、法解釈のために長年の時間とエネルギーを浪費しなくてもいい、うまく人間関係をつむぐ地縁・血縁の知恵がかつてはあったのではないだろうか。日本国憲法はアメリカに押し付けられたという論もあるようだが、アメリカ憲法とはだいぶ性格が違うのではないだろうか(勉強したことはないけれど。。)ああ、とにもかくにも疲れた、疲れた。。。リーガルマインドとは縁のない頭では、アメリカは荷が重過ぎる。それでも、はじめて勉強するアメリカ史のむずかしさ、面白さに惹かれていく自分に満足である。
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