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2010/06/17(木)
水と風の記憶
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年に一度のセーリングをしに、ウィスコンシンのレークジニーバに行った。去年もおとどしも、風がそれほど吹かず、なかなか大変だったが、きのうは最高だった。”ねこ”号は、すいすいと素面を走る。船の大きさから考えて、最高速度まで出ていたそうな。。私が喜ぶ顔を見るたびに、義父が、たかこ、セーリングを勉強してみたら、と言うが、だいたい風がどっちの方向から来てるのかもわからない、と答えた。(笑)自分でも情けない、とは思うが、それが現実である。すると、義父が答えて曰く、顔を左右に振ってみろ、風の圧力を感じるほうが、風が来ている方向だ、と。おお、確かに顔を右に向けると、風を感じるが、左に向けると、顔は何も感じなかった。ああ、そういうことか、と、自分でもその簡単な原理に感心。。(笑)セーリングはねえ、飛ぶ船の上で、ぼおっと風を感じ、水を感じてるときが最高で、船の上で働きたくないよね、がまだまだ本音である。で、きのう、船の下で揺れ動く水を見ていると、長い長いあいだ、思い出したこともなかった光景を思いだした。小学校低学年だった。父親と海に行って、泳ぎを教えてもらったことである。最初は、手を引いてくれてた父親が、突然、手を離したのである。浮かぶことを教えたかったのだろうが、ああ、とか叫んだように思う。すぐに抱き上げられて、結局、それで終わりとなった。どうせ、この子はあかん、みたいなことを言われながら、帰路についたように思う。父親と私の関係は、まったくよくなかった。それでも、あれから50年近くなって、ふっと思い出す出来事があったとは。。。人は記憶だけで生きる、とつくづく思う。娘が、今サンフランシスコ近くの友達の家に居候している。友達は、彼女が大学一年生だったときに、私が日本語を教えた人である。娘が小さかったとき、友達の両親の家へ遊びにいくと、よくベビーシッターをしてくれた。その人が今母親になって、その娘さんを私の娘が時にはベビーシッターしていると思うのだが。。。。友達がメールをくれて、娘さんが私の娘の部屋をのぞきに行くらしい。それを見てはじめて、娘が小さかったときに、娘が友達の部屋をのぞきにきたことをはじめて思いだした、と。記憶って、面白いね、と。記憶は記憶を呼び起こし、人とのつながりは連鎖し、生きている充実感が生まれる。どんな記憶を持っているか、だけが、その人の人生を決めるのではないか。たとえ認知症になっても、その人の行動は記憶が決めるのではなかったか。
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