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2011/09/21(水)
やっと
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娘がアジアから帰ってきた。確か5月ぐらいから、カンボジア、マレーシア、タイ、ベトナム、インドネシアとうろうろして、最後に日本に1ヶ月ほどいて、やっと学校が始まる1週間前に、西海岸に戻ってきた。アジアの前は、夏学期かとかでバンクーバーにいたから、アメリカはほぼ半年ぐらい離れていたことになる。娘と同じ国にいるー確かに大陸のあっちとこっちと離れてはいるがー安心感を思うとー日本には、母のこともあるしで、しょっちゅう電話していた。。笑ー母が私が結婚してからのこの25年以上、娘はアメリカに住んでいます、という事実をどう咀嚼していたのか、と想像する。慣れてしまうとそうでもないかな、という気もする。(笑)娘だって、いつどこへ行ってしまうかわからないのだから。でも、世界中どこに行っても、のぞきに行ってやれ、という気があるから、それほど気にならない。だが、母の場合は、5年もののパスポートを二度にわたって取り、10年持っていたが、アメリカまで来たのはたったの1度の2週間だった。あの人の問題は、自分がパスポートをもっているということを、娘に言おうとはしなかったことだ。おいで、といわれるのを待ってたのだと思われる。パスポートとったよ、いつ遊びに行ってもいい、と子供に言えない親。その”誇り高さ”が、親子関係を極限までむずかしくし、自分を病気に追い込みもした、と思う。誇りなんて、くだらん、それも、自分の子供に向けて放つ親の誇りなんて。でも、誇りがなかったら生きていけないのも、アメリカ暮らしである。親という権威をふりかざさなければならないと考える伝統的日本(人)が考える誇りと、人間としての誇りをどこまでも追求して自分に対する誇りを考えるアメリカ(人)の誇りー権威主義者の誇りは、自分を小さくし、行き場のないところに自分を追い詰めるだけだ。太平洋戦争も同じようなもの???(笑)でも、自分をとことん追い詰められるだけの誇りこそが、母の存在証明であり、生きる糧にもなってきたはずだ。長年、母を嫌ってきたが、やっと、責めてはならないのだと思えるようになった。親の呪縛から逃れ、親を超えられる何かが、やっと見えてきたような気がする。娘曰く、日本がこんなに楽しいところとは知らなかった。お母さんといっしょの日本は嫌いだった。(笑)これからやっと始まるのかも知れぬ、私だけの人生が。
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