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2012/04/14(土)
在宅介護3
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病院に連れていったら、また調子が悪くなった。(悲)皮下注射をする女の子がへたくそなんだ、と怒っていたら、もう誰も責めるな、と配偶者に言われた。老人ホームのお医者にもよく腹をたててたっけ。。(笑悲)理性ではよくわかっているが、感情がついていかない。医療関係者は大変なことだ。それにしても、月曜からもう丸5日食べ物を口にしてないのだから、元気になるはずがない。食べられなくなっているのだろう。人間なら胃ろうとなる段階なんだろうけれど、猫にはなし。胃ろうの代わりに、注射器で薬やら水に溶かした缶詰食を口の中に流しこもうとしている。きのうの晩は、一晩中、私のそばで寝ていた。呼吸が苦しそうというわけではないが、もう歩けなくなっている感じがする。朝、シリアルにミルクをかけて食べていたら、いつもなら飛んできて、じっと顔をあげて、私が食べ終わるのを待っていたシナバーの姿はもうない。ボールに残ったミルクを飲むのが毎朝の楽しみだったのだ。医者通いが始まってからも、ミルクだけは飲んでたのに、いよいよそのミルクを鼻先に持っていっても、顔をそむけるようになってしまった。あげくに、いやなものを顔につきつけられて、ストレスがかかるのか、胸の上下の動きが激しくなる有様である。弱っていく姿、「存在と時間」をまのあたりにして、ほんとに喪失感が襲ってきた。喪失感が大きいと、その穴埋めするのは、自分を失くすること、と考える人も出てくるのではないか。自分が消えたら、喪失感を感じずにすむわけだから。。ああ、自殺を考える人の気持ちが想像できるような気がする。自分が感じている大きな喪失感の中に自分を投げ込んで、もう喪失感を感じずにすむようにするのだ。。(悲)シナバーのお墓には何を飾ってやろうか。英語の死亡通知は、xxx is survived by と表現される。そう、すべて生きている人間の記憶の中だけで生き残るのだ。その人間もいつか消える。記憶も消える。。。すべて無である。シナバーの存在も、私とともに必ず消えて、無と化す(悲)おお、それで、人は歴史に名を残したいと考えるのか。ほんとに残す人は、名誉欲やらエゴとは一切縁のない美しい生き様と勇気ある行動で残すのだろうが。。。人は、無と消えるのが怖くて、バカなエゴ丸出しの行動を重ねるんだろうなあ。。悲しい人の性である。シナバーのエゴを感じることはなかった17年間。今朝、横になってるシナバーに、何度も「ありがとう」と言った。シナバーの目に私が映っていた。母は、黙ったまま、天井を見上げていた。ありがとう!!!
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