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2011/09/18(日)
乙武氏への抗議 3
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私はもう50代も半ばを過ぎた人間です。が、この年齢になっても、若いときに言われた「太平洋にごぼう」だの、今だに言われる「デカイなあ」といった言葉をネタに、自分を笑いものにしようとは絶対に思いません。他人が"ひとごと"に向ける底の浅い笑いは、かれらが無意識に持つ差別や偏見にお墨つきを与えるだ けで、背の高い女性たちを取り巻く社会的環境を変えることはできないし、なによりも私にとって一番大事な、私自身のintegrityとdignityを自らの手で傷つけるだけだからです。 何年か前に、金太郎の格好をしてイベントに出演することで、ハゲの劣等感を克服したとマスコミにとりあげられた方と何度か連絡をとりあったことがあります。その方はご自分を"勝ち組"と称されましたが、私は、ハゲを自ら吹聴して回り、金太郎の格好をして他人の前に立たねば劣等感を克服した気持になれないのな ら、それは"負け組"コンセプトだと申し上げました。劣等感の真の克服は、一時的に高揚した気分にしてくれる、それも金銭やら知名度といった副産物をもたらす可能性のある、他人の目を意識した準タレント的自嘲パフォーマンスではなく、あくまでも個人のempowerment(この言葉も日本語にはない、ぐらいに私は考えています、たった一人ででも人が社会と関わることで、社会と対峙していく力を自ら身につける、といったところでしょうか)による、地道な行動・活動によってのみ可能と私は考えるからです。 乙武氏が、ご自分を「カタワ」と呼ぶのは、乙武氏の自由意志であり、"主流"社会と向き合うための個人的"いちぬけた"戦略です。誰にも批判はできません。しかし、そのスタンスは、他の障害者の方々にも力—社会と向き合うエネルギーを与えるものなのでしょうか。金太郎の格好をして人前に立っても、決してほかのハゲの方々のempowermentにはつながらないのでは、と考えた同じ思いを、今、私は乙武氏の「カタワ」自嘲論に対して感じています。乙武氏が、"主流"社会にのみ目を向け、「真のバリアフりー」といった美名の下、少数派の自嘲を奨励されるのなら、「35年生きてきて、差別や偏見を感じたことが一度もない」恵まれた人の傲慢さではないでしょうか。少数派の、あくまでも人間としてのintegrityとdignityを尊重しようとするなら、自嘲など決 して許されてはならないはずです。そして、乙武氏が、日本社会が臭いものにふたをしようとしているように感じられるとしたら、それは乙武氏自身が、“上から目線”を持っているからではないでしょうか。
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