〜ing〜アメリカつれづれ日記
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2008/04/14(月) 命の大切さを教える?
今日のニュースで、町に植えてあったチューリップが400本だか500本だかが、ただ切り取られて、そのあたりにおいてあった、というニュースを読んだ。かわいそうだな、と思った。切り取る人間が、である。今、ここにある自分がどんなに有難い、恵まれた存在かがわからない人間なのである。なぜ、一生懸命咲いているチューリップを切り取りたくなるか。自分が不幸な人間だとか自分を自分であわれんでいるから、ふん、こんなチューリップなんかで喜んでAあほか、切ってやれ、と他人を自分と同じ’不幸’に落としたいのだろう。かわいそうに。きのう、特攻隊員だった人のドキュメンタリー映画を見たが、なぜだかあれからずっと心が落ち込んでいる。とりわけ特攻に関する新しい情報を得た、というわけではないけれどーそういえば、ガソリンがないから松脂を集めて使っていた(悲)、とは知らなかったー、若い人たちが「いかに死ぬか」に自分たちの意識を集中していたと聞き、花束?かを持って、笑いながら機に乗り込んでいくその映像を見て、ずっと重いものが心にのしかかっている。「死」をずっと考えていきる生の重さーどうしても、他人がいやがる?悲しむことをしたくて、チューリップを切りたくなる人間に、こういう映像を見せるべきだと思う。思いだすに、私の学校時代にこういう生々しい戦争の映像を見ることはなかった。なぜ見せないのだろう。右翼だか左翼から苦情が来るのか来ないのか知らないけれど、「命の大切さ」を教えねば、とか言うのなら、校長先生が全校集会で大仰な言葉を並べるより、はるかに効果的だと私は思う。死が身近になったとき、一番美しく輝いて見えるのは、日々変わらず、どんなに小さくとも咲き続けようとする「命」の強靭さではあるまいか。
ああ、いやなニュースを読んだ。遠い昔に死んでしまった仲間の人たちのことを思いながら、今日も生きている、生きねばならぬ特攻隊員だった人たちの表情は忘れられそうにもない。私たちはあくまでも「生かされている」のである。ああ、となりの庭との境に咲いてる、野草のちっちゃな紫色の花を今から見に行こう。。どんなにちっちゃくても「いのち」である。季節がめぐれば、必ず戻ってくる彼らの生命力が、私にエネルギーを与えてくれる。それが「命の大切さ」である。「命の大切さ」とは単に「殺してはならない」という言葉ではない。他者のいのちのエネルギーが循環して、最後に自分にエネルギーを与えてくれるから、自分の周囲の「いのち」は全部つながり、自分もその一部だから、大切なのである。それは、牛や豚、魚を食べるのにもつながっている。そういえば、「なぜ人を殺してはならないか」という問いを、高校生が発して、一時期社会問題になったこともあった。なぜ人を殺してはならないか。他者のエネルギーを宇宙全体の循環から切り取る”権力”は、誰にも与えられていないからである。すべてのいのちは平等、等価である。で、チューリップを切り取る人間ー他者に与えるエネルギーをもっておらず(というか、もっていることを教えてもらっていないか、というか、自分の力、エネルギーを知っていても、その正しい使い方を知らない、それを人に与えることで、自分が大きくなる、のだということを理解できない、理解しようとしない)、他者からエネルギーを奪って、自分のエネルギーとすることでしか、自分の居場所を確保できない小さな人間。。ああ、昔けんかした、どっかのおばはんとおんなじだ。。(笑)チューリップは、今年は花を切り取られたとしても、地中の球根を大切にすれば、また来年も花を咲かせるだろう。本物の生命力はタフである。私も、おばはんにはいじめられたけど、これからも私をいじめる?人間は出てくるだろうけれど、密やかに、でも確実に力を貯める「チューリップ」になる!!(笑)


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