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2009/01/15(木)
移民
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自分の関心事を的確に表現してくれている記述に出会ったので、書き記しておこう。インドネシア残留日本兵の研究を続ける若い男性の言葉ー戦後の日本では、長く「棄民」のように忘れられていたかれらが、新たな政治情勢の中で今度は「英雄」にされ、都合のいい部分だけナショナリズムのための傍証にされる。憂慮すべきことだと思いますー 私が強く反応する箇所は、「都合のいい部分だけナショナリズムのための傍証にされる」、だ。つまり、私の言葉でいえば、都合のいい時だけ、国家の広告塔にされる、だ。憂慮すべき、と研究者がはっきりと言ってくれてることがすごくうれしい。世間、とりわけ移民コミュニティでは、程度の差こそあれ、国家の広告塔になりたがる人が多い。自らの姿を、自分のエスニックコミュニティの反射の中でしか見出せない人たち。エスニックコミュニティなんて、ホスト国の全体から見たら、ちいちゃなちいちゃな”部分”にすぎないのに、エスニックコミュニティが自分が出てきた国とつながっているがゆえに、”部分”がホスト国の”全体”となり、”部分”で大きくなることで、まるで自分が国を代表しているかのように錯覚する人もいるようだ。ばっか。。(笑)国家は、しょせん使い捨ての、ていのいい”スパイ要員”を探してるだけなんだよ。。。(笑)とまで書いて、おっとおっと、と思った。(笑)野球の選手はどうなるんだよ、という声が聞こえてきた。メジャーリーグで仕事をしている日本人野球選手たち。国家の美しい広告塔だ。野球という”敵”の陣地で、敵以上の仕事をして、日本人はこんなにすばらしいんだぞ、というメッセージを背負わされる。ノーベル賞受賞なんて、その最たるものだなあ。。そういえば誰も、アメリカに帰化したシカゴ大学の南部教授の問題はつきつめようとはしなかったなあ。ああいう部分こそ、はっきりすべき論点だと思うけれど。。メディアは、適当なところでごまかしてしまった。あんまりぶつぶつ書くと、広告塔になれないからひがんでいるだけ、という声も聞こえてきそう。。(笑)こういうメンタリティも移民コミュニティ特有のものではないだろうか。日本国内にいると、日本人というアイデンティティや、国家と個人の関係を問うことなどないからだ。国家の領土を離れたものだけが、アイデンティティの所在を自分に突きつけ続ける。一時的には国家の広告塔になっても、野球選手たちは契約を更新できなかったら、日本に帰る。広告塔になるのはいっときのあだ花でしかない。国は、また別のあだ花を探すだけだ。あだ花になることなく、でも、小さくてもいい、咲き続けるためにはどうしたらいいものだろう。やっぱりホスト国の言葉で勝負して、仕事して、だろうなあ。。疲れるなあ。自分にはとうていできそうにないなあ。。(悲)
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