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2008/09/19(金)
本を訳するということ
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きのう、カリフォルニアの人から突然電話をもらった。インディアン関係の本を翻訳(英語から日本語に)するつもりはないか、という問い合わせの電話だった。私が大昔に出したインディアンの本を買ってくださった人だ。もう10年以上前のことになると思うが、覚えていてくださって電話をくださった。有難いことである。原著を見せてもらってから考える、と返事した。自分に回ってきたエネルギーは大事にしたいから。それにしても、自分の本の翻訳原稿(日本語から英語)がワシントン大学に拒否されたことを考えてたら、問題の一端が見えてきた。つまり、単に文章を翻訳しただけではだめなのである。読者とその背景が違うから。となると、たとえば、私の日本語本にあるノースダコタの話など書く必要はないわけである。アメリカ人に、ノースダコタを説明する必要はない。私とシカゴのことも。。だから、編集者はまっすぐに、すぐに本題に入るべし、というコメントをくれた。なるほどなあ。。そう納得したときに、今度は原著と日本語訳本を読み比べる機会があった。日本人とアフリカ系アメリカ人の関係を書いた本である。比べてびっくりー日本語訳は原著とは大違いである。日本人にはわからないだろうなあという部分はきれいにカットされている。なんだ、これ。。。。翻訳とはこういうことか。。これで翻訳したことになるの。だから翻訳本をいくら読んでいても、結局は物事の本質には到達できないのではないか。。。原著を読まねばならぬ。それも、原著が書かれた時代と社会背景を十二分に理解して。。。そんなこと、普通の人間にはまず無理だろうなあ。。。(悲)人文系の学問の限界をかいま見た思いである。数式を並べる学問とはえらく違うなあ。。あああ、とか思いながら、やっぱり自分の本の翻訳はがんばらねば。。。使命感だけが支えである。
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