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2011/07/12(火)
年をとるということ
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きのう、またもや年齢を感じてしまった。久久しぶりに、高速を飛ばして、シカゴに出ていったのである。疲れた、疲れた。。やはり緊張していたのだろう。目的地に着くと、便秘が治ってしまった。(笑)もうシカゴもそんなに魅力を感じなくなっていくのか??? 人と車のごちゃごちゃのエネルギーが疲れるのである。それよりも、人も歩いていない、対向車もいない、畑の真ん中の一本道を走っているほうがどんなに楽しいか。空の色をめで、流れる雲をおっかけ、道端の野草の色に驚き。。都会の虚飾と見栄の塊みたいなところに身をおいても、エネルギーをむしりとられるだけではないか。。母親の病気で思ったことー私には、庭があってほんとによかったな、である。毎朝、はさみをもって庭に出て、終わった花がらを切り取ったり、隣の庭まで伸びた木の枝を、とびあがって切ったりしていると、ほんとに心がなごんでくる。すべてを受け入れられるような気がするのである。自然の懐のほうが、都会の雑踏とエネルギーよりはるかに大きい。。それを学べただけでも、私にとってアメリカ生活は意味があったような気がする。神戸とサンフランシスコしか知らずに移った、大西部のサウスダコタ。どんなにあの地を憎んだことか。。でも、あそこから私自身の幅が広がったような気がする。離れて12年。やっともう一度訪ねてもいいかな、という気持ちになって、今年は友達に会いに行くつもりだったのに、母親の病気で延期。若かった、あの時代の自分に会うのが苦しいような気もする。神戸の実家にいても苦しくなる。あの家に住んでいたころの自分を思いだしたくないのである。そうやって、すべてを自分の後ろに残して、自分はただ自分の前に現れるものを、すべてありのままに受け入れていくーそれもまた、年をとるということかも知れぬ。今日、病院に電話して、母親の声を聞こう。。聞けますように。。
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