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2012/07/26(木)
ニューメキシコ(4)にて
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ナバホトーカーだった人に会った。太平洋戦中、ナバホ語で暗号を作り、日本と戦った人たちである。インディアンコミュニティのための寄付金集めに狩出されて、本を売るために、店頭に座っていた。もう90歳近く、暑いのにじっと座らせられているから、こっくりこっくりまどろんでいた。それでも声をかけると、暇なもんだから、いっぱい話してくれた。硫黄島へ行ったという。そういえば、映画「父親たちの星条旗」にもインディアンヒーローが出てきたなあ。。あの人は、戦後シカゴに転住してきたが、うまくいかず、アリゾナだかの居留地に戻って死んだ。このナバホトーカーは無事に生き残り、議会からメダルをもらい、軍服を来て、日本人の女の手を握ってにたにたし、女とカメラにおさまり、本にサインして、のんびり昼ねもしながら、自分の人生を語り、うまあくやっている。(笑)ほんとに人生いろいろである。ダコタにいたとき、フィリピンに送られたラコタコードトーカーのことが新聞に出たので、会いたいと何度か電話したが、会ってはもらえなかった。その話をしたら、ナバホのおじいさんはははは、と笑って、わたしゃ、韓国にも日本にも行ったよ、とか言う。ふ〜〜〜ん、信じるかどうかは私の自由である。(笑)別れ際、おじいさんが言った、手紙ちょうだいね、と。元気で長生きの秘訣を見たような気がした。。(笑)
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