〜ing〜アメリカつれづれ日記
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2010/11/01(月) ”夢を持って、努力せよ”考
週末に、友達とウィスコンシン・アイオワの旅に出た。晩秋のミシシッピは美しすぎた。真っ青な空の下、誰もいない、静まりかえったミシシッピの川岸で、ひんやりと、さえわたった晩秋の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。森の木々は、葉を落としているものもあれば、まだ黄色や赤い葉を残しているものもある。森を映してあお黒い河の穏やかな水面に、青い空と柔らかな陽光が差し込んでいる。大きな河の流れの先は、蒼くかすんでいた。息をのむ美しさだった。今年最後の小旅行で、片道4時間ほど友達と話し続けたが、一つ思いついたことがある。忘れたくないので、覚えているあいだに書き留めておこうと思う。先に考えていた”道しるべと自由”にも関連していることだ。最近、私がいらだつのは、「夢を持って、努力しましょう”という言説がよく流れていることだ。嘘つけ、と思ってしまう。(笑)要するに、社会が豊かになって、自由があふれている分、夢を持って努力しましょう、と呼びかけることを誰にも反対できなくなっている。しかし、そんな空虚な言葉によって、人はどれだけ苦しんでいるだろうか、と考えるのである。それを納得したのは、天才女優と呼ばれる大竹しのぶのドキュメンタリー番組を見たときだった。どうやって演技するのか、と尋ねられて、女優は、「演じる役の脳をイメージして、そこに降りていく」と答えた。「そこに降りていく」がポイントである。頭で考えるのではないのである。体が「そこに降りていく」ーつまり、体がその人を動かすのである。言い換えれば、勝手に体が動くようにならなければならないということだ。体が勝手に動くことに、その人の才能があふれているのである。その部分を呼びかける人はいないのではないか。代わりに、みんな、判でも押したように、「夢を持って、努力しましょう」。ばっかじゃなかろうか。(笑)
とりわけ、小さい子供へのそういった言葉の刷り込みは、一種の虐待である。(笑)
野球が好きだから、と、イチローみたいになりたいと夢を持って、一生懸命どんなに”努力”しても、絶対にイチローみたいにはなれないのである。夢を持って、努力しましょう、ぐらい、無責任な言葉はない。そして社会には、もっともらしい顔をして、そんな無責任な言葉をなげかけるくだらぬ人間が多すぎる。(笑)
体が動いて、女優をやってる大竹しのぶは、たぶん、”努力”しているとは言わないだろう。”努力しよう”と頭で自分に言い聞かせなくても、体が勝手に動いて、これでもない、これでもない、と試行錯誤を体が続けているだろう。他者から見たら、それが努力をしているように見えるかも知れないが、本人は、体が勝手にやってることだから、”努力”とは認識しないはずだ。どんなに苦しいだろうと他者が想像しても、体が喜んでいることだから、むしろ楽しいのである。そういう意味からも、”努力しましょう”なんて言葉は、空虚で無責任すぎる。”努力しましょう”ではなく、”努力しなくても、自分が楽しく感じられることを探して、その道を堂々と行きましょう”でなくてはならないのである。”夢を持って、努力すればなんとかなる”なんて言説があふれかえることで、人は自分を見失い、苦しんでいる
すべての人間は、肉体を持っている。言い換えれば、誰しも自分の体が勝手に動くだけの才能をもっていると私は考えている。ところが人は、身体の声を聞かなくなって久しいのではないか。器械まかせ、器械じかけになって、鋭い五感や勘が生みだす判断力を失い、”生ける屍”になっているのではないか。
ミシシッピ河にできた中州の静かな森をながめながら、昔、ここでインディアンたちが耳をとぎすませ、風の声を聞き、目をこらして、空を眺めて、必死で生きていた時代を想像した。それは、”夢を持って、努力せよ”といった、もっともらしいが何の意味もない空虚な言葉が飛び交うことのない、人が美しく生きていた時代だったんだと思った。


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