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2009/09/03(木)
秋の庭
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秋の庭はさびしい。春が来て、植物が芽を出しはじめたときは、コーヒー片手にしょっちゅう庭に出ていた。朝、起きてからすぐに出て、1時間はあっというまに過ぎた。仕事から帰ってくると、これまた待っていたかのように、庭に出た。庭にいるだけで、幸せな気分になれた。それが今はどうだろう。朝から、虫の声が聞こえてくる。頭上からは枯れた木の葉がはらはらと降り続ける。いよいよ植物たちも、冬に入る準備をしている。生気がなくなっているのだ。もう今年の仕事は終わったとばかり、ゆっくりゆっくり身をちぢこませている。ああ、老年に近づくということはこういうことか、と思い知らされる。もう、庭には出たくないーそれが実感として迫ってくる。。自分の人生そのものである。といって、春と夏の庭の活気に、自分の人生を重ねようとは思わない。その部分は、中島みゆきの歌が補ってくれる。。「自分の後ろにあどけない夢、目の前は見果てぬ夢、旅はまだ終わらない」と。(笑)でも、終わりが近づいて、見果てぬ夢の真ん中で息が切れるのか、と思うと、寂しい限りである。友達は、自分の結婚生活が30年続いただけでも、人生、成功したようなものだ、よくもまあ、30年も続いたよな、と笑っていた。しょせん、人生なんて、そんな平凡なものなのである。平凡でいい、続けられただけで、無事にこの世に生きさせてもらえただけで、大喜びしなければならない。。とは、よくわかっているけれど。。。やっぱり秋の庭は寂しい (悲)「もののあわれ」なんて言葉を発明?したのは誰???平家物語か、方丈記か、つれづれ草か、それとも芭蕉???(国賊レベルで、日本文化を知らない人間である。。笑)発明した人、「存在と時間」とかごちゃごちゃ理屈を並べたがる西洋の論理をはるかに超える知性の持ち主だったと思われる?(笑)私はまだまだその域には達していない。。。(悲)そういえば、死に体を目前とした「もののあわれ」といえば、この職場もそうである。(笑)部内がばらばらになっているために、どの人間も、ロボット的にただただ仕事をするだけで、かさかさになってしまった職場である。でも、思うのである、仕事って本来、こういうものではないか、と。別に友達を作りに来ているわけでなし。。。と考えると、やっぱり秋の庭で思ってしまう、いったい何の目的があって、私はここに生きるという仕事をしているのだろうか、と。ああああ、秋の庭は嫌いだ。。早く、冬よ、来い!!!(笑)
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