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2013/02/12(火)
フランケン命
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まだアメリカに帰ってきてまもないころに買った植木がある。見たときから、胡散臭かった。葉の緑が、黒っぽい深緑で、固いのである。葉はつるつるとワックスをかけたように光っており、かつよく見ると、裏返しになってる葉すらあった。おかしな奴だ、と思ったが、けっこう大きな白い花を咲かせているので買った。緑色のつぼみが次々に白くなり、花に変わっていって、楽しかったのはわずか1週間ほど。ちょっと水やりが多すぎたか、と思った途端、突然すべての葉やつぼみが、蓑虫みたいになりはじめた。なあんだ、こいつ、ちょっと1回だけ水が多かったぐらいで、しょんぼりしやがって、と腹が立ったが、やっぱり要するに、ファクトリーグリーンだった証拠である。つまり工場のコンピュータで、湿度やら温度、すべて調整されて花を咲かすように、人工的に作られた命なのだ。だから、ちょっと条件が違うと、とたんに「青菜に塩」である。しょんぼりしてるのを見るのがいやだから、零下10度の外気に出して、あっさり凍殺してやれ、とは思うが、もしかして、自然のエネルギーが、このフランケンのどこかに残っていて、新しい環境に適応する能力をもっているかも知れぬ、と思うと、そんなむごいこともできず、毎朝、悲痛な気持で、蓑虫状態のフランケン命をながめている。なんとか気持を上向きに、と、また懲りずに花を買ってしまった。好きなショッキングピンクのミニつつじである。これまたフランケンだ。どす黒い葉の色を見たらわかる。で、思った。これは、外は真冬に、ピンクの花を見たいと思い、金を出す消費者のエゴの問題だな、と。喜んで買う人間がいるから、金儲けになるとフランケン命が誕生するのである。花さえ終われば、すぐに死ぬことが期待されているフランケン命。どこか人間も同じかも知れぬ。それが高齢者問題かも。。(悲)私もフランケン命をもっている。目である。両目とも白内障の手術をして、とうとう親ー自然ーからもらったオリジナルの部品を失い、プラスチックをとおして、この”世界”を眺めている。私は、とっくの昔に盲目になり、この”世界”を離れ、新しい”世界”に入っていてもおかしくないのに、フランケン命で、まだこの”世界”で生かせてもらっている。この”世界”に恩返しせねば、とは思うが、いったい自分に何ができるのだろうか、と考えると気がふさぐ。母が消えてから、いったいこれまでの私の人生は何だったのか、という思いにさいなまれているのである。それなら、たとえ1週間でも、人を楽しませた蓑虫状態のフランケン命のほうが生まれた意義があるのかも。。人を楽しませるーこれほど私が苦手なものはない。。(悲)
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