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2011/11/22(火)
let her go
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昨夜、日本から帰ってきて、再び職場のコンピュータの前に座っている。11月9日の朝4時すぎ、電話が鳴った。寝ぼけていた。医者が言った、「あぶないです」。その8時間後には、成田行きの飛行機に乗っていた。成田に着いてすぐ、病院に電話を入れた。看護婦が言った、「落ち着いていらっしゃいますよ」深く、深くほっとして、関空行きの飛行機に乗った。あの晩、生まれて初めて病院に泊まった。母はしっかりと覚醒していて、はっきりと話し、いっぱい話をした。帰米する当日、主治医がゆっくり時間をとってくれて、ていねいに話をしてくれた。急変することがある、そのときは間に合わない、を私に納得させるのが主目的だったと思うが、それでも彼自身の死生観も語ってくれたから、これまた深く、深く納得した。母はもう生きているだけでもしんどいだろうと思われる段階だ、が、彼の眼である。そうかも知れぬ。シカゴに戻ってきて、空港で配偶者が一番に言った言葉が、let her go だった。そうかも知れぬ。病院で母がはっきりと言った、長いこと、休ませてもらった、と。そうだね、と答えたけれど、休んだあとで、じゃあ、これからどうしよう、がないのである。(悲)母は、この2年ほどは、覚悟しての準備の段階にあったと思われる。家の中がきれいに片付いているのである。去年の今ごろ、「お父さんはいいことをした」と言っていた。道で倒れてそれっきりだった父の死に様をうらやましがっていたのである。身体の内部で何かが起こっているのを自覚していたのだろう。「もう二度と会えないかも知れないから」と、母は私を玄関の外で見送ってくれた。少なくとも表面的には元気な姿を見たのは、あれが最後となった。友人は、年を重ねると、死を力んで考えることがなくなった、と教えてくれた。母も、もうたぶん力むどころか、死者との対話が多くなっているだろう、と別の友達も言う。「私がいなくなったら、お父さんをよろしく頼むよ」と病院で母は私に言った。(悲)let her go..主治医の言葉を思い出すー毎日、世界中で多くの人が亡くなっているんですよ、客観的になってください。自分の人生と彼女の人生は別なんですよ。あなたは自分の人生を生きねばなりません。最後に私ができることは何か。。。家族との話しあいがつけば、日本に戻ろうと思っている。人は、日米の距離を大変ですねえ、と言うが、距離と時間の長さはそれほど気にはならない。ただただ、医者が再び「あぶないですよ」を言う前に、私が自分の人生を考えなおす勇気がもてますように、だけである(悲)
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