〜ing〜アメリカつれづれ日記
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2008/02/19(火) 激震地より 2
昨夜、乱射事件のメモリアルサービスに、ろうそくをもってでかけてきた。講堂は学生やら教授やら、人がはいりきれないほどあふれかえっている。メディアのテレビカメラが一番後ろで何台も並んでいる。マイクをもったレポーターが準備に忙しい。隣にいたおっさんは、携帯の電話?か何かに必死で打ち込みをしている。原稿を送っているのだろう。学長やら副学長やらその他4,5人、大学関係者トップが出てきて、スピーチをした。びっくりしたのは、ジェシージャクソンまで来ていたことである。カリフォルニア時代にジャクソンとは握手したことがある。いつだったか、また別のところでも会ったような記憶がする。どこにでも顔を出すおっさんだ。で、そのスピーチといえば、やはり聴衆をのせて一体感を作るのが上手である。声の抑揚のつけかた、煽り?かた、なるほどこれがあんたの仕事か、と思わせる巧みさだった。で、びっくりしたのは、学生たちの反応である。日本だったら、絶対にこうはいかないな、と思った。それぞれのスピーチにあわせて、自然に拍手がわき、みんなが自然に立ち上がり、講堂全体にコミュニティの”合意”が生まれていた。ここで、こうしましょう、とあらかじめ予行演習した行動ではない。心から自然に生まれ、みんなが共有したコミュニティ帰属感である。日本人に、こんな自然な帰属感、一体感を生むことができるだろうか。私は1人ではない、みんなとつながっているんだ、という帰属感と安心。。この大学で働きはじめて7年。自分もいよいよその中の1人なんだと自覚した。もっとびっくりしたのは、キャンパスにできた雪山のあちこちに、十字架がたてられて、みんなが花やらろうそくを置いているのを見たときである。たっている十字架は6本。犠牲者は5人で、最後の1本は犯人のである。確かに、5人の十字架には名前が入っている、犯人のは名前がなく、真っ白である。でも、6本並んでいる。こういうことは、日本では可能だろうか。惨劇をひきおこした犯人と犠牲者が並ぶ。日本なら、すぐに遺族やら回りの人間、メディアやらが「馬鹿にするな、侮辱だ」と怒りの大攻撃となって、犯人を疎外してしまうだろうー、日本人の感覚にしてみれば、して当然だが。ところが、こっちでは犯人も犠牲者も同列である。これって、死もまた「神の下の平等」ということなのか。確かに死んでしまえば、死そのものは同じである。なぜ殺されねばならなかったのか、なぜ殺したのか、という部分を理解するのに、残されたものは悩むが、死そのものは、みんな同じ。。。こういう考え方は、日本人には理解できないのではないか。いや、理解はできても、実際の事件の現場で、こういう風に犯人を扱うことができるだろうか。私は、その時は何も考えずに、たまたま犯人の十字架の前の雪の上にろうそくを置いた。死んでしまえば、犯人もまた何かの犠牲者かも知れぬ。もちろん会場では、犯人への憎しみの声はいっさい聞かれなかった。いかにこの状況を乗り切るか、だけである。それは、すべてを神の判断に身を任せる、ということだろうか。日本とアメリカはぜんぜん違う、とあらためて思った。アメリカは、心地よく突き抜けている。”神”のそばに”戻る”のを人生の最終目標?に、”天”まで”突き抜けて”いるのだろうか。事件現場周辺は、黄色いテープが張られて、立ち入り禁止となっており、パトカーと、後ろがまあるくなった見たこともない形の小型の白いバンが3台止まっていた。バンには文字は一切ない。駐車場には、aftermath incと書かれた小さな車が止まっていた。どうやら掃除業者らしい。aftermathか。想像するに、銃で撃たれて、撃って、即死の人間が4人いた教室は血の海になっていたに違いない。メディアには決して流れなかった光景である。事件現場の掃除業者は、死体に化粧を施したり、服を着せたりする人は、焼き場で棺おけをのせたエレベータのボタンを押す人は、死刑執行のボタンを押す人は、どんな気持ちで仕事をしているのだろうか。一度話を聞いてみたくなった。


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