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2007/09/06(木)
土法
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哲学者鶴見俊輔の言葉を新聞で読んだ。忘れないように書き留めておこう。「土法」である。「自然の中にある生き物の存在の理法なんですね。あらゆる文化に、人の生、存在を支える土法がある。その「土法」にプラグマティズムの働きがある」いわば、人間の思考や行動を根拠づける、経験の見えない土台、文化の基盤のようなものだそうだ。それは西洋発の「真理」や「正しさ」といった観念に拝跪してしまう近代日本の袋小路を乗り越える発想の拠点ともなるそうな。。「日本のフ@シズムは東大卒の(観念にひれ伏す)”亜インテリ”が担った。日本の大学は「土法」をつかむことができなかった。戦後日本も「金を使う」ことで目に見える進歩だけを考えた。今はもう、日本に本来あったプラグマティズムに戻る力も失っている」言葉が言葉を重ねてできあがる観念ー真理やらなんとかと名づけるもの-ではなく、「土法」-私という人間の経験の土台となっているものー経験とは身体だけが知っているものー言葉に化けることのない本質を知っている身体的記憶ー身体の記憶をまさぐり、それを自分の中で凝集・凝固、そして昇華止揚させて、自分の中に自分だけが頼れる自分の骨組みー私自身の「土法」を創って、その変容を見つめ続けて生きていきたい。。
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