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2013/02/22(金)
ホスピス食
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一日、何度ケロのために、ホスピス食を作らねばならないか。朝起きると、しんどいだろうに、やっぱり空腹なのだろう、私のあとをつけてくる。それで、ツナ缶のツナをほぐし、水をまぜて食べやすくしてやる。毎日、1日に20回ぐらいー一度に食べる量が少なくなってきて、様子を見ながら、何度も作らねばならないー作っていると、どれだけの量のツナに、どれだけの量の水をまぜた味がお気に入りなのかもわかってきた。ツナは食べないが、お好みの水の味というのがあるのだろう。落ち着いてベッドに行くまで、ちょぼちょぼ水を足したり、ツナを足したりして、食べられるだけお好みの味を食べさせてやりたい、と思いながら、がんばってる。。そう、猫のためにがんばっているのである。母も、そうだったな、と思い出しながら(悲)結局、猫も母も同じである。動物はみんな同じなのである。老いには勝てない。治る見込みはない、と納得したうえで、人生の、そして猫生の最後を見届けようとがんばってるのである。今、ケロがたぶん今月もつかもたないか、みたいな感じなのは、私が去年の10月、右手首を骨折したのは、神様がお母さんのそばにいてやりなさい、と私からコンピュータをとりあげたのと同様、母親の死を受け入れられるようにという神様のメッセージのような気がするのである。私の記憶と後悔は、いつも、母が病気になってからの最後の一人暮らしの7ケ月の時間に戻るのだが、あのときすでに母は、自分の寿命が来たことを知っていた。知りながら、自分の能力で生き切ろうとしていた。誰しもが言ってくれるように、私が母の最後の2年弱の時間に関われたことは、私にとってすごく幸せなことだったのかも知れぬ。ましてや母は、きっと幸せに感じていてくれたかも知れぬ。ケロに、一日に何度も何度もホスピス食を作ってやりながら、そんな母の気持を信じてもいいのではないか、と自分を許す気持が生まれてきたような気がする。同僚に、残念だったね、と言われるたびに、nothing can stop itと言って、私はかすかに笑う。ケロは、毎日確実に痩せていっている。それでも、かすかににゃおと鳴きながら、ツナ水をねだる。誰にも止められない。ただただ誠実にケロに残された時間と向き合うのみ。私は、母にどれだけ誠実だっただろうか。まだ見えてこない。。(悲)
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