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2008/04/20(日)
アジア系
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週末に、久久しぶりにシカゴで開かれたアジア系アメリカ学会に出た。会いたい教授たちがいたのである。無事に”仕事”を終えて、いくつかのセッションに出た。発表される論文のタイトルが面白いから出てみたものの、なんだあ、これ、よくこんなもの出してくるよな、という若手の発表もあれば、老練の教授のは大仰な言葉を使うばかりで、退屈を我慢して聞いているというのに、肝心の部分は今度出る自著を読め、といわんばかりのものもあって、げっ、これだから学者は嫌いだ、という結論に達した。(笑)それでもものすごい刺激を受けたのは確かである。大西部、中西部に15年以上もいると、自分が自然に「白人化」していたのである。アジア系の人間が少ないものだから、自分がアジア系ということを忘れるわけではないけれど、「アジア系」という言葉が空洞化し、自分の視線が「白人」に圧倒されるものだから、ついつい自意識が「白人」のようになってしまうのである。これが、アメリカのハートランドで生きる、ということだろう。自然に白人社会に埋没していくといった感じだ。ところが、今回学会に出て、ショックを受けたのは、1年前のバージニア工科大学乱射事件のその後、というセッションに出たときである。彼らー東部のアジア系コミュニティはまだ事件の余波に苦しんでいる。なぜなら、犯人が韓国系だったからである。確かに殺された人の数は違うし、事件の規模が違うけれど、事件自体の性格と犯人が自殺したことなど、共通点はある。が、ここではもう、まだ2ケ月ほどなのに、まるで事件がなかったかのように、事件が口にのぼることはほとんどなく、キャンパスの教会前に立っている6本の十字架だけが強いて事件を思い出させる。それ以外は、平穏である。ところが、東部のアジア系、とりわけ韓国系コミュニティでは、事件から1年が経っても、まだ余波が続き、”びくびく”して生きねばならないらしい。犯人が白人かアジア系だったかで、これだけ反応の違いが出るのである。今さらながら、アジア系という、東と西では大きな社会的影響力をもっている、一番新しい移民の世界を突きつけられた。ハートランドですっかり忘れてしまっていた感覚である。日常からは遠く離れた、違った世界を垣間のぞいて、刺激を受け、もう一度自分に言い聞かせる。どうしても、なんとかして、日系人の歴史の英訳を仕上げねばならない! でもなあ、一度書いた文章の手直しというのはどうも退屈でならないなあ。。めんどくさいなあ。。でも、学会の本屋さんの展示会場で、ワシントン大学出版局の人がメールアドレスをくれた。よしっ、このエネルギーをなんとか形にせねば。。がんばろう!と思うものの、今から庭に出てこよう。やっぱ、そっちのほうが楽しい。。。(笑)
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