〜ing〜アメリカつれづれ日記
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2009/04/13(月) 象徴天皇
珍しく、日曜の午後、日本語テレビを見続けた。一つは、金婚式を迎えた天皇夫妻?(こんな言い方をしてもいいものか???笑)の特集ものと、もう一つは、日露戦争に勝ってからの日本の植民地経営についてのドキュメンタリーである。台湾が主テーマだった。皇居といえば、あの堀に囲まれて、石垣がつみあがっているような絵しか知らないので、今回番組で、皇居の中には、いわゆる仕事部屋の宮殿とか御所という名の生活住居とか、テニスコートとか、あと祭祀をとりおこなうお宮さんみたいなのがあると知った。あのお宮さんみたいなのが、昭和天皇のお葬式(?こういう言い方をしてもいいものか。。。笑)とか、雅子さんの結婚式が行われたところ??? それにしても、番組を見ていて、ああ、これだったのか、と目から鱗が落ちるような気持ちで納得したことがある。日本人のナショナリズムは、この象徴天皇の存在にあるのではないか、と。何が日本人たらしめるのか、という問いはいつも私の頭の中でくすぶってきたが、その答えは、象徴としての天皇、それもよりにもよって「国民統合の象徴」とされる天皇の存在こそが、自らを日本人という枠組みにおさめることを当然とする人間の精神風土の枠組みではないのか、という考えにいたったのである。火山が爆発して、多くの被災者が出たときに、天皇がお見舞いにでかけて、天皇が体育館の床にひざをついたなんてことはどうでもいいのである。人間天皇であろうが、現人神の天皇であろうが、どっちでもいいのである。天皇の存在を、無意識ながらでも当然と感じられる、それが日本人としてのアイデンティティのよりどころであり、枠組みではないのか。だから、戦争中、アメリカ政府は日系人に聞いたのである、天皇に忠誠を誓うか、誓わないのか、と。番組を見て思った、今の日本人に同じように問えば、全員が誓うと答えるのでは。。。忠誠とはなんぞや。。それは問うまい。が、日本人ということはそういうことなんだ、と、ふと感じて、すごく納得したのである。自分に「日本人」という枠組みを課してしまえば、その枠から逃れるのは非常にむずかしくなるだろう。いつまでも、どこまで行っても、私は日本人という感覚がついて回るだろう。それは幸か不幸か。そうやって日本国家は、もしくは人間か神か、天皇という存在は、国民とその発想を縛ってしまうのではないか。
でもそういう感覚って、アメリカが押し付けた?戦後教育が教えた個人の自由と平等といった理念とはまっこうから対立するものではないのか。番組から感じた印象は、日本人にとっては今だに、天皇が象徴する国というナショナリズムへの奉公のほうが、個人の幸せ追求よりはるかに強力という感じがした。だいたい天皇ご夫妻(笑)は、自分たちが外国訪問したときにお世話?になった人たちを宮殿にご招待して、お礼をするそうな。何それ、と思った。(笑)領事館勤めの人は、自分たちの仕事をしただけである。何も天皇がわざわざ宮中に呼んでまで、お礼を言うことではない。でも、そういうことが疑問視されることなく、平気で行われることによって、「日本人」という枠組み、もしくは罠はだんだん深く、そしてきつく国民を締め付けていき、身動きできなくしていくのではないのか。
敗戦直後、GHQと交渉して、「国体」を残したのは誰か知らないけれど、それは決定的な大失敗だったのでは、と思ったりする。結局、残された「国体」が作っている社会制度が、戦後教育制度が作りだしてきた人間のあいだに乖離を生み、結局形骸化した民主主義を作りだし、かつ人間も社会も大混乱を起こしてしまっているのではないのか。。要するに、人間も社会もどこへ行ったらいいのかわからなくなっているのである。
そういう感覚は、台湾経営のドキュメンタリーを見ていても思った。植民地経営に乗り出したのは、欧米に一等国と認めてもらいたかったから。だから、台湾の経営には失敗するわけにはいかなかった。でも、フランスの同化方針で行くか、それともイギリス式に間接統治ー統治しても分離ーにするかわからなかった。だから、表面的には仏式に「臣民」とするけれど、内実は英式に「分離」にしたんだと。日本って、いつもそうやって、日和見式にどっちでも動けるようにしておいて、そしてそれが「賢い」と考えるようだけれど、結局はどっちもダメになって、混乱して行き場がなくなるんだよね。人間であろうと神であろうと、「国民統合」の象徴天皇を掲げながら、学校で「個人」だの「自由」だの教えても、結局混乱してしまっているのと同じである。(悲)
ああ、私の思考はどこに流れていくのか。次は「天皇機関説」かも。。(笑)それにしても、台湾の人が流暢な日本語で、身体に刻み込まれた教育勅語を暗誦するのを聞いて、台湾で話を聞いた人を思いだした。今から10年以上前、あの当時は、まだまだ日本語が話せることを隠していたいような感じだった。今はもう、あんな風に、戸外で、テレビカメラに向かって、日本語で自由に話せる雰囲気なのだろうか。よかった、よかった。。台湾の人の口から自由に出てくる教育勅語を聞きながら、日系アメリカ人の口から聞いた教育勅語を思いだした。すごい。若いときの教育は。。象徴なんて、これまた中途半端な抽象的なものを振り回すから、国民はますます混乱しているのでは。(いやいや、男でなければならない、という部分だけは具体的でわかりやすいけれど。。笑)象徴といった「詭弁」でごまかすのではなく、何か身体に刻みこまねばならない「思想」の有無こそが人間と社会を作るのでは。。。教育勅語を身体に刻みつけている台湾の人を、日系アメリカ人を、私は心から尊敬する。彼らの不幸な時代は、彼らが選んだものではない。でも、彼らが身体に刻み込んだものは、必ず彼らの生きる力となったと心から信じるから。問題は、時代による変遷を乗り越えて、新たなエネルギーに変わるだけの「核」とだったかどうか、ただその一点だと思うのだが。。。


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