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2008/03/25(火)
激震地より
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まだ、人に会うと尋ねられる、「大変でしたね、大丈夫でしたか」乱射事件のことである。あれから1ケ月半ー聞かれても、本音は、困る、である。私は家にいただけだから。事件のあったビルも教室も入ったことがなく、想像がつかない。たとえあの瞬間にキャンパスにいた人間でも、たぶん事件そのものは想像がつかないだろう。知っているのは、ビルの近くで発砲の音を聞いた人、そして教室で犯人に遭遇した人たちだけである。大丈夫でしたか、と聞かれても。。。大学当局とコミュニティが一丸となって、ともに前向きに、を前面に押し出してきたから、もう事件すら、どこかほんとにあったかどうかすらわからなくなってしまったような感じである。あったのである。キャンパスの教会前にはまだ十字架が6本立っている。今日、その前を通ると、これまで十字架にまきつけてあった大学のシンボルカラーの赤と黒のリボンが、真っ白の長いリボンに変わり、風にそよいでいた。犯人も含めて、亡くなった6人が、いよいよ天使?それとも天女?になって、空にでも舞い上がっていくようなイメージを抱いた。2週間ほど前だったか、その中の1本を焼こうとした人間がいたらしい。犯人のだろう。気持ちはわかる。が、教会はすべて新しくして、また6本立てている。亡くなった人たちはもう帰ってこない。それだけが、あとに残された者が知る現実である。「大丈夫でしたか」なんて聞かれても。。そういえば、週末、ナチスドイツの強制収容所に入れられていたユダヤ人の映画を見た。死が日常になった世界で、ただひたすら生き残ることを考える意味、生きて収容所から出られて、そしてそのあとどう生きるのか、日々平穏無事に生活していたら、そう必死になって考えることのない問いである。それが、戦争なり、乱射事件なりがあって、犠牲者が出たときに不意に突きつけられる。特攻隊員の人たちは、自分の死に課された意義を必死で自分に納得させて、飛び立っていった。たぶんそれは、乱射事件の犯人にとっても同じだったろう。死に意義を見出すことーそれが国家による強制か、それとも自分の自由意思か。。そして残された者も犠牲者の死の意義を必死で探す。。。大変でしたね、大丈夫でしたか、と聞かれても。。今だ、犠牲者の死の意義を静かに、でも必死で探している者は、ただただ微笑むのみである。激震地は、今まだ深く静かである。
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