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2013/10/28(月)
自殺という復讐心
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きのう、日本のテレビで悲しいドキュメンタリーを見た。学校のいじめで自殺してしまった少年の親友と目された人のその後である。ドラマを見て、はっきりとわかった、自殺する人の気持ちが。以前、友達が言っていた、自分は自殺する人をかわいそうには思わない、と。それを聞いたとき、いったいこれは何、と思ったが。。どうやら失恋で自殺した人を知っていたようで、その人は自殺する前に、自分を振った女の人を苦しめるために自殺する、と打ち明けていたらしい。つまり、自分が自殺したら、自分に関係した人間が一生苦しむだろうと予測して、自殺するのである。きのうの番組で、自殺した少年は、親友に「もう恨んでいないからね」と書き残した。書き残された親友は、それからずっと苦しんでいる。そして、少年の父親が言った、息子も残酷なことをしたもんだ、と。そう、残酷なことをするのが自殺の目的なのである。(悲)実は、私自身が、娘から言われた経験がある、お母さんに思い知らせてやろうと思った、復讐してやろうと思った、と。そういう黒々とした確固とした目的があるからこそ、死んでやれ、みたいな気持ちになるのだろう。確かに、人生に絶望して、発作的に自己抹殺したくなっての自殺もあるだろうが。。。でも、その違いは誰にもわからない。(悲)それにしても、番組によると、少年は、学校で下着まで脱がされるようなことがあったとか。それを悔しく思っていた少年は、いじめ少年の教科書を切り裂いた。で、またいじめられ、で、自殺である。(悲)こういう過程を見ていると、下着まで脱がされるのは人間としての尊厳が傷つけられることだが、教科書の切り裂きは、人間の尊厳とはまったく関係がない。まあ、器物?破損の段階。。その両者の違いがまったく理解されていないと腹がたってきた。”いじり”というそうだが、”いじり”には限界があることを教え、パンツを脱がされたときには、警察に自分で言いに行くように教育されるべきなのである。それにしても、先日の乳児虐待ニュースのときもだが、人間の本質を知らなさ過ぎると思った。ほんとのことは、外には出ないのである。簡単に外に出ることはたいしたことないのである。母がいた老人ホームでも、母の顔に擦り傷ができたとき、看護士長が、簡単に「すみませんでした」と頭まで下げて謝ったから、ああ、たいしたことないんだな、と思った。が、肝心の、痰の吸引ができない看護師に対する私の批判は、看護士長もソーシャルワーカーも医者も、みんな無視したではないか。それだけ、問題としてはおおきなものを含んでいたということである。世の中、そういうものなのである。大事なことは、外面の下に隠されているものを引きずり出して、凝視すること。。それにしても、やっぱり人はそれぞれ異なり、何をどうしたら、どういう反応が返ってくるかは人によって違うのだから、はじめから、いじりか何か知らないが、絶対にするべきではない。それを、教師や校長たちは、いじめとは認識していなかった、というレベルで片付けようとする。外面をどう認識するかなんてまったく意味がない。行為そのものを止めるべきなのである。自殺して、相手を一生苦しめてやれ、みたいな発想をするようになるまで、人を追い詰めてはならない。そして、悲しいかな、そこまで自分が追い詰めているかどうかは、実は、娘に言われても、親として絶対に分からなかったのである。(悲)
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