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2009/10/05(月)
ニュースとは
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ベッドの上で急死した政治家のニュースを読むたびに、15年前に道を歩いていて倒れて死んだ父親を思い出している。ベッドの上に吐寫物があったと読めば、家に帰ります、と言って歩きだして倒れる前に、公園で「気分が悪いので」と言い、公衆トイレに行き、ベンチで横になっていた父親を想像する。たぶん、父親もトイレで少し吐いたのだろうな、と。心臓が弱ってきて、動きを止める前に、背中がすごくだあるくなって、気分が悪くなるんだろうな、と、母親の話やらニュースを読みながら、いろいろ想像している。15年間、想像しつづけて、今はもう、まるで自分がその場にいたかのように、そのシーンが頭に焼きついてしまっている。すべて私の想像なのに。。。(悲)救急車で運ばれた病院にも行き、医者にも話を聞いたが、病院に運ばれたときにはすでに瞳孔は開き、救急車の中の処置で、多少は心臓は動いていたらしいが、結局は死因はわからずまま、死亡診断書すら書いてもらえなかった。死体確認書?だったか、とにかく運び込まれたときには死んでいたのである。結局、虚血性心疾患となっていた。政治家と同じである。死に方としては最高だと思うが(政治家は、寝ているときに心臓が止まったようで、なんともラッキーなことである)、残されたほうは、15年経っても、死者の死の瞬間を想像しているから、急死というのも考えものだな、と思ってしまう。(悲)
その一方で、「彼は将来の総理総裁候補だった。残念だ。だが、政治家は絶対に強くなければならない。国民の暮らしを守っていく以上、一度や二度、局地戦で負けても、歯を食いしばって最後に勝利を収めなければ」といったニュースを読むと、職場での自分を想像している。(笑)歯を食いしばって、勝ったよな。と(笑)ニュースー情報とは、単なるアイテムとしてではなく、自分の人生と関連づければ、けっこう面白い読み方ができるものだ。言い換えれば、世界中どこでも同じような人間がうごめき、同じようなことが起こっているということである。(笑)ただ一つ、理解できないのは、スポーツニュースを聞いて喜ぶ人のメンタリティである。誰かの獲得賞金が一億を超えた、安打を何本打ったといったニュースがなぜ面白いのか、さっぱりわからん。。才能を持って生まれてきた人の話なんて、わたしとまったく関係なく、わたしがそのニュースによって、思考が深められるわけでなし、聞いてもまったく意味がないと思うけどな。。じゃ、聞くな、という声が聞こえてきそう。。思うに、同じ娯楽といっても、映画といった作品は、作り手の意図があり、鑑賞とは思考につながる。でも、スポーツ鑑賞は。。ゲームセンターで、ボタンを押して喜んでいるのと同じだろうか。。 (笑)
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