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2008/06/15(日)
思考の連鎖
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だんだんオタクみたいになってきて、なにやら掲示板に書き続けていたが、「人間のアイデンティティを形成する重要な核は、社会における自分の使命、役割や責任の意識、自覚である」と、自分がかつて本の中で引用した一文をもう一度書いて、思いついたことがあった。戦後の人間が見失ったのは、この「社会における自分の使命、役割や責任の意識、自覚」ではなかろうか、と。戦前の天皇制社会には、この”自分の使命、役割や責任の意識、自覚”に無意識でも明確なものがあったのでは??? ましてや軍国主義社会となると、言う必要はない。で、戦後ー高度成長時代は、「社会における自分の使命、役割や責任の意識、自覚」をたたきこまれた戦前の教育を受けた人間たちが築いた。で、今は??? 何をしたらいいのかわからぬ人間があふれているのでは??? 誰も自分の相手をしてくれないと不満を鬱積させる人間がいる??? 誰も自分の相手をしてくれなくてもいいではないか。自分が対峙するのは自分である。社会の中で居場所を見つけようと、社会に働きかけていくのは自分である。自分に何ができるか考えるのは自分である。「社会における自分の使命、役割」を見つけるのは自分自身の他に誰がいよう。自分のことは自分ですらなかなか分からないのに、他人に分かるものか。。。と考えていくと、どうやら今は、自分のアイデンティティを持たぬ人間があふれているらしい。。昔、よく親に言われたものだ、「人は人、自分は自分」。。今、こんな言葉、他人から聞くことはないよ。これって、戦前の日本に「個人主義」があったということ??? 敗戦で入ってきた、戦後教育の「民主主義」「自由と平等」とか「個性の尊重」って何?? 敗戦で「人は人、自分は自分」という確固とした「自分」を称える個人主義は消えたの?? ああ、もっと勉強せねばならないなあ。。(悲)
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