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2011/09/08(木)
秋の庭
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めっきり秋めいてしまった。薄い長袖のシャツの季節である。朝は肌寒くなってしまって、庭に出にくくなってしまった。その上、秋の庭は寂しすぎる。あんなに、春が来たとエネルギーいっぱいだった植物たちが明らかに縮んでいくのがわかる。それを見ると、自然に骨と皮のようになってしまった母親を思いだす。ああ、これが終わるということなのか。。(悲)もう一つ、老いとは何かを感じさせるのが柳の木である。ここに来たときに植えた木だから、10年以上裏庭を楽しませてくれた木である。ハクロニシキという日本の木である。2年ほど前まで、元気いっぱいで枝が無秩序になっていたので、素人頭で形を作ろうと、ついつい枝を切った。すると、この2年ほど樹勢が弱まってしまって、新しい枝はほとんど出てこないわ、葉が出てもすぐに枯れるという状態になってしまった。で、枯れた葉がついてる枝はみっともないでまた切っていくと、今年の柳はまるで坊主頭みたいになってしまった(悲)枝の形だけの彫刻みたいである。こうなると、心の中で、もうあんた、用済みだ、みたいなことを言ってる自分がいるのも知っている。あんなに毎年春の新緑とピンク色を楽しんだというのに、なんと冷酷なことか。で、考えるに、ああ、これが高齢者に対する本音の気持ちなのだろうか、と思ってしまった。相手が元気なときは、調子よく言って、まるで利用するかのようにちやほやするくせに、相手が調子よすぎると、勝手に切ったりして、相手を困らせてしまう。で、その結果、調子が本格的に悪くなると、もう用済みだ、みたいに切り捨ててしまう。。。若い人間の傲慢さだと自分でもよくわかっているが、いつか自分も高齢者になるのだから、この若者の傲慢さに対して、自分でも心の準備をしておかねばならぬ。というか、自分が通ってきた道なんだから、自分がされるようになったら、きっとすぐにわかるんだろうなあ。。で、あきらめてしまうのだろうか。柳よ、なんとか生き延びろ。そして、来年の春は、きれいなピンク色の新しい葉をいっぱい出してくれ。。。それは、まさしく今の私の母への願いである。ああ、宇宙のすべてはつながっているのを実感する秋の庭は。。。やっぱり寂しすぎる。(悲)
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