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2008/07/08(火)
バークレー
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無事にカリフォルニアの巡礼の旅から帰ってきた。まだ記憶が生々しくて、何も書く気にならず。たぶん記憶やら思いを「寝かせる」のに、1週間ほどかかるだろう。寝かせたら、寝かせるほどお金になるワインならいいけれど。。(笑)それにしても、バークレーの電車の駅の駐車場には、みんなで共有する車が何台もおいてあった。すごいなあ。。。必要なときだけ、使うという公共の車である。相変わらず進歩的な街だ。あの街を離れて16年、植物はよく伸びるし、花々はきれいし、懐かしかった。でももう一度戻りたいか。。答えはノーである。サウスダコタ時代の友達があの街にいるので会ってきたが、二言目には「you should move in here」ばっかり言うので、だんだん腹が立ってきた。自分がラッキーにもこの街に住めるようになったからといって、断腸の思いで16年前に離れた人間に、ここに移ってこい、というのは傲慢というものである。あの街に家を持っている人間は、他州に移れば豪邸生活ができるだろう。逆に、他州からあの街に住むには、普通の給料では家はもてない。また狭いアパート生活をしながらでも、あの街に住みたいか。答えはノーである。バークレーだけが世界ではない。世界ははるかに広くて面白い。もうバークレー時代は、私の中では過去のものだ。今さら後ろを振り返って、この街に住みたい、などと誰が言うものか。いつも後ろを振り返って、ぶつぶつ言ってる人間にはネガティブのエネルギーが宿っている。あれから16年、紆余曲折を経て、やっとイリノイで楽しくやってるのである。今の生活が大好きである。バークレーよりはるかに、重層的な面白さを感じる。バークレーって、どこかリベラルさえ振り回せば通用するような、単細胞的なノー天気を感じるだよね。まあ他人に、それも一度は住みながら離れざるを得なかった人間に、バークレーをほめたければほめればいいけれど、案外、ほめる人間の小ささを感じたんだよね。まるでそれが、バークレーの単細胞さかも知れない。で、もうその人とは会いたいと思わなくなってしまった。こうやって、サウスダコタ時代の人間も一人二人と消えていく。最後に残るのは??? (笑)
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