〜ing〜アメリカつれづれ日記
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2011/09/16(金) 乙武氏への抗議状 1
東京の編集部に電話をした。電話をとってくれたバイトの女の子らしい人の話によると、すべて担当の記者が判断する、とのこと。取材がありますとか言ってたから、たぶん外部の人間の文章は載せない、みたいな感覚を得たので、ここで公開だ!!!(笑) 結論はやっぱり、日本社会がちやほやする有名人には、ほんとの力はない、といったところかなあ。。(笑)乙武氏って、しょせん大手出版社の金儲けのツールになってるだけだ。大手出版社は、正しいことのために本は出さない。売れる本を出す。売れる本を出した編集者は出世する。どんな本が売れるかとなると、処世術にあふれた本だ。つまり、乙武さんみたいなかわいそうな人でもこんなに明るく生きてるんだから、私もがんばらなくちゃ。。私は健常者で、乙武さんより恵まれてんだから、幸せと思わなくちゃ、と思わせてくれる本だ。で、乙武さんは、たぶん大出世しただろう「五体不満足」担当の編集者がいる大手出版社をバックに、処世術本を出している限り、印税が入ってきて、生活できる、つまり、彼は、私が原稿で書いたような、姑息な処世術そのものなのであり、日本社会を変える気はさらさらなく、また変えることはできない!!!! 結論は、彼は、有名でいろいろもっともらしいことを言ってるわりには、何の役にも立たん(笑) で、たぶんこれが、大半の障害者が感じていることではないだろうか。(悲) それはそうと、ボツになった?抗議状をここに載せようにも、長すぎるだろうなあ。。何日かかるのか。。とりあえず、第一弾。。。

貴誌9月1日号に掲載された乙武洋匡氏の特別読物「なぜ僕は自分を"カタワ"と呼ぶのかー障害を笑えてこそ"真のバリアフリー"」を読みました。私は2005年に「大きい女の存在証明」を彩流社から刊行し、背の高い女性たちのトールクラブ「ひまわりの会」を立ち上げ、日本社会から背の高い女性たちに対する差別意識や暴言等をなくすための活動を始めた者です。
 
 この6年間に、社会の少数派ー"平均的"という形容詞と縁のない人々の問題は同根だと学びました。よって、障害者の視点から日本社会に問題提起する乙武氏の意図は十二分に理解し、その活動には心から敬意を表する者です。

 しかしそれでも、今回の記事は、私の目には、問題ありと映りました。というのも、明らかにそこには、乙武氏の限界が投影されており、かつその限界をご自身で正当化されているからです。限界とは、乙武氏が実に恵まれた環境にありながら、生計をたてる社会に問題提起せねばならないディレンマ、いや、恵まれているからこそ問題提起ができるのだという二律背反的な状況から生まれる、"主流"におもねる "処世術"です。記事の論旨の一つ、"障害を笑いのタネにする"という自嘲は、"処世術"以外のなにものでもありません。
 確かに、当事者にとって"処世術"は必要です。 いつもいつも世間に腹を立てているわけにはいきません。が、"処世術"は、当事者に一時しのぎの満足感を与え、社会も表面上は気持よく受け入れてくれるかも知れませんが、ほんとの意味で社会を変える実効力にはなりません。乙武氏の問題は、「差別や偏見をなくそうというスタンスより、障害がある人もない人も分け隔てなく接し、慣れが生じるほうがいい」(55ページ)と、"処世術" で"主流"社会にすりよることで、問題の本質を見失ってしまっていることです。それは、私には、乙武氏が記事の中で抵抗を示されている、障害者に対する一律的な"上から目線"や、害を"がい"とひらがなに変えるといった表面的かつ空虚なきれいごとでごまかそうとする社会の姑息さに迎合するものと大差なく思われます。


 


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