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2007/09/13(木)
朝から穴掘り
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やっと気温が下がったおかげで、蚊の発生も少なくなった。おかげで、庭に出て、時間をつぶせるようになった。で、朝から穴掘りである。そろそろ種苗会社から秋植えの苗が送られてくる。今年の春に自分が何を注文したかなんて、すっかり忘れてしまっているから、ああ、そういえば、と思い出しながら、朝から穴を掘る。通信販売の苗は小さい。朝から掘る穴の大きさにはちょうどいい。確かに近所の店で鉢を買うと、大きくなっているから見た目にはいいのだけれど、掘る穴が大きくなってめんどくさくなる。でも通信販売の小さい苗は、生き残るかどうかわからず、お金の無駄遣いになる可能性大である。でもそれは、大きな穴を掘るのがめんどくさくなっていい加減なことをしても同じである。で、学んだことーガーデニングって金食い虫である。でも楽しみがある。毎日毎日、時間が過ぎていくのが楽しみになる楽しみがある。どこか子育てと似ているところもあるが、子供は親とけんかを重ね、自我を確立して、自分からいつか離れていく。植物は静かにいつもそこにいてくれる。大きな違いである。(笑)友達からは、多佳子さんは都会好きのイメージがあったけれど、このごろは自然の話が多いですね、というメールをもらった。私も年をとったものだ。確かに昔は都会が好きだった。今はもう、都会のエネルギーは虚飾だというのがよくわかる。虚飾のエネルギーを必要とするのは若い人だけである。若いエネルギーにあふれた体は、虚飾の刺激を必要とする。ネオン派手派手、暗いところでかっこだけつけてるレストラン。でもその店が来年までやっているかどうかなんて誰にもわからない。みんなその場しのぎで、見栄を張ってるだけだ。それが都会。若い人の体がもっているエネルギーは、その見栄と虚飾を凌駕し、きっとその刺激が面白く感じられるのだろう。だが、年をとった体には、その見栄と虚飾を凌駕するエネルギーはもうない。体が必要としているのは体を維持するための本物のエネルギー。だから自然に回帰である。自然には見栄も虚飾もない。そこには、四季が変わらず来て、いのちが躍動して、そして消えるという変わらぬ循環がある。変わらぬ循環こそが生の本質であり、本物のエネルギーである。秋が来て、朝から小さな穴堀りができるようになって、こんなに幸せなことはない。
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