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2011/01/29(土)
アメリカで見つける「日本」
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何ケ月かぶりにガラクタ屋へ出かけていった。誕生日が来て、また一つ年をとったから、何か新しいことをしようと、ウィスコンシンまで出かけていった。行ったことのない大きな店である。5時間も時間を過ごしてしまった。で、買ったものは。。。「大日本」と書いてあるものである。(笑)「大日本加藤造」と裏に書いてある、汚い小さなソーサーとか、「大日本憲兵隊検閲済」という判が押してあるフィリピンで発行された初日カバーの封筒だとか。この店には、日本陸軍の水筒だとか、めがねとか、軍刀だとか、日章旗や海軍の小旗とか、「風神」と赤く書いてあるはちまきだとか、箸箱まで並んでいた。戦利品として持ち帰ったものだろうなあ。水筒に箸箱、めがねとなると、倒れた日本軍の兵士の体からとってきたものか???(悲)これまでは、占領日本が作っていた小さなおもちゃ(made in occupied japanと判の押してあるもの)を買ってたのだが(今日も買った。。。笑)、今日はなぜだか「大日本」にものすごく惹かれてしまった。占領日本の字を見て、ああ、日本はここからはいあがったんだ、と思うと、元気が出ていたのだが、いよいよそれ以前にさかのぼって、もう今の日本には口が裂けても言えないだろう「大日本」が言えた時代の日本人の気概に心から惹かれたのである。(笑)今日買ったフィリピンで発行された封筒には、切手が二枚貼ってあって、カタカナで、フィリッピン ユービン、バタアン コレヒドール カンラク 一シュウネン キネン ショウワ 18ネン 5ガツとある。フィリピンの通貨 センタボまでカタカナである。一だけ漢字である。(笑)こんな切手見たことないよな、で買ってしまった。(笑) バターンの死の行進がいつだったのか調べてみなければわからないが、陥落1周年記念が昭和18年だったのなら、昭和17年ー1942年なのだろうか。こういうものを見て、日本はフィリピンを侵略した、悪いことをした、と言い、戦争といえばとにもかくにも悪の枠組みでしか捉えられない人に会うが、今の私は、戦争=悪も単なるセンチメンタリズムにすぎないと思う。大東亜共栄圏がいいものだったなどといえば、そりゃもう右翼の塊ー悪としか見ない人がいるが、だいたい思想を持つということが右翼としか思えないようで、それはアメリカ主導の戦後教育が日本人に教えたことだと私なんかは考えている。戦争=右翼=悪とし、アメリカは日本人が思想を持たないようにしつけたのではないのか。が、現実はもっと厳しく、戦争すら戦略の一部に取り込んで、時には脅したりひいたりしてでしか、現実は進まない。ところが、とにもかくにも戦争は悪という美しい総論だけを掲げていれば、誰にも反対はできず、それでなんとかごまかせば、ことがすむ、でやってきたのが戦後日本なのではないか。で、今の閉塞状況である。きれいごとでは、物事は進まないのである。誰にも反対できないきれい事の総論をまず掲げるのは、むしろ逃げなのである。アメリカ人だって戦争が悪とわかっている。が、時には、その戦争すら肯定せざるを得ないときがくるーそういう現実の厳しさを、ガラクタ屋に並んでいるものを見ていたら、つくづく感じてしまう。ナチス第三帝国の腕章やらアフリカ系やインディアンのderotagoryの人形やら、またまたアメリカ軍の訓練教育本に軍服など、田舎のガラクタ屋には、この国の来た道がつまっている。どんな形であっても生き続けるのはほんとうに大変なことである。ガラクタを5時間も眺めながら、さあ、また今年一年、がんばろうか、と自分にハッパをかけた。
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